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地震対策の再考が必要

原文:Nature 471, 556-557 (号)|doi:10.1038/471556a|Chernobyl's Legacy

David Cyranoski

日本が世界に誇る、地震予知システム、緊急地震速報、津波防波堤。だが、いずれも3月11日の東日本大震災には対応できなかった。

日本は、世界で最も密な地震観測網が整備され、世界最大の津波防波堤があり、最も行き届いた緊急地震速報システムがある。そして日本人は、地震や津波の際にどのように行動するべきか、どこの国の国民よりも徹底した訓練を受けている。

それにもかかわらず、3月11日のマグニチュード9の巨大地震は、日本の地震予知専門家たちの不意をついて発生した。また、想定をはるかに超えた大津波は、世界最深の津波防波堤を破壊し、人々に大きな衝撃を与えた。そのうえ、緊急地震速報システムもうまく機能しなかった。いったい、何がいけなかったのだろう?

第一の問題は地震予知にある。2009年3月に発表された最新の全国地震動予測地図は、東北地方の沖合を5つの地震帯に分割し、7種類の地震シナリオを想定していた。それぞれのシナリオには、歴史的地震記録に基づいて確率が割り当てられている。それによると、今回の地震の震源を含む三陸沖南部領域は、今後10年以内に海溝型地震が発生する確率が30~40%、今後20年以内では60~70%とされていた。

地震予知の分野では、これは非常に高い確率と言える。予測地図を作成した文部科学省研究開発局地震・防災研究課の鈴木良典(すずきよしのり)は、「基本的に、いつ発生してもおかしくないという意味です」と言う。しかし、三陸沖の断層で想定される地震の規模は、地元の歴史記録に残っていたのと同じ、マグニチュード7.7前後と予測されていた(Nature 2011年3月17日号274ページNatureダイジェスト5月号3ページ参照)。

2009年3月の予測地図では、福島第一原子力発電所の沖合にある別の断層についてもマグニチュード7.4の地震しか想定しておらず、今後10年以内に発生する確率は2%未満、今後50年以内でも10%未満と見積もっていた。そのため、福島県庁はウェブサイトでこれを引き合いに出し、「地盤が堅固で大地震も少ない福島は、安全かつ安心にビジネスを展開できる場所です」と宣伝していたほどだった。この予測地図では、複数の地震帯の連動により約500kmにわたって断層が破壊され、マグニチュード9.0の地震を引き起こす可能性は想定されていなかったのである(図『想定外の揺れ』を参照)。

図1
図1:想定外の揺れ
最初に検出された地震波に基づいて緊急地震速報を発するシステムでは、強く揺れる地域は狭いと予測してしまった。ところが実際の揺れははるかに強く、広い範囲で生じた。 | 拡大する

日本の地震予知は、的中したこともある。2003年に発生したマグニチュード8.3の十勝沖地震は、予想されたホットスポットのちょうど真ん中で発生した。しかし、1980年代から1990年代にかけて本格的に始まった日本の地震予知は、基本的には当たることもあれば外れることもあるというレベルにとどまり、想定された地震帯以外で多くの大地震が発生し、壊滅的な被害をもたらしてきた。「もっと的中させたいとは思っているのですが……」。こう語るのは、京都大学防災研究所の James Mori だ。

3月11日の地震の規模は驚くほど大きかったが、日本の耐震建築は、揺れそのものにはよく耐えたようである。Moriは、「揺れによる損傷はありましたが、地震の強さを考えれば、たいした被害ではありませんでした」と言う。被害の大半をもたらしたのは津波だった。津波は、防波堤も、人々の長年にわたる備えも打ち砕いた。

三陸海岸の釜石湾の湾口にある全長約2kmの防波堤は、世界最大の水深を誇り、30年の歳月と1200億円以上の費用をかけて2008年に完成したものだった。基礎部分は63mの海底にあり、海上に出ている部分の高さは8m、厚さは20mもある。1896年の三陸地震は場所によっては40m近い津波を引き起こしたが、釜石湾口防波堤は、同レベルの津波の衝撃にも耐えられるように設計されていた。

津波伝播の専門家である防衛大学校(神奈川県横須賀市)の藤間功司(ふじまこうじ)は、津波対策として沿岸部に建設されたこうした構造物が、かえって人々を油断させてしまったのではないかと指摘する。「この地域にはおそらく10年に一度か二度は高さ2、3mの津波が来ており、人々は、津波防波堤が自分たちを守ってくれることを知っていたのです」と藤間。地震動予測地図でマグニチュード7.5クラスの地震発生が予想されている地域では、最大4~5mの津波が来ると考えられていた。

