脳の守護者たち
脳の免疫系には、輸送管網(青色)と骨髄で作られた脳独自の免疫細胞(緑色)が含まれる。 Credit: SILING DU, KIPNIS LAB, WASHINGTON UNIV. IN ST. LOUIS
脳は身体の主権者であり、その高い地位にふさわしい保護を受けている。脳細胞は長期間生存し、血液脳関門と呼ばれる難攻不落の要塞の中にかくまわれている。長い間、科学者たちは、脳は身体の他の部分の混乱から、特に、活発な防御システムである免疫細胞集団から完全に遮断されていると考えていた。感染と闘う免疫細胞集団は、その活動が過激になり過ぎて支配者である身体までも攻撃してしまう可能性がある。
しかし、過去10年の間に、脳の保護はこれまで考えられていたほど単純なものではないことが分かってきた。脳を守る要塞には通路や隙間があり、また、脳の境界部には活性化した免疫細胞が豊富に存在することが分かってきた。
最近の発見により、ミクログリアの機能がより詳細に説明されるとともに、脳の周辺領域に存在する他の免疫戦士たちの特徴も明らかになりつつある
現在、脳と免疫系が密接に関連していることを示す多くの証拠が得られている。脳にはミクログリアと呼ばれる独自の免疫細胞が存在することは既に知られていた。最近の発見により、ミクログリアの機能がより詳細に説明されるとともに、脳の周辺領域に存在する他の免疫戦士たちの特徴も明らかになりつつある。これらの細胞の一部は体内の他の場所から来ているが、頭蓋骨の骨髄で局所的に産生されるものもある。これらの免疫細胞を研究して、脳とどのように相互作用するかを明らかにすることで、これらの免疫細胞が健康な脳と病気にかかったり損傷を受けたりした脳の両方で重要な役割を果たしていることが分かってきた。この分野への関心は非常に高まっており、これに関する論文は、2010年には年間2000編以下だったのに対し、2021年には年間1万編以上に膨れ上がり、ここ数年でいくつか大きな発見がなされている。
科学者たちはもはや、脳を特別に封印された領域とは考えていない。ブリュッセル自由大学(ベルギー)の神経免疫学者Kiavash Movahediは、「免疫特権という考え方は、今ではかなり時代遅れになっています」と述べる。確かに脳は免疫学的に独特な場所と考えられており、その障壁が免疫細胞の自由な出入りを妨げてはいるが、脳と免疫系が常に相互作用していることは明らかだと、彼は付け加える(「脳の免疫防御」参照)。
脳の免疫防御
長い間、脳は身体の免疫系から切り離されていると考えられてきたが、現在では、脳には独自の免疫細胞が存在しており、同時に、他の免疫細胞が髄膜という液体で満たされた境界部を循環していることが分かっている。脳の内部にはミクログリアが、辺縁部にはT細胞やマクロファージが存在する。これらの細胞は協力し合って、健康な脳の機能を助け、病気から脳を守っている。 Credit: NIK SPENCER/NATURE
国立衛生研究所(NIH)傘下の国立精神衛生研究所(NIMH;米国メリーランド州ベセスダ)で神経内分泌学・神経免疫学プログラムの主任を務めるLeonardo Tonelliによれば、このような考え方の変化は科学界に広く浸透しているという。彼の経験では、NIMHの助成金申請を審査する神経科学者のほぼ全員が、この脳と免疫系の関係を受け入れているという。しかし多くの研究者は、神経免疫学の最新の発見に追いつく必要がある。最新の発見によって、基礎となるメカニズムが明らかになり始めているのだ。
脳と免疫系がどのように結び付いているかが急速に解明されていることから、多くの疑問も生じてきたと、スタンフォード大学(米国カリフォルニア州)の神経免疫学者Tony Wyss-Corayは言う。「正常な脳機能、あるいは疾患において、これがどの程度重要なのか? それは答えるのが非常に難しい疑問です」。
特権的な空間
神経免疫学者のMichal Schwartzは、20年以上前にワイツマン科学研究所(イスラエル・レホボト)で自身の研究室を立ち上げたばかりの頃、ある「主流から外れた疑問」が頭から離れなかった。脳が免疫保護から完全に切り離されているというのは本当だろうか? 「脳はいかなる免疫活動にも耐えられないというのが定説でした。もし何らかの免疫活動があれば、それは疾患の徴候だと誰もが考えていたのです」と彼女は言う。「しかし、脳のような必要不可欠な組織が、免疫系に助けられるというメリットを享受できないというのは、理屈に合いません」。
