【ゲノミクス】鐘状ビーカーがヨーロッパに広まった過程
Nature
2018年2月22日
独特の文化遺物と農業がヨーロッパに広まった過程をゲノム技術によってたどり、新石器時代と青銅器時代のヨーロッパ人の生活に関する知見を集めた2報の論文が、今週掲載される。
古代人の文化は、当時の人工遺物によって解明されることが多い。その1例である鐘状ビーカー複合(Bell Beaker Complex)は、定型化した鐘状ポット、銅製短剣、矢尻、石製のリストガード、独特な穴開きボタンなどの品の一群で、新石器時代末期の墓所と考えられる場所で発見された。鐘状ビーカー文化は、紀元前2750年に始まり、西ヨーロッパと中央ヨーロッパの全体に広がったが、この拡散の原因が古代人の移動によるものか、文化の発生によるものか、その両者なのかという考古学上の論点に決着はついていない。
David Reichたちの第1の論文には、136か所の考古遺跡から出土した新石器時代、銅器時代、および青銅器時代のヨーロッパ人の遺体(400体)のゲノム全域のデータを解析した結果が示されている。400体のうちの226体は、ビーカー形の物体と共に埋葬されており、遺伝的多様性が認められたことをReichたちは報告している。この結果は、文化の伝達と古代人の移動が共に重要な役割を果たしており、これら2つのプロセスの関わりの大小に地域差があるとするモデルの正当性が裏付けられている。
また、Reichたちの第2の論文では、紀元前12000~500年に生きていた225人のヨーロッパ人のゲノムを解析して、もう1つの文化的革新である農業が南ヨーロッパに拡散した軌跡を明らかにした。農業は、紀元前7000年紀の中頃に東南ヨーロッパに定着したアナトリア出身の移住者がヨーロッパに持ち込んだことが判明した。
この研究でReichたちは、ヨーロッパ全土での農業の拡散に関連する遺伝的動態を調べて、東南ヨーロッパが、農業が到来した時期の前後に東西の人々の接触点として機能していたことを明らかにした。ただ、先住民と移住者の交流の程度には大きなばらつきがあり、東南ヨーロッパを通って、北ヨーロッパと西ヨーロッパに移動した一部の初期の農民は、狩猟採集民との遺伝的相互作用が限定的だったが、その他の集団は、東南ヨーロッパの地元の集団と広範に交配を行っていたことが、この論文に記述されている。
doi:10.1038/nature25778
「Nature 関連誌注目のハイライト」は、ネイチャー広報部門が報道関係者向けに作成したリリースを翻訳したものです。より正確かつ詳細な情報が必要な場合には、必ず原著論文をご覧ください。
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