Editorial

モノクローナル抗体がもたらした医学と生命科学の革新

生化学者のGeorges Köhler(左)とCésar Milsteinは、モノクローナル抗体に関する研究により、Niels Kaj Jerneと共に1984年のノーベル生理学・医学賞を受賞した。 Credit: Bonn-Sequenz/ullstein bild/Getty, Bettmann/Getty

1975年8月7日、Natureは現代科学と医療に極めて大きな影響を与えた論文を掲載した1。生化学者Georges KöhlerとCésar Milsteinによるその研究は、いわゆるモノクローナル抗体と呼ばれる抗体を実験室で大量に作製する方法について報告したものだ。免疫系が産生する抗体は、特定の抗原(ウイルスや細菌などの外来性因子が体内で作り出し、体内の防御機構に作用する分子)だけに結合する特異的なものである。モノクローナル抗体は大量生産が可能で、任意の標的を認識するよう設計できる。このため、モノクローナル抗体は、基礎研究の基盤となっただけでなく、臨床では自己免疫疾患2、アレルギー3、がん4などの診断と治療に広く用いられている。

ジェネンテック社(Genentech、米国カリフォルニア州サンフランシスコ)に所属する研究者であるAndrew Chan、Greg Martyn、Paul Carterが抗体治療の過去・現在・未来について論じたNature Reviews Immunologyの総説論文によると、これまでに少なくとも212の抗体医薬が開発され、数千万人に恩恵をもたらしているという5。モノクローナル抗体の世界市場は、2024年時点で約2500億ドル(約37.5兆円)の規模に達しており、今後5年でその価値が倍増すると見込まれている(go.nature.com/4muxakf参照)。

KöhlerとMilsteinの論文は、抗体の起源、構造、作用機序、そして免疫系における役割を解明するための世界的な努力の結晶であった。そして、この成果は、今日のような大規模で複雑な共同研究コンソーシアム組織や資金体制が存在しない状況で成し遂げられた。当時は、英国医学研究会議(MRC)や米国立がん研究所(NCI)のような主要な資金配分機関が現在ほど積極的に介入していなかったのである。この事例は、研究者同士の研究内容のやりとり、情報交換、研究材料の共有を認めるだけで、数十億ドル(数千億円)規模の産業を生み出せることを示している。

Milsteinが1960年代初めにMRC分子生物学研究所(LMB、英国ケンブリッジ)に着任した時点で、抗体の基本的な構造はある程度解明されていた(当時、LMBはDNA構造研究で世界をけん引していた)。しかし、抗体がどのようにして特定の抗原を標的とするのかは分かっていなかった。

生物学者Joshua Lederbergの体細胞変異(親から受け継がれないDNAの変化)が抗体の多様性の基盤にあるという理論6を受けて、Milsteinと同僚の生化学者Sydney Brennerは、こうした変異が遺伝子のある限られた領域に集中する仕組みがあると提案した7。こうした考えへの関心が高まるにつれ、実験室で抗体産生細胞を増殖させる方法を確立する必要性が生じた。複数の研究グループがこれを実現したことで、Milsteinらは免疫応答に重要な白血球のがんである骨髄腫を材料に、理論を実験的に検証できるようになった。しかし、作業は容易ではなかった。特に、体細胞変異が起こるのはまれだからである。「困難だったのは、どの抗原に骨髄腫細胞が結合するのか誰にも分からなかったことです」と、MRCのモノクローナル抗体40周年展を監修した医史学者のLara Marksは説明する。

MilsteinとKöhlerは、この問題を次のように解決した。特定の抗原でマウスを免疫し、動物の脾臓から健康なB細胞を採取するという方法だ。彼らは、この方法によって、免疫した抗原に特異的な抗体が産生されると予測した。次に、この抗体産生細胞を、マウスの骨髄腫細胞と融合させ、ハイブリドーマと呼ばれる雑種腫瘍細胞を作製した。この技術を用いることで、特異性の分かっている抗体を事実上無限に生産できるようになったのだ。

知識や研究材料の自由なやりとりは確実に見返りを生む

Milsteinの研究室には細胞株提供の依頼が多く寄せられ、それらはほとんど無償あるいは低コストで世界中の研究者に送られた。これにより、他のグループがMilsteinらの発明を再現して発展させることが可能となり、現在の産業が形成された。政策立案者の中には、LMBやMRCが知的財産について考えるのが遅過ぎたのではないかと懸念する者もいたが、振り返ってみると、その批判は公平ではない。というのも、当時はバイオテック産業がまだ未成熟であり、米国(および英国)では、公的資金で得られた研究成果を大学が特許化できるようになるまでに数年の時間を要していたからである。このブレイクスルーに関わった多くのグループは、当時の研究コミュニティーの慣行に従って行動しており、まずは基礎的な科学的問いに答えることを目指していた。

モノクローナル抗体を中心とした巨大産業は成長を続けており、科学者らは現在、人工知能技術をどのように用いて薬剤の性質を備えた抗体を設計するかといった、新たな問いに取り組んでいる。これは、こうしたツールをタンパク質構造予測のために使うよりも難度が高い。

モノクローナル抗体の物語は、医療を変えた産業が科学者間の継続的な協力と引き継ぎによって生まれることを教えてくれる。モノクローナル抗体の発見から50年を経て、科学の景観は、多くの点で改善された。しかし、研究資金配分機関や政策立案者は、短期間の資金や複雑な管理構造が画期的発見を本当に促進しているのかを今一度考える必要がある。そして、ステークホルダーらは、おそらく最も重要な点を見失ってはならない。知識や研究材料の自由なやりとりは確実に見返りを生む、という点である。

翻訳:編集部

Nature ダイジェスト Vol. 22 No. 11

DOI: 10.1038/ndigest.2025.251105

原文

Monoclonal antibodies revolutionized biomedical science and health care
  • Nature (2025-08-07) | DOI: 10.1038/d41586-025-02452-7

参考文献

  1. Köhler, G. & Milstein, C. Nature 256, 495–497 (1975).
  2. Bird, L. Nature Immunol. 17, S17 (2016).
  3. Durham, S. R. & Shamji, M. H. Nature Rev. Immunol. 23, 317–328 (2023).
  4. Bondar, T. Nature Immunol. 17, S18 (2016).
  5. Chan, A. C., Martyn, G. D. & Carter, P. J. Nature Rev. Immunol. https://doi.org/10.1038/s41577-025-01207-9 (2025).

  6. Lederberg, J. Science 129, 1649–1653 (1959).
  7. Brenner, S. & Milstein, C. Nature 211, 242–243 (1966).