Event Reports

第19回 〜芸術はなぜ人の心を動かすのか〜
「音楽と医学の学問的融合の発展を目指して」レポート

日時:2017年10月8日(日)
会場:東京藝術大学 上野キャンパス

Springer Nature   × 東京藝術大学 AMS プロジェクト

音楽と科学。どちらかといえば対照的な2つの専門分野だろう。あまり接点もなさそうだが、本当にそうだろうか。両者が交わることで化学反応が生じ、新たな発見や創造のチャンスが広がったりしないだろうか。第19回Nature Caféでは東京藝術大学に場を借りて、音楽家と科学者が一堂に会し、このような可能性を議論した。

当日の様子

澤和樹氏

澤和樹氏

スタボローラ・コースタ

スタボローラ・コースタ氏

2つの専門分野を融合させる絶好の機会としたい──今回のパネリストで東京藝術大学学長 澤和樹(さわ かずき)氏は、開会の辞でこのように語った。果たして、美しい音楽とは何なのか。人は音楽からどのように影響を受けるのか。また、このような問いを科学的に探究することは、音楽家や科学者にとって、ひいては社会にとって、どのような意味があるのかなど、音楽家や科学者、精神科医らが自らの研究や知見を基にこれらを論じた。東京藝術大学の第6ホールで開催された今回のNature Caféのプログラムには、弦楽五重奏やピアノ演奏なども含まれており、贅沢な構成であった。学際的な活動を推進する東京藝術大学の「AMS(Arts Meet Science)」プロジェクトとNature Caféとの共催である。パネルディスカッションのモデレーターはNature Human Behaviour のチーフエディター、スタボローラ・コースタ。

音楽と科学が結び付くことの意義

Caféは、2人の専門家による問題提起の講演から始まった。最初に、精神科医の近藤伸介(こんどう しんすけ)氏(東京大学医学部附属病院精神神経科)が、音楽には多様な治療効果があることを紹介した。音楽に「心が癒やされる」とはよくいわれることだが、それだけではない。例えば、脳卒中(脳血管障害)の後遺症に、体の左側半分の空間に注意が向かなくなる半側空間無視(はんそくくうかんむし)という症状がある。その場合、左側を意識するように仕向けるリハビリテーションが必要になり、その1つに、ピアノなどの鍵盤楽器で、音階を逆に弾くという方法があるそうだ。ドシラソファミレドという音の並びが刺激となり、左側を自然に意識するようになるという。

近藤伸介氏

近藤伸介氏

西川伸一氏

西川伸一氏

その他に、話しかけてくる相手に気付くことが困難という障害がある自閉スペクトラム症の人に、太鼓などをたたいて気付かせる方法がある。大きな音に反射的に視線を向けるという本能的な反応が人間にはあるので、それを利用したものだという。

近藤氏は、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」を聴くと眠りにつけるという患者の例も紹介した。過去の被虐によるトラウマから不眠を訴える患者だが、比較的単純な音が淡々と続くこの曲により安心感を得られるのではないかと近藤氏は推測する。そして、音楽がこのような治療的な作用をもたらす仕組みを詳しく調べていくことは、臨床上も非常に価値があるのではないかと問題提起した。

次の講演者、西川伸一(にしかわ しんいち)氏(京都大学名誉教授)は、音楽を科学的に研究することは音楽家にとってどのような意味があるかと問うた。西川氏は、長年、発生・再生医学を研究してきた科学者であるが、クラシック音楽の熱心なファンであり、AMSプロジェクトの発起人でもある。

音楽家が他者に「私の音楽を理解してもらいたい」と考えたときに科学が役に立つはずだと、西川氏は言う。芸術における美しさの判断は、快・不快といった感情と、記憶・経験・理解といった脳の機能が統合された結果の反応だが、その詳しい仕組みに関して、脳科学や心理学の分野で研究が進んでいると続けた。この問題は、パネルディスカッションでも、澤氏とトーマス・コーンバーグ氏(カリフォルニア大学サンフランシスコ校 生化学・生物物理学教授)を加えて議論が交わされた。

科学的研究はまだ始まったばかり

音楽が脳にどのような影響を及ぼすかについては、科学的にどこまで解明されているのだろう。西川氏は次のように前置きをして、話を始めた。視覚を主にした美術分野における研究はよく進んでいる。しかし、音楽に関しては研究が始まったばかりであり、Nature Human Behaviour などの学術誌をチェックすることは欠かせないだろう。例えば、音楽のリズムの刻み方が文化として生まれていく仕組みの解析といった興味深い論文を目にすることもあるからだ。

