福島第一原発事故:科学者の声を政府に
福島第一原子力発電所事故から9か月以上が経過したが、そこで何が起きたのか、根本的な疑問は答えられないまま残っている。これらの答えが与えられないかぎり、日本はもちろん、世界の国々も、何がいけなかったのか、今、何をするべきなのか、今後、同様の事故を防ぐためにはどうすればよいのかを知ることはできない。Nature 2011年12月15日号では、Commentのセクションで、日本の2人の政治家(うち1人は元首相)による懸念と提案を掲載した(Nuclear energy: Nationalize the Fukushima Daiichi atomic plant)。
福島第一原発を運営していた東京電力は、10月末になって、ようやく黒く塗りつぶしていないマニュアルを公表したが、それは、不測の事態への備えがどれだけ手薄であったかをさらけ出した。このような状況は、以前から日本が抱えている問題、すなわち、独立の立場から政府に強く助言する科学の声がないという問題と深く関係する。そのような声がもしあれば、今回の事故の場合も、住民の避難、医療支援、放射能スクリーニング、除染の実施にあたって役に立った可能性がある。
日本政府は、ここ数十年間、厄介な科学的概念が絡む難問題に直面するたびに、その責任を官僚や政治家に押しつけてきた。しかし、彼らの多くは問題をよく理解できず、問題を隠蔽して過ぎ去るのを待つという悪手を打ってしまった。これはまさに政府がしてはならないことだ。
1950年代から1960年代の水俣病問題(海に流された工場廃液により多数の有機水銀中毒患者が発生)、1990年代の薬害エイズ問題(HIVに汚染された血液製剤の使用により多数のHIV感染者が発生)、2000年代初頭のBSE問題などがその例だ。福島原発事故でも同じ轍を踏んだ。例えば、シミュレーションから放射性物質の拡散が予想されていたにもかかわらず、パニックが広がることを恐れて警報を出さなかった。これにより、防げたはずの住民まで被曝した可能性がある。
日本政府は、福島第一原発事故に関する科学的な情報の多くを、経済産業省の原子力安全・保安院と、原子力安全委員会という2つの機関から得ていた。どちらも原子炉の物理学に関する専門知識は持っていたが、原子力産業とのつながりもあって、利益相反を生じていた。そして、政府が迅速な決定を行うための実際的かつ機敏な情報源になることができなかった。政府は、こうした点を認めて、原発のモニタリングと安全規制機能を、環境庁の外局として新たに発足させる原子力安全庁に移管することにしたが、その有効性は証明されていない。
日本政府は、科学者との間に、もっと太く、恒久的なパイプを持ち、その助言に耳を傾けるようにしなければならない。今回の事故は、彼らに将来の有事の際に迅速かつ果断に行動できるような組織作りの必要性を痛感させたはずである。
日本はまず、米国や英国などに倣って、科学顧問を置くべきだ。5年前にも科学者を内閣特別顧問に任命し、同じシステムを作ったと宣言したことがあった。しかし、科学に関する広範な問題について助言する本来の科学顧問とは異なり、イノベーションの促進を使命としていたうえ、試み自体もわずか2年で終わってしまった(Nature 443, 734-735; 2006)。現在、日本政府に科学顧問はいない。日本学術会議に米国科学アカデミーのような役割を持たせようとする動きもあるが、実現には至っていない(Nature 428, 357; 2004参照)。
科学者は、ある状況に関して、既知の事実を人々が理解する介添人となることができる。もっと重要なのは、「知りえないこと」を理解させる助けとなることだ。確実なことが言えないとき、科学者は、それに伴うリスクを市民に理解させ、政府が説得力ある明瞭な言葉で説明する手伝いができる。
公平で、政治と無関係の視点から説明できる科学者は、たとえ状況が変わって当初の評価を覆さざるをえなくなったとしても、その政治的思惑を勘ぐられるおそれは小さい。科学者は、国民には不評だがどうしても必要な決断をせざるをえない政治家を擁護することもできる。政治的に任命された科学顧問なら、政治家との間に個人的信頼関係を築くことも可能であろう。
日本は、もっとうまくできる。日本人は現状に甘んじてはならない。
翻訳:三枝小夜子
Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 2
DOI: 10.1038/ndigest.2012.120232