過小評価された津波の危険

防波堤への信頼が高まるにつれ、語り継がれてきた大津波に備えた避難訓練に対して、人々の真剣さは徐々に損なわれていったようだ。日本のほかの地域と同様、東北地方でも毎年、大学教授や研究機関や、非政府組織や地元の市民団体などが避難訓練を実施し、人々に避難方法と避難場所を教えていた。これに関して藤間は、「我々は真剣に避難訓練に取り組んできました」と主張する。

けれども、津波の危険性につき、人々の気が緩んできていたのは明らかだったと、関西大学の災害管理の専門家である河田惠昭(かわたよしあき)は指摘する。2010年のチリ地震の際には、東北地方の168万人を対象とする津波警報が発表されたが、避難所に集まったのはわずか6万2000人だったのだ。

藤間は、「人々は、防波堤があるから大丈夫だと思っていたのでしょう」と言う。だが、3月11日に襲ってきたような大津波に対しては、この防波堤は、波をいくらか減衰させることはできても、「人々を完全に守ることは無理でした」と藤間。ある見積もりでは、海上での津波の高さは15~20m、海岸に押し寄せてからの高さは、いくつかの地点で50mにも達していた。これは、1896年の津波より高い。津波は、釜石をはじめ、多くの地域の防波堤を破壊し、安全な高台を見つけられなかった約2万人を呑み込んだと見積もられている。そのうえ、福島第一原子力発電所の非常用発電機を水浸しにし、冷却システムを停止させてしまった。1960年代に建設されたこの原発は、津波に耐えられるように設計されてはいたものの、想定されていた高さはわずか5.7mだった。

また、日本には、気象庁が発表する緊急地震速報があり、震度5(地震の揺れの大きさを表すために日本で用いられているスケールで、壁にひびが入るレベル)以上の揺れが予想される場合に、人々に注意を呼びかけるようになっている。地震発生直後に震源に近い地震計がとらえたデータに基づいて各地の揺れを予測し、大きな揺れが到達する数十秒前に警報を出すことができるというものだ。だが、このシステムがうまく機能しなかった。3月11日の地震では、震源に近い地域には正確な警報を出すことができたのだが、多くの地点で震度6の揺れを経験した関東地方には警報を出せなかった。一方、独自の警報システムを備えた新幹線や原子炉は、設計どおり、ただちに運転を停止した。

京都大学防災研究所の山田真澄(やまだますみ)によると、このシステムの問題は、震源を「点」と仮定していることにあるという。3月11日の地震の震源を点として計算すると、マグニチュードは7.2だった。ところが、三陸沖の海底の断層が長さ数百kmにわたって次々に破壊され、放出されるエネルギーがどんどん大きくなり、東京に近い地域で20m以上のすべりが生じたとき、このシステムは予測を修正することができなかった。さらに、頻繁な余震はシステムを混乱させ、何度も誤報を出す一方で、大きな余震の警報を出せないという事態に陥ってしまった。

「このシステムは、マグニチュード8クラスの地震で破綻するようです」と山田は言う。山田と気象庁は、震源を点と仮定する緊急地震速報システムを二次元で機能するダイナミックなシステムに変更するため、この4月から3年間の共同プロジェクトを開始する。

日本の防災には確かに改善の余地がある、と藤間は言う。しかしながら、「1000年に一度、あるいは2000年に一度の地震」に対してできることには限度があることも認めざるをえないと考えている。確かに、津波の被害が特に大きかった地域には、もっと頑丈な防波堤を建造することはできるかもしれない。だがそれには莫大な費用がかかるうえ、最大級の津波から人々を完全には守りきれない。「単純に、大津波の襲来が予想される地域には、家を建てないようにするべきかもしれませんね」と藤間は語る。

一方、河田は工学の進歩を信じている。河田自身も、津波による被害を回避するには、人々を津波が届かないところに住まわせるのが最も効果的であることには同意している。けれども河田は、高さ10mのコンクリート製の柱で支えられた人工の海岸線に、住宅(や原子力発電所)が建っている未来図を思い描いているのだ。「早急に取り組まなければならないことは山ほどあります。でも、皆が1つのビジョンを持ち、力を結集すれば、きっと成し遂げられます」。

(翻訳:三枝小夜子)

この記事は、Nature ダイジェスト 2011年6月号に掲載されています。

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