シュプリンガー・ネイチャー フォーラムレポート
高等教育における電子書籍のこれまでと未来

高等教育における電子書籍のこれまでと未来

大学の研究力強化にどう貢献できるか、そして図書館が果たす役割とは

© Klaus Vedfelt/DigitalVision/Getty

シュプリンガー・ネイチャーは、欧米で導入が著しく進む電子書籍(eBook)についてのフォーラムを、図書館総合展 教育・学術情報オープンサミット2019にて開催した。電子書籍が学術研究の成果発信の場になること、また、異分野融合や新領域の創成の架け橋となることなど、多岐にわたるポテンシャルを紹介した。

日本の基礎研究力の失速が危惧され、Nature の分析でも科学研究の論文数低下などが指摘されている。研究予算の削減、雇用体制の不備、博士課程進学者や海外留学者の減少といった複数の要因が絡み合っており、状況はなかなか改善しない。このような現状において、研究力を強化し、インパクトのある成果を発信するには、どうしたらよいのか? 電子書籍が突破口の1つになると考えるシュプリンガー・ネイチャーは、研究力強化と電子書籍の役割について、自然科学研究機構(NINS)研究力強化推進本部の小泉周 特任教授・統括URAと、菅沼由貴(シュプリンガー・ネイチャー)によるフォーラムを開催した。

電子書籍の導入が進まない日本

電子書籍とは、インターネットを介して流通する読み物の総称で、電子ブック、デジタル書籍、eブックなどとも呼ばれる。スマートフォンやタブレットにダウンロードし、設定によっては、モニター上で紙の本のようにページをめくることも可能だ。日本で電子書籍が普及したのは2010年ごろだが、今や若い世代にとっては当たり前のものとなっており、特に漫画や実用書、小説などでは電子書籍化が進んでいる。

一方で、中高年世代には電子書籍に対して抵抗感を抱く人が少なくない。アカデミアにおいても、図書館への導入や、研究成果の電子書籍化は進んでおらず、欧米に大きな後れを取っている。本フォーラムで開会の挨拶に立ったシュプリンガー・ネイチャーの遠藤昌克は、「弊社では、1840年以降現在までに発行された書籍を全て電子化し、2018年は文理21分野で1万冊以上の電子書籍を出版しました」と紹介(go.nature.com/ebooks)。刊行の速さと量の多さからは、各国の主要な大学や研究機関、それらの図書館が、電子書籍の刊行と購入に大きな予算を割いている実情がうかがえる。

日本はどうかといえば、大学などで図書館資料費として電子書籍に割かれる費用は、ほぼ皆無だそうだ。「そもそも、電子書籍として予算化されていない。日本発の研究発信力が懸念されているが、電子書籍が普及しないことも一因だと思われます」と遠藤は述べている。

世界大学ランキング、書籍執筆も数に

小泉 周氏
自然科学研究機構 研究力強化推進本部
特任教授・統括URA

菅沼 由貴
シュプリンガー・ネイチャー
ビジネス・デベロップメント・マネージャー

ただし、日本においても、電子化された学術誌やプレスリリース、大学や研究者によるソーシャルメディアへの投稿など、インターネットを介した情報のやりとりは膨大な量に及んでいる。「日本の大学や研究者たちは情報の渦にのまれ、有効活用できず、世界のトレンドから取り残されている」。話題提供の冒頭でこのように指摘した小泉氏は、慶應義塾大学医学部を卒業後、網膜視覚生理学の研究を進めてきた。2007年からはNINSに所属し、広報展開推進室・准教授を経て2013年より現職に。研究力強化推進本部の特任教授・統括URAとして、大学や分野別の研究力分析を行う他、国内における33の研究大学および研究機関による研究大学コンソーシアムの運営なども担っている。

小泉氏は「国際的な研究競争が激化し、アカデミアにもイノベーションが求められる中、研究者や大学は自らの強みと弱みを理解して戦略を立てることが重要です。また、異分野融合や新分野の創成は有力な戦略の1つといえ、蓄積された成果や知見をうまく抽出し、有効活用することが鍵となります」と説明。

大学の研究力評価には、英国の高等教育専門誌(Times Higher Education)による「世界大学ランキング」が頻用される。2019年9月12日に発表された最新(2020年)版によると、トップは前年と同じ英オックスフォード大学、2位以下は米カリフォルニア工科大学、英ケンブリッジ大学と続き、日本からはトップ100に東京大学(36位)と京都大学(65位)が入っているのみ。それ以下は、東北大学と東京工業大学が251〜300位、名古屋大学と大阪大学が301〜350位などとなっている。 

