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2 型糖尿病患者における低血糖と認知症:鶏が先か卵が先か

Nature Reviews Endocrinology

2009年10月1日

Diabetes Hypoglycemia and dementia in type 2 diabetes chick or egg?

糖尿病は認知機能の低下や脳画像診断上の変化と関連する。しかし、糖尿病患者における脳損傷のリスク因子と機序に関しては重要な疑問が残されている。2 件の新しい研究データから、高齢2 型糖尿病患者における低血糖と認知障害との関連について新たな見解が示された。

糖尿病が脳に及ぼす影響は、今では議論が繰り広げられるトピックの1 つとなっている。ほんの20 年ほど前までは、低血糖または高血糖発作、あるいは脳卒中といった急性の代謝性および血管性の大イベントによる転帰を別として、糖尿病が脳に有害な影響を及ぼすことはほとんどないと考えられてきた。1980 年代半ばから1990 年代初頭の研究で、糖尿病患者における認知機能の低下と異常が脳画像診断でわずかながら観察されるようになると、低血糖発作による影響が、他に考えられる原因のなかでも特に重要視されるようになってきた。実際に1 型糖尿病患者に関する初期の症例報告や症例対照研究では、繰り返される重篤な低血糖発作が認知障害と関連することが示唆された。そのため、1 型糖尿病患者に対するインスリン強化療法の重大な欠点の1 つとして、認知機能に悪影響を及ぼす可能性が取り上げられるようになった。というのも、インスリン強化療法は重篤な低血糖発作リスクの著しい上昇と関連しているためである。

これらの初期の知見を受け、1 型糖尿病患者を対象にインスリン強化療法が微小血管合併症の発症に及ぼす影響を検討する無作為化対照比較試験で、認知機能についての綿密なモニタリングが行われた1。その結果、18 年という長期の追跡によっても、若年患者では重篤な低血糖発作の発現が明らかな認知機能低下とは関連しないことが示された2。一方、その間に大規模な疫学研究が実施され、高齢2 型糖尿病患者では認知症リスクが1.5 ~ 2 倍増大することが示唆された3。そこで、糖尿病による認知障害に関しては、1型糖尿病よりも2 型糖尿病、低血糖よりも2 型糖尿病に深くかかわる血管リスク因子に関心が注がれるよ うになった4。しかし、ここにあげる2 件の新しい研究では、低血糖と認知機能との関連に今一度、注目が寄せられている。

Whitmer ら5 はカリフォルニア州北部のKaiser Permanente health-care delivery system の医療記録を用いて、入院を要する重篤な低血糖発作が認知症リスクの増大と関連するかどうか検討した。対象は2 型糖尿病患者16,667 例(平均年齢65 歳)。退院記録および救急治療部の診断記録から、1980 ~ 2002 年に認められた低血糖イベントを特定した。2003 年1 月 の時点で認知障害の診断を受けていない患者に関しては、その後4 年間追跡調査を実施し、認知症診断の有無について確認した。低血糖発作は1,465 例(8.8%)で記録されていた。認知症の診断を受けたのは1,822例(11%)であった。

低血糖イベントを発現しなかった患者に比べ、低血糖発作を単回もしくは複数回発現した患者では、認知症リスクがイベント発現数に従って上昇した。すなわち、交絡の可能性のある因子により補正後の認知症に 対するハザード比は、低血糖発作1 回の場合が1.3(95%CI 1.1 ~ 1.5)、2 回の場合が1.8(95%CI 1.4 ~2.4)、3 回以上の場合は1.9(95%CI 1.4 ~ 2.6)となった。そこで、低血糖イベント発現率に対する認知症発症の交絡作用を除外するためforward およびbackwardlagged model を用いて解析を行った。その結果、低血糖発作の発現から認知症診断までには17 年以上 の時間が費やされており、同様の傾向はイベント発現数にかかわらず保持されることが確認された。このことから、認知障害により低血糖イベントがもたらされるという逆の因果関係によって、本結果がもたらされた可能性は低いことが示唆された。

