新潮45 科学の興亡

科学の興亡「ネイチャー」VS.「サイエンス」ブックマーク

新潮45

「新潮45」2011年1月号、竹内薫氏による連載「科学の興亡」にて、「ネイチャー」VS.「サイエンス」として、NatureNature ダイジェスト について取り上げられました。その全文をご紹介します。

第八回「ネイチャー」大解剖

竹内薫・科学作家

ネイチャー・ジャパン事始め

この連載も折り返し点を過ぎた。今回は、改めて「内側から見たネイチャー」というテーマでネイチャー誌の本質を問い直してみたい(ライバル関係にあるサイエンス誌は次回の予定)。幸運にもネイチャー日本支社の設立メンバーの一人、ネイチャー・パブリッシング・グループの中村康一氏のインタビューが取れたので、ネイチャーの「日本部隊」から見た内部事情をふんだんにご紹介しよう。

ネイチャー誌の日本進出は1984年。この年、アラン・アンダーソン氏がネイチャー誌の東京特派員として来日したのだ(彼は後にニュー・サイエンティスト誌編集長に転出した)。ネイチャー誌の創刊は1869年だから、115年にして初めて、ネイチャー誌は極東に足場を築いたのである。それはある意味、日本の科学の重要性が、ようやく、本家本元のイギリスに認められたことを意味するのかもしれない。

ネイチャー・ジャパン株式会社(ネイチャー・パブリッシング・グループの前身)は1987年に設立された。最初は3名で始まった会社だが、現在では80名近いスタッフを擁する大所帯だ。

ネイチャー誌の発行部数は全世界で5万2836部で、うち日本は5925部となっている(2009年)。意外と少ない印象だが、実際には一冊が約8名に回し読みされているという調査結果があるので、読者数は、世界で40万人以上、日本で4万5000人程度ということになる。

ネイチャー誌を読むのは、科学者・エンジニアおよびその周辺の人々(学生、科学ジャーナリスト、教師など)に限られるはずだから、読者の10分の1を日本人が占めている状況は、日本がいまだに科学技術立国の地位を保っている証なのだろう(注:ここであげた読者数には電子版は含まれていないので、実際の読者数はもっと多いことが予想される)。

ネイチャー・ダイジェストの「効率」

最近、私はネイチャー本誌をあまり読まなくなってしまった。などと言うと、「竹内も、もう歳だなぁ」と笑われそうだが、実は、代わりにネイチャー・ダイジェストをよく読むようになったのだ。

ネイチャー・ダイジェストは元々、ネイチャー誌の附録として始まったが、今年(2010年)から一般書店でも買えるようになった。

一見すると40ページそこそこの小冊子に680円も払う価値があるのか? ボッタクリではないのか? と勘ぐりたくなるが、中身は実に濃く、読後のおトク感は大きい。ヨイショ記事を書くつもりは毛頭ないが、情報過多で時間不足の現代日本において、科学の最先端のダイジェストを気楽に読めるのは、大いなるメリットだと言える。

試しに2010年10月号の表紙をざっと見てみると、「皮膚から心筋細胞へ直接変換」(再生医療)、「陽子はもっと小さい?」(量子電磁力学)、「原子間力顕微鏡で分子の形を感じとる」(走査プローブ顕微鏡)、「巨大断層のささやきを聞く」(地震学) ……といった具合に、科学のあらゆる分野の最新研究がバランスよく並んでいる。それぞれの中身を簡単に見てみよう。

再生医療の話題といえば、なんといっても、京大の山中伸弥教授らが開発したiPS細胞が頭に思い浮かぶ。だが、ここで紹介されている研究成果は少し違う。

「心筋細胞に高レベルで発現している遺伝子群を洗い出し、それらをさまざまに組み合わせてしぼり込んだのだ。すると、3種類の遺伝子(中略)があれば、心臓や皮膚の繊維芽細胞を心筋細胞へ転換できることがわかった」(ネイチャー・ダイジェスト、2010年10月号、6ページ)

少数の遺伝子を「鍵」として使う手法は山中教授らのブレークスルーである。だが、再生医療研究の最先端では、(皮膚細胞↓iPS細胞↓心筋細胞)という手順ではなく、途中を飛ばして、(皮膚細胞↓心筋細胞)という方法が成功しつつあるのだ。つまり、このダイジェスト記事を読めば、山中教授らのブレークスルーの「その後」がどうなっているのか、理解できるわけだ。

次の記事に行こう。私は物理学が専門なのだが、陽子がこれまで考えられていたより小さいというのは、かなり衝撃的なニュースだ。実際、ネイチャー・ダイジェスト10月号でも、この話題がトップの扱いになっている。

「もしも今回Pohl(注:ドイツの研究者、ランドルフ・ポール)らが行った高精度の測定や計算に誤りが見つからず、彼らの実験結果がこれまでの結果と一致しないことが確かめられれば、彼らは巨大加速器の高エネルギー衝突によらずに、素粒子物理学の標準模型では説明できない現象を発見したことになるのかもしれない」(同29ページ)

量子電磁力学は、精密科学の範たる物理学の中でも、とりわけ高精度なことで知られている。その基本中の基本である陽子の大きさの見積もりが、まちがっていたかもしれないというのだ! もちろん、今回の新しい研究のほうがまちがっている可能性もあるが、こういう「科学革命」につながりかねない話題は、知っておいて損はない。

三番目の記事に行こう。昔、『だれが原子をみたか』という科学書があった。驚くべきことに、原子や分子が実際にどんな形をしているかは、長い間、謎に包まれてきた。間接的にその形を予測したり、実験から推測することはできても、本来の意味で「見る」のは大変難しいことだったのだ。

科学技術の進歩により、今では原子間力顕微鏡なるものが開発され、原子や分子の形をそのまま「感じ取る」ことが可能になった。

「研究チームは、非常に細い針のようなチップを使って、塩の結晶の上に置かれた深海細菌由来の天然分子の形をなぞり、分子構造を調べた。この分子は、2つの分子構造が考えられていたが、今回の方法でどちらが正しいかを判断することができた」(同3ページ)

個々の原子を見ることができても、なんと、その原子が集まってできた分子の形が見えるとは限らないのだ! 明るい塊に見えてしまい、形がぼやけてしまうからである。有機分子の研究は、今年度(2010年度)のノーベル化学賞を見てもわかるように、産業への応用も含めて、きわめて重要な分野なのだ。

四番目の話題の地震学は、日本のお家芸だが、最近では、地下深くで長時間続く微弱な振動(深部微動)がホットな話題らしい。

「地震学者にとって、深部微動は、過去10年間で最も重要な発見の1つである。深部微動を観測することで、恐ろしい被害をもたらす断層の活動について知ることができるかもしれないからだ。最初にこの深部微動が見つかったのは、2002年、日本だった」(同16ページ)

私は、日本の地震予知研究の長年にわたる無駄使いについて、批判的に論ずることが多いが、深部微動の測定により、地震予知の可能性があるとは知らなかった。科学は日進月歩なので、常に最先端の事情をチェックしておかないとだめなのだ。

以上、駆け足でネイチャー・ダイジェスト誌の中身を見てきたが、それぞれ見開き2ページ程度の簡潔な解説で知識を仕入れることができる。この小冊子は、ネイチャー・ジャパン独自の編集により、毎月のネイチャー誌(4冊から5冊)から、日本人の観点で選りすぐりの話題を集め、40ページほどに凝縮している。これまでニュートン誌や日経サイエンス誌しか手にとったことがない読者には、新しいタイプの科学誌として、強くお勧めしたい。

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