Editorial

福島第一原発事故:科学者の声を政府に

原文:Nature 480, 291 (号)|doi:10.1038/480291a|Critical Mass

日本政府に独立の立場から助言をする科学の声がないことは、以前から問題になっていた。現在、日本の政治的リーダーたちが、福島第一原発事故に関する明確な答えを求めて悪戦苦闘しているのも、その一例にすぎない。

福島第一原子力発電所の事故から9か月以上が経過したが、そこで起きたことについては、根本的な疑問が答えられないまま残っている。これらの疑問に対する答えが与えられないかぎり、日本はもちろん、世界の国々も、何がいけなかったのか、今、何をするべきなのか、今後、同様の事故を防ぐためにはどうすればよいのかを知ることはできない。

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Nature 2011年12月15日号313ページのComment欄(「福島第一原発を国有化せよ」参照)では、こうした懸念がまとめられている。日本国民にとって気がかりなことの1つは、この論文の執筆者である。執筆者の2人は与党の政治家で、そのうち1人は元首相なのだ。彼らのような立場にあっても、答えを入手できないのだろうか?

福島第一原発を運営していた東京電力は、事故後、大幅に編集された原子炉マニュアルしか公表していなかった。10月末になって、ようやく手を入れていない形で発表されたマニュアルは、東京電力の不測の事態への備えがどれだけ手薄であったかを明らかにした。このような隠蔽行為は、事故発生から今日まで、大物政治家でさえ答えを入手できなかった理由と、彼らが本誌への寄稿という形で公然と問題を提起することを選んだ理由を薄々想像させる。

この状況は、日本が抱えている問題、それも、福島の原発事故以前からあり、日本の歴代政権のすべてが抱えていた問題と、深く関係している。それは、独立の立場から政府に強く助言する科学の声がないという問題だ。今回の事故の場合、そのような声があれば — 政府が任命する首席科学官からの声にせよ、真に独立の立場にある原子力規制者からの声にせよ —、住民の避難、医療支援、放射能スクリーニング、除染の実施にあたり、役に立ったかもしれない。また、上述の疑問に対する答えを見つけるのに必要な調査・研究を指揮する助けにもなっただろう。

日本政府は、ここ数十年間、厄介な科学的概念がからむ難しい問題に直面するたびに、その責任を官僚や政治家に押しつけてきた。しかし、こうした担当者の多くは問題をよく理解しておらず、政府がしてはならないことをしてしまった。すなわち、問題を隠蔽して、それが過ぎ去るのを待っていたのだ。その間、政治家たちは答えを手探りし、政府のスポークスマンたちは混乱した発表を行っては、愚かで、無責任で、信用できない人間のように見られてしまった。

Nature 2011年12月15日号:福島第一原発を国有化せよ
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日本政府はこんな姿勢で、1950年代から1960年代の水俣病問題(海に流された工場廃液中により多数の有機水銀中毒患者が発生)、1990年代の薬害エイズ問題(HIVに汚染された血液製剤の使用により多数のHIV感染者が発生)や、2000年代初頭のBSE問題に対応してきた。福島の原発事故でも同じだった。具体例としては、シミュレーションから放射性物質の拡散が予想されていたにもかかわらず、パニックが広がることを恐れて警報を出さなかったことが挙げられる。これにより、被曝を防げたはずの住民まで、大勢、被曝してしまった。

日本政府は、福島第一原発事故に関する科学的な情報の多くを、経済産業省の原子力安全・保安院と、原子力安全委員会という2つの機関から得ていた。どちらの機関も、原子炉の物理学に関する専門知識は持っていたが、原子力産業とのつながりも持っており、利益相反が生じていた。さらに、除染や健康被害の問題について政府が迅速な決定を行うための実際的かつ機敏な情報源になることもできなかった。政府は、こうした点を認めて、原発のモニタリングと安全規制機能を、環境庁の外局として新たに発足させる原子力安全庁に移管することにしたが、その有効性はまだ証明されていない。政府は、この事故について独自の報告書を作成することも約束したが、その作成方法は透明にはほど遠い。

日本政府は、科学者との間に、もっと太く、恒久的なパイプを持ち、その助言を聞けるようにしなければならない。今回の事故は彼らに、将来の有事の際に迅速かつ果断に行動できるような組織づくりの必要性を痛感させたはずである。

日本はまず、米国や英国などに倣って、科学顧問を置くべきだ。この国は5年前にも科学者を内閣特別顧問に任命し、そのようなシステムを作ったと宣言したことがあった。しかし、科学に関する広範な問題について助言を行う本来の科学顧問とは異なり、その顧問はイノベーションの促進を使命としていた上、その試み自体がわずか2年で終わってしまった(Nature 443, 734–735; 2006参照)。現在、日本政府に科学顧問はいない。日本学術会議に米国科学アカデミーのような影響力ある役割を持たせようとする動きもあるが、変革を起こすには至っていない(Nature 428, 357; 2004参照)。

科学者は、ある状況に関する既知の事実を人々が理解できるように手を貸すことができる。もっと重要なのは、知りえないことの理解を助けることだ。確実なことが言えないときには、科学者は、人々がそれに伴うリスクを理解するのを助けることができる。彼らは、政府がこうした事実を説得力ある明瞭な言葉で市民に説明するのを手伝うことができる。公平で、政治とは無関係の視点から説明を行える科学者は、たとえ状況が変わって当初の評価を覆さざるをえなくなったとしても、その政治的思惑を勘ぐられるおそれは小さい。科学者は、国民には不評だがどうしても必要な決断をせざるをえない政治家を擁護することもできるし、政治的に任命された科学顧問なら、政治家との間に個人的信頼関係を築くこともできる。

日本は、もっとうまくやることができる。日本人は、こんな現状に甘んじていてはならない。

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