西川氏は説明を続けた。人間にとって、外界の刺激の受け取りや、外界への発信のチャネルの1つが音楽だと捉えられる。例えば左脳の障害(脳卒中など)により、言語というチャンネルが機能しなくなっても、右脳が機能していれば音楽のチャネルは有効かもしれない。

会場からは、脳卒中などの後遺症に関連した質問が多く出た。また、脳出血後、好きだった音楽に興味を失い雑音がうるさく感じられる(聴覚過敏)という方からの質問もあった。近藤氏は、自分の注意が向けられていない音は雑音として排除する働きが普通は備わっているのだが、それが、脳出血により障害されてしまったのかもしれないと説明した。

近藤氏はさらに、双極性障害の患者に処方される薬を服用すると音程が半音程度低く感じる現象が起こることについて言及した。おそらく内耳での音(ピッチ)の認識と、脳の中での音のマッピングとの間の過程でズレが生じてしまうのだろう。これは絶対音感がある人には耐えがたい症状である。

音楽家が広い視野を持つために

トーマス・ビル・コーンバーグ氏

トーマス・ビル・コーンバーグ氏

パネルディスカッションに参加したトーマス・ビル・コーンバーグ氏は音楽家であり、生物学者である。米国のジュリアード音楽院でチェロを5年間学んだ後に、生物学の大学院に入り、科学者になった。中等・高等教育の過程で、音楽と科学を同時に、かつ専門的に学ぶのは難しいのが実情だが、音楽と科学は決してつながらないものではないと指摘する。実際に、音楽家として成長するために、音楽以外のさまざまな世界に触れて思考の幅を広げようと努めている音楽家は多いそうだ。コーンバーグ氏は、そのような音楽家の例として、ヨーヨー・マ氏を挙げた。世界的なチェリストであるマ氏は、人類学をはじめさまざまなバックグラウンドを持つ。今回のCaféに寄せたビデオレターで、音楽と科学には共通項が多く、真実の探求とその証明、人間や自然を忍耐強く分析する力などがあると指摘した。

音楽家にとって、特に藝大の学生にとって、科学者と接点を持つことは貴重な経験であろうと、澤氏も考える。それというのも、学生は1日のうち10時間は音楽練習をしていて自分の専門分野に没頭しがちだ。しかし、自分の専門領域外に目や耳を向けることが、音楽家としての幅を広げることにつながるのではないか。また、就職を考えたときにも、一般社会での活躍の場を広げることにつながるだろうと澤氏は話す。

閉会の挨拶として、藝大AMSプロジェクトのコーディネーターである谷口賢記(たにぐち まさのり)氏が、日本においても学校教育の中で芸術と科学の両方を同時に専攻するのは難しく、このCaféが素晴らしい音楽と科学の交流の場となったことをうれしく思うと締めくくった。

今なお、今回演奏された楽曲は、まずCaféの冒頭で、シューベルト最晩年の作品「弦楽五重奏曲ハ長調D.956」より第1楽章。音楽学部長・迫昭嘉(さこ あきよし)教授によるピアノで、バッハの「平均律クラヴィーア曲集 第1巻第1番ハ長調BWV.846」よりプレリュードと、晩年に左脳に障害があったラヴェルの「亡き王女のためのバヴァーヌ」が、それぞれ近藤氏の講演後とパネルディスカッション後に演奏された。

当日の様子

弦楽五重奏の演奏者は左より、玉井菜採氏(第1ヴァイオリン)、山崎貴子氏(第2ヴァイオリン)、中木健二氏(第2チェロ)、谷口賢記氏(第1チェロ)、澤和樹氏(ヴィオラ)。

当日の様子

バッハとラヴェルの曲は迫昭嘉氏によるピアノ演奏。

文:藤川良子(サイエンスライター)。

第19回 Nature Café レポート全文 PDFダウンロード

このレポートは、Nature ダイジェスト 2018年1月号に掲載されています。

京都大学名誉教授、東京藝術大学AMSプロジェクト発起人

東京大学医学部附属病院精神神経科特任講師

カリフォルニア大学サンフランシスコ校、生化学・生物物理学教授

ヴァイオリニスト、東京藝術大学学長

Nature Human Behaviour チーフエディター

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