この点について小泉氏は「2016年以降、大学ランキング算出には論文執筆だけでなく書籍執筆もカウントされることになり、1章分が論文1本と同じ扱いです。すでに欧米の大学では、研究の営みの1つとして書籍執筆を論文執筆と同等に重要視しているのです」と指摘した。

機械生成による電子書籍作製の可能性

Lithium-Ion Batteries

次に話題を提供したのは、シュプリンガー・ネイチャーにて電子書籍の分析や価値創出を進める菅沼である。「統計を見ると、大学ランキングトップ50の8割が、理系領域で電子書籍を導入しています」。そう口火を切った菅沼は、出版分野での豊富な計量分析実績を持つ。 菅沼は、電子書籍の利点について、同社が2019年4月にオンライン刊行した、初の機械生成書籍『Lithium-Ion Batteries』(go.nature.com/Lithium)の特徴と活用方法を例に挙げて紹介。

リチウムイオン電池といえば、その研究開発を進めた吉野彰氏ら3人に2019年のノーベル化学賞が授与されたことは記憶に新しい。奇しくも同じテーマだが、同社がリチウムイオン電池を選んだ理由について「異分野の研究者が参画する情報過多の分野で、知見の情報整理が難しそうなものを選んだらリチウムイオン電池だったのです」と菅沼。この書籍は、ドイツの研究機関Applied Computational Linguistics lab(ACoLi:応用計算言語学研究室)の協力を得て作製された。「ACoLiが開発したAI用のアルゴリズム(Beta Writer)を使って、シュプリンガー・ネイチャーのプラットフォームであるSpringerLinkから、リチウムイオン電池分野のコンテンツのうち査読を経た刊行済みのトピックを抽出し、それらを類似性に従って並べて一貫した章や節として構築していきました」と菅沼は説明。序文、目次、参考文献も自動的に作成され、引用論文のリンクや要約も付いている。

つまり、研究者はこの1冊で、研究コミュニティーにおいて関心度の高い順にリチウムイオン電池領域を俯瞰でき、よく知らない部分も効率的に情報を得ることができるというわけだ。なお、電子書籍版は無料で提供している。「ダウンロード数や、よく読まれているトピック、論文引用情報などの情報も容易に抽出できるので、それらを解析して研究に生かすことなども可能」と菅沼。

電子書籍を出版して感じたポテンシャル

Optogenetics Light-Sensing Proteins and Their Applications

ここで再び小泉氏が登壇し、電子書籍が研究力の強化や発信に使えることを、自らの体験に基づいて紹介した。「私はオプトジェネティクスの電子書籍を作った経験があります。きっかけは、『光操作研究会』という組織を立ち上げたことでした。第1回の主催者も務め、2009年の発足以来、毎年研究会が開催されています。さまざまな分野から参加者を募り、招待講演や勉強会を続けたところ、神経科学だけでなく、化学、工学、企業技術者など、さまざまなバックグラウンドの研究者からなる数百人規模の異分野融合母体へと成長しました。とはいえ、オプトジェネティクスの歴史は浅く、研究者の理解とコミュニケーションも十分とはいえません。そこで、関連領域の研究者の知見を最大限に利用して、これまでの進展を概観できる電子書籍を作ろうと考えました」。

オプトジェネティクス(光遺伝学)とは、その名のとおり光を使って遺伝子発現などのスイッチングを制御する学術分野だ。ニューロンの活動を任意のタイミングで操作できることから、特に脳神経科学分野で注目されている。小泉氏らの電子書籍は、『Optogenetics Light-Sensing Proteins and Their Applications』として2016年にシュプリンガーから刊行された(go.nature.com/Opto)。ダウンロード数はすでに5万を超え、現在は第2版を制作中という。「この成功体験により、私は研究活動として本を作ることが、研究力強化において異分野融合を積極的に進めるためのパラダイムシフトになるとの実感を得ました。同じスキームで、世界の研究トレンドに合った、次なる電子書籍を作っていきたいと考えています」と小泉氏は語った。

終盤は、図書館や出版社が電子書籍を介して大学の研究力強化にどのように貢献できるかや、電子書籍へのAI導入と課題などについて、2人が意見を交わした。その後の質疑応答では、機械生成で用いるデータセットの品質、文系分野への導入、研究の評価方法などにも話が及び、盛会のうちに幕を閉じた。

西村 尚子(サイエンスライター)

小泉 周(こいずみ・あまね)氏

小泉 周(こいずみ・あまね)氏

大学共同利用機関法人
自然科学研究機構 研究力強化推進本部
特任教授・統括URA

菅沼 由貴(すがぬま・ゆき)

菅沼 由貴(すがぬま・ゆき)

シュプリンガー・ネイチャー
ビジネス・デベロップメント・マネージャー

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