免疫系にとって脳は立ち入り禁止区域だという考え方は、その何十年も前から根付いていた。1920年代に日本の白井という医学者(編集部註:白井珍三郎氏と思われる)が、腫瘍細胞をラットの体内に移植すると免疫反応によって破壊されるが、脳に移植すると生存すると報告した1 (編集部註:文献1は1921年出版の東京醫事新誌 第2225巻の可能性が高い)。つまり、脳内の免疫反応は非常に弱いか、欠如しているというのだ。1940年代にも、同様の結果が報告されている。
また、ほとんどの科学者が、脳には身体の他の場所に存在するリンパ排液系のような、免疫分子を出し入れするシステムがない、と考えていた(しかし、そのような系の存在は18世紀に報告されていた2)。当時は、脳と免疫系はほとんど別々に機能しているというのが一般的な見方だった。脳と免疫系が衝突するのは、例えば多発性硬化症などの病気で見られるように、免疫細胞が暴走して体内の細胞を攻撃するといった、敵対的な状況下に限られると考えられていた。
だから1990年代後半、Schwartzの研究チームが、中枢神経系の急性損傷後、2種類の免疫細胞(マクロファージとT細胞)が神経細胞を損傷から守り、その回復を助けると報告したとき3、多くの科学者は懐疑的だった。Schwartzは、「私はみんなから、『君は絶対に間違っている』と言われました」と振り返る。
この初期の実験以来、Schwartzのチームや他の研究者たちは、自己免疫疾患がない場合でも、免疫細胞が実際に脳で重要な役割を担っていることを示す多くの証拠を集めてきた。例えば、免疫系を欠如させた改変マウスでは、運動ニューロン疾患(筋萎縮性側索硬化症)やアルツハイマー病などの神経変性疾患がより急速に進行する4のに対し、免疫系を回復させるとその進行が遅くなることが明らかにされた。また、アルツハイマー病においてミクログリアが役割を持つ可能性も明らかになった(2012年8月号「ミクログリアは働き者の庭師」、2018年7月号「認知症に脳の炎症の影」参照)。
脳脊髄液(青色)で運ばれたシグナル分子は、脳の硬膜にある血管(赤紫色)の中の免疫細胞に提示される。 Credit: Justin Rustenhoven, Kipnis lab, Washington University in St. Louis
もっと最近では、脳の辺縁部にある免疫細胞が神経変性疾患において活性化していることも示された。Wyss-Corayらは、アルツハイマー病患者の脳脊髄液を調べ、その結果、脳脊髄液で満たされた脳の境界部でT細胞の数が増加しているという証拠を見つけた5(2019年10月号「老化した脳ではT細胞が神経幹細胞を抑制」参照)。このような免疫細胞集団の増加は、免疫細胞がアルツハイマー病に関与している可能性を示唆しているとWyss-Corayは言う。
しかし、免疫細胞が脳を傷つけるのか助けるのかについては、まだ結論は出ていない。アルツハイマー病やその他の神経変性疾患の研究において、Wyss-Corayらは、免疫系が炎症を促進し細胞死を誘発する分子を放出することによって神経細胞を傷つけている可能性を示唆している。また、他の研究者は、T細胞などの免疫細胞が逆に神経細胞を保護している可能性を示唆している(2013年10月号「脳損傷時のニューロン保護作用とグリア細胞のカルシウム濃度」、2021年5月号「免疫細胞の代謝変化により老化した脳が障害される」参照)。例えば、Schwartzの研究チームは、アルツハイマー病モデルマウスにおいて免疫反応を高めると、アルツハイマー病の病理学的特徴であるアミロイド斑が消失し、認知能力が向上すると報告している 6。
忙しい境界線
現在では、脳の周囲は免疫学的に多様であることが明らかになりつつある。体内のほぼ全ての種類の免疫細胞が、脳の周囲にも存在する。脳は液体で満たされた髄膜によって包まれているが、髄膜はまるで「免疫学の不思議の国だ」と、脳境界部のマクロファージを研究テーマとしているMovahediは言う。「そこでは、実に多くのことが起こっています」。
境界部にのみに存在している細胞もある。2021年、ワシントン大学(米国ミズーリ州セントルイス)の神経免疫学者Jonathan Kipnisらは境界部に、頭蓋骨の骨髄で局所的に産生される免疫細胞が存在すると報告した7。
Kipnisらが、骨髄がこれらの細胞を動員する仕組みを調べたところ、中枢神経系の損傷や病原体の存在に反応して、脳脊髄液中の信号が頭蓋骨の骨髄に送られ、これらの細胞の産生と放出が促されることが明らかになった8。
