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PhD大量生産時代

世界では、これまでにないハイペースで博士号(PhD)が生み出されている。この勢いに歯止めをかけるべきなのだろうか。

原文:Nature号)|doi:10.1038/472276a|Education: The PhD factory

David Cyranoski, Natasha Gilbert, Heidi Ledford

図1:博士号の増産傾向
図1:博士号の増産傾向
多くの国々では、高等教育の大幅な拡大によって、博士号の授与数が増加した。1998年から2006年までの全研究分野の博士号授与数の年平均伸び率を以下に示した。 | 拡大する

SOURCE: OECD/CHINESE MINISTRY OF EDUCATION

博士号を手にした科学者が誇りに思うのは当然だ。今もそれは学界エリートへの立派な入場券であるが、かつてほどの輝きはない。経済協力開発機構(OECD)加盟国では、科学分野の博士号授与数の年間総数は、1998年から2008年までに40%近く増えて約3万4000件に達した。この増加傾向に弱まる兆しは見られない。ほとんどの国々で、高度な教育を受けた労働者が経済成長のカギを握ると考えられており、高等教育制度の拡充が進められているからだ(図1「博士号の増産傾向」参照)。その一方で、世界のかなりの国と地域では、理系博士号取得者が、その資格を十分に活用する機会に恵まれずに終わるおそれが生じている。

米国、日本を含む一部の国々では、長い年月と多額の費用をかけて研究者になるための教育を受けながらも、博士号取得者が供給過剰状態になっている。大学職員の求人数は先細り傾向にあり、産業界もその不足分を補えていない。仕事を持たない博士号取得者の数はさすがに少ないが、例えば高校教師といった仕事に就くために、何年もかけて博士号という高レベルの資格を獲得する必要があるのかどうか、わからなくなっている。ところが中国やインドなどでは急速な経済発展が続いており、国内で量産される博士号取得者をすべて活用しても、なお人材は不足気味だ。ただし、博士号取得者の質についてバラつきが問題になっている。一方で、ドイツなど少数の国々では、博士課程教育を再定義して、問題にうまく取り組んでいる。つまり研究者育成教育の枠を超えて、政府組織や民間企業において高い職位に就くための教育課程に変えようとしているわけだ。ここでは、さまざまな状況に直面している各国の大学院博士課程教育の動向について報告する。

日本:制度の危機

理系大学院の博士号取得者の進路を比べた場合、日本が最悪国の1つであることはほぼ間違いない。1990年代に、日本政府は、それまでの3倍もの規模である「ポスドク1万人計画」を立て、大学院博士課程の定数を大幅に増やした。目的は、日本の科学力を欧米諸国並みに高めることだった。目標の人数はすばやく達成されたが、彼らポスドクの就職先は今もなお満たされておらず、考えなしの政策だったと厳しく批判されている。

そもそも日本の学界はポスドクなど欲しがっていない。高等教育に進む18歳人口は減少傾向にあり、大学は新たな教員を必要としていないからだ。産業界も同様で、伝統的に、実地で仕事を覚えさせることのできる若くてフレッシュな学部卒業生を求めてきた。ポスドク就職浪人1万8000人を救済・解消する取り組みの1つとして、文部科学省は2009年に、国内で就職浪人中のポスドクを採用した企業に、1人当たり約400万円の補助金を交付する制度を実施した。それでも、思わしい結果は得られていない。

ポスドクと企業の「縁結びはとにかく難しい」と科学技術振興機構の北澤宏一(きたざわこういち)理事長は話す。要するに、新卒の博士に対する求人数が少ないのだ。2010年に自然科学系博士号を取得した1350人のうち、卒業時までに常勤職への就職が決まったのは、全体の半数をやや超える程度(746人)にとどまった。その中で大学の科学・技術関連業務に就いたのは162人に過ぎず、残りの250人は産業界、256人が教育分野に就職し、38人が公務員になった。

博士号授与数の推移
図2:博士号授与数の推移
全研究分野の博士号授与数の年次推移

こうした暗い見通しもあって、日本では博士課程への進学者数が減少している(図2「博士号授与数の推移」参照)。「日本の労働市場における博士の将来については、全員が悲観論者です」と筑波大学の大学研究センターで科学技術労働力問題を専門とする小林信一(こばやししんいち)教授は話す。

中国:質より量?

中国では、博士号取得者の数が急増している。2009年には、博士号取得者数が全分野合わせて約5万人となり、一部の統計では世界一になったとされる。ここでの主たる問題は、質の低い卒業生が多いことだ。

華東師範大学(上海)の認知神経科学者 Yongdi Zhou は、4つの要因を挙げる。①博士課程が3年と短すぎる点、②博士課程の指導教官の資質が不十分な点、③制度に品質管理が欠けている点、④成績不良の学生を退学させる明確な仕組みがない点、である。

たとえ質が悪くても、中国の博士号取得者の大部分は、故郷で就職できる。好景気と関連施設の拡充によって、レベルは低くても雇用されるのだ。「大学への就職は、中国の場合、米国などよりかなり容易です」と清華大学(北京)の構造生物学者 Yigong Shi は話す。同じことは、産業界についてもいえる。

一方で、国際競争力のある大学に就職を希望する博士号取得者は、さまざまな問題に直面している。一流の大学や研究機関で人気の高い職に就くには、海外での博士研究員など、さらなる研鑽(けんさん)が必要になる。そしてそうした研究者の多くは中国には戻らず、最も優秀な人材の海外流出につながっているのだ。

中国では、各大学で海外の学者の採用を増やす方針が打ち出されており、これによって質の問題は解決できると思われる。また、論文審査委員会や学生のローテーション制度を導入する大学が増えており、これによって、学生が階層組織の中で1人の指導教官に縛られる問題を回避できる、と Shi は説明する。そして「現在、中国全土では、さまざまな大学院課程で重要な取り組みが実施されています。中国は、常に変化を続けているのです」と付言した。

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