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考古学:過去40万年間の複数回にわたる西南アジアへのヒト族の分散

Nature 597, 7876 doi: 10.1038/s41586-021-03863-y

更新世のヒト族の出アフリカとその後の分散およびアフリカへの帰還では、西南アジアの、困難なことの多い多様な環境の横断が不可欠だった。レバントの疎林地帯から得られている考古学的および古生物学的記録には、ホモ・サピエンス(Homo sapiens)とネアンデルタール人による交互の居住など、生物学的および文化的に大きな変化が記されている。しかし、西南アジアの大部分を構成する広大な乾燥地帯で見つかる後期第四紀の文化的、生物学的および環境的な記録は今なお少なく、ヒト族の人口学的特性や行動の変化に関する地域規模の理解は限られている。本論文では、ネフド砂漠の砂丘間盆地内のKhall Amayshan 4遺跡および近くのジュッバ盆地の遺跡で発見された、石器群や脊椎動物化石を伴う、年代が測定された一連の古湖沼シーケンスについて報告する。アラビア地域でこれまでに年代が測定されたものの中で最古のヒト族居住の証拠を含むこれらの知見から、ヒト族が少なくとも5回にわたってアラビア内陸部に広がったことが明らかになり、これらはそれぞれ、約40万年前、約30万年前、約20万年前、約13万~7万5000年前、約5万5000年前の、乾燥が緩和した短期間の「緑」な時期と同時期に起きていた。それぞれの居住期は異なる種類の物質文化を特徴としており、これは、多様なヒト族集団の居住と、西南アジアでの長期的な集団連続性の欠如を示している。アフリカとユーラシアのヒト族集団が更新世のサハラ-アラビア地域の乾燥によって分離されていたという全般的なパターンにおいて、我々の知見は、ヒト族の分散や混合を可能にした、気候的に調節された期間の速度および性質を明らかにするものである。

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