これらの局所で産生される免疫細胞がどんな役割を持つかはまだ分かっていないが、Kipnisのチームは、それらの免疫細胞は、体内の他の場所から来る免疫細胞よりも働きが穏やかで、戦闘を促すのではなく、免疫反応を調節しているのではないかと考えている。Kipnisは、この違いがもし本当なら、治療にも意味があるという。多発性硬化症のような病気では、体の他の場所から免疫細胞が入ってくるのを防ぐことによって、おそらく症状を改善させることができるだろうと、彼は言う。これに対して、脳腫瘍の場合は、「攻撃的な免疫細胞が必要なのです」とKipnisは付け加える。
Kipnisのチームはまた、脳の表面に蛇行しながら分岐している脈管ネットワークを発見しており、その内部には免疫細胞が豊富に存在し、脳独自のリンパ系を形成していることも明らかにした9。これらの脈管は髄膜の一番外側にあるため、免疫細胞は感染や傷害の兆候を脳の近くで監視できる。
病めるときも健やかなるときも
脳の損傷や疾病の際に免疫細胞が関与していることを示す証拠が蓄積されるにつれて、健康な脳における免疫細胞の機能が調べられるようになってきた。「神経免疫学の最も胸躍る点は、非常に多くの異なる疾患や症状だけでなく、正常な生理機能にも関連があることです」とボストン小児病院(米国マサチューセッツ州)の神経科学者Beth Stevensは言う。
Stevensの研究チームをはじめ多くのチームが、脳の発達にミクログリアが重要であることを発見している。ミクログリアは神経細胞のシナプス刈り込みに関与しており、刈り込み過程に問題があると神経発達障害につながる可能性があることが研究により示唆されている。
境界部の免疫細胞もまた、健康な脳に不可欠であることが示されている。例えば、KipnisやSchwartzらは、これらの細胞の一部を欠いたマウスには、学習や社会的行動に問題が見られることを示した10。さらに2020年には他の研究者たちが、脳と身体の他の部分の両方で特定のT細胞集団が欠損したマウスでは、ミクログリアに欠陥が見られることも報告している11。そうした欠陥のあるミクログリアは、発達の過程で神経細胞のシナプス刈り込みがうまくできなくなり、シナプス数の過剰と異常行動を引き起こす。著者らは、この重要な時期に、T細胞が脳に移動して、ミクログリアの成熟を助けると提唱している。
大きな謎の1つは、免疫細胞、特に境界周辺の免疫細胞が、具体的にどのように脳と対話しているかだ。時折、免疫細胞が脳内を通過することがあるという証拠もあるものの、これまでのほとんどの研究は、免疫細胞がサイトカインと呼ばれる分子メッセンジャーを送り込むことによって情報伝達を行っていると示唆している。そして、このサイトカインが行動に影響を与えるのである。
研究者たちは、サイトカインが行動にどのように影響するかを何十年にもわたって研究しており、感染時に免疫細胞が放出するサイトカインによって睡眠の増加といった「疾病行動」が引き起こされることなどが分かっている12。また、体内のサイトカインを減少させたり、神経細胞上の特定のサイトカイン受容体をノックアウトしたりすることによって誘発されるサイトカインの変化が、記憶、学習、社会的行動の変化を引き起こすことも動物モデルで明らかにされている13。サイトカインがどのようにして脳に到達し、その効果を発揮するかについては、現在も活発に研究が行われている。
また、サイトカインが、免疫系と自閉スペクトラム症などの神経発達疾患とを結び付けている可能性もある。マサチューセッツ工科大学(米国ケンブリッジ)の神経免疫学者Gloria Choiらは、妊娠中のマウスでサイトカイン濃度を高めたところ、生まれた仔に脳の変化や自閉スペクトラム症に似た行動が見られたという14。
こうした洞察は興味深くはあるが、免疫細胞、特に境界部の免疫細胞が脳内でどのように働くかについての研究の多くは、まだ始まったばかりだ。「健康な脳で何が起こっているのかを理解するには、まだまだ長い時間がかかるでしょう」とKipnisは言う。
双方向性の道
免疫系と脳との間の情報伝達は逆方向にも働くようだ。脳が免疫系に指示を与えることもある。
これらの知見のいくつかは、数十年前に得られたものである。1970年代、科学者たちは、数日間にわたりラットが人工甘味料のサッカリンを口にすると同時に免疫抑制剤を投与して、サッカリンを味わうと免疫抑制状態になるよう条件付けした15。