Whitmerらの研究の限界点として考えられるのは、医療記録を用いたレトロスペクティブな調査に基づいている点である。こういった医療記録では転帰イベント(認知症)や、さらには低血糖等の決定因子に関す る厳密な定義や層別化が(これらは大規模前向き集団ベース研究では一般的に認められるのであるが)欠落している場合がある。とはいえ、これまでの研究と比べて本研究の対象患者数は十分に多く、具体的な糖尿病関連因子の記述にも優れている。当然ながらWhitmerらは、本観察研究から因果関係を正確に推測することは困難であることを認めている。実際、多くの交絡因子が低血糖イベントと認知症との関連に影響し ている可能性がある。これらの交絡因子には、年齢、教育レベル、人種、性別といった個々の患者に関連する因子や、血糖コントロール、糖尿病罹患時間、血管リスク因子および血管合併症といった糖尿病に関連する因子、さらには治療法や治療期間といった治療に関連する因子が含まれる。本研究の優れた点として、これらの交絡因子が厳密に評価されている点が挙げられよう。

一方、Fremantle Diabetes Study においてBruceら6 は、認知症と低血糖発作との関連性を検討するにあたり異なるアプローチ法を用いた。著者らは、1993 ~ 1996 年に糖尿病の診断を受けた1,426 例の前向きコホートを対象に調査を行った。2001 年に、70 歳以上の生存者587 例のうち302 例(51.4%、3例以外はすべて2 型糖尿病患者)が認知症評価の実施に同意し、214 例が「正常」、28 例が「認知障害あり」、60 例が「認知症発症」と分類された。認知障害が認められなかった214 例に対しては、中央値で1.6年以上にわたり認知機能低下の評価を行った。重篤な低血糖の既往は、自己申告、医師の評価、2006 年までの低血糖による医療施設の利用記録から特定した。2001 年のベースライン時には、認知障害および認知症と低血糖との間に有意な横断的関連性が認められることが見出されていた。さらに、3.7 年の平均追跡期間においてベースライン時の認知症は低血糖イベント、および薬物療法を自己管理できないことに対するリスク因子でもあった[ハザード比はそれぞれ3.0(95%CI 1.1 ~ 8.5)、および4.2(95%CI 1.4 ~12.1)]。追跡期間中、低血糖の既往および低血糖イベントの発現と認知機能低下との有意な関連は観察されなかった。

本研究の優れた点の1 つとして、前向きデザインであることが挙げられる。一方、限界点としては有意な脱落率が考えられる。元来、こういったタイプの研究では脱落が少なからず起こりやすいが、それにより バイアスが生じたり、統計学的検出力が減弱する可能性がある。例えば、追跡期間中に認知機能低下がみられたのは33 例のみで、同機能低下の予測因子を同定するには検出力が不足であった。Whitmer らとは異なり、Bruce らが認知機能低下に低血糖イベントが寄与することを明らかにしなかった理由は、この検出力の不足にあると考えられる。

Bruce とWhiter の2 件の研究から、高齢者における認知障害と低血糖との間には双方向性の関連が認められることが明確に示された。すなわち、低血糖発作の発現は認知症リスクの増大と関連しており、認知障害の診断を受けている患者は低血糖イベントを経験する確率が高いといえる。

患者群レベルでみると、若年1 型糖尿病患者では低血糖イベントと認知機能低下との間に関連は認められておらず2、この結果は対照的である。こういった矛盾の原因として、患者集団が異なれば脳の脆弱性も 異なることが推測される。以前から指摘されているように、小児1 型糖尿病患者の発達途上の脳も低血糖の有害な作用に対してはより脆弱であると考えられている7。高齢者では、低血糖イベント自体が認知症の 原因になっている可能性は低い。しかし、低血糖イベントは無症候性の神経変性や脳における脳血管損傷を促進することによって、あるいは脳の予備能を引き出すことによって認知症リスクを調節している可能性もある。Bruce らの観察では、いったん認知機能低下が始まると、より頻繁に低血糖イベントが発現するようになり、悪循環を引き起こすことが示唆されている。

低血糖イベントを予防すべきであることはすべての患者と医師が承知しているが、高齢患者ではさらなる注意が必要であることが今回の研究により強調された。

doi:10.1038/nrendo.2009.182

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