より最近の研究では、テクニオン・イスラエル工科大学(ハイファ)の神経免疫学者であるAsya Rollsの研究チームが、マウスにおいて感情、免疫、がんの間の関連性を探った。彼らは2018年に、前向きな感情やモチベーションに関わる脳領域である腹側被蓋野のニューロンを活性化すると、免疫反応が高まり、その結果、腫瘍の成長が遅くなることを報告した16。
そして2021年、Rollsのチームは、島皮質(感情や身体感覚などの処理に関わる脳領域)のニューロンが、大腸の炎症(大腸炎としても知られる状態)の際に活性化することを突き止めた。
研究チームは、これらのニューロンを人工的に活性化することで、腸の免疫反応を再活性化させることに成功した17(2022年5月号「脳のニューロンは腸の炎症を再燃させる」参照)。パブロフの犬がベルの音と餌を結び付けて学習し、その音を聞くと必ず唾液を分泌するようになったのと同じく、これらの齧歯類のニューロンには免疫反応の「記憶」が残っており、これを再起動させることができるのだ。「この研究から、神経細胞と免疫細胞の間に非常に強力なクロストークが存在することが分かりました」と、Movahediは言う。Movahediはこの研究には関わっていない。
Rollsは、生物がこのような免疫学的「記憶」を進化させたのは、身体が病原体に遭遇する可能性のある状況下で免疫系を強化するのにこうした記憶が有利に働くからではないかと推測している。しかし、ある種の状況では、この「記憶」が適応不全になることもある。つまり、身体が感染を予期して不必要な免疫反応を起こし、付随的な損害を引き起こすことがあるのだ(2021年5月号「腸内細菌はどのように脳を変えるのか」参照)。Rollsによれば、この経路は、心理状態が免疫反応にどのように影響するかを説明するのに役立ち、多くの心身症のメカニズムにつながる可能性があるという。
また、この経路は治療法のヒントにもなり得る。Rollsの研究チームは、これらの炎症関連ニューロンの活動を阻害することで、大腸炎マウスの炎症を軽減できることを見いだした。Rollsらは、この発見をヒトに応用したいと考えており、非侵襲的な脳刺激によって活動を抑制すると、免疫系によって引き起こされるクローン病や乾癬の患者の症状を緩和するのに役立つかどうかを検証している。この研究はまだ初期段階だが、「うまくいけば非常に素晴らしい治療法になります」とRollsは言う。
他の研究グループも、脳がどのように免疫系を制御しているかを研究している。Choiのチームは、免疫反応を調節する特定の神経細胞や回路を追跡している。将来的には、脳と免疫系の相互作用の包括的なマップを作成し、双方向の情報伝達を担う細胞、回路、分子メッセンジャーの概要を説明し、それらを行動や生理的な情報と結び付けることができればとChoiは考えている。
現在の最大の難題の1つは、これらの無数の機能にどの細胞集団が関与しているかを解き明かすことだ。この難題に取り組むために、一部の研究者は、単一細胞の遺伝子塩基配列を解読することによって、これらの細胞が分子レベルでどのように異なるかを調べている。その結果、例えば神経変性疾患と関連するミクログリアのサブセットが明らかになった。これらのミクログリアの働きが、健康なミクログリアの働きとどのように異なるのかが分かれば、治療法の開発に役立つだろうとStevensは言う。また、それらは病気の進行や治療効果を追跡するためのマーカーとしても利用できるかもしれないと、Stevensは付け加える。
研究者たちは既に、脳内と脳周辺の免疫生態系に関するこれらの手掛かりを利用し始めている。例えば、Schwartzのチームは、免疫系を若返らせてアルツハイマー病と闘おうとしている(2017年6月号「脳機能を若返らせる臍帯血成分」参照)。この研究は、特に神経変性疾患に対する治療において新しい道を開くものだとSchwartzは言う。「脳研究の歴史の中で、今が最も刺激的な時期なのです」。
翻訳:古川奈々子
Nature ダイジェスト Vol. 19 No. 9
DOI: 10.1038/ndigest.2022.220932
原文
Guardians of the brain: how a special immune system protects our grey matter- Nature (2022-06-02) | DOI: 10.1038/d41586-022-01502-8
- Diana Kwon
- Diana Kwonは、ベルリンを拠点とするフリーランスの科学ジャーナリスト。
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