冷淡な科学は市民から信用されない
Gail Cardewは、研究者の非営利協会ユーロサイエンス(EuroScience)の副会長、サセックス大学(英国ブライトン)の名誉博士、英国王立研究所の科学・文化・社会学教授。 Credit: PAUL WILKINSON
2020年2月、ウェルカムトラスト(英国ロンドン)の調査により、思いやりのなさや、それよりもっと悪いものが科学界にはびこっていることが確認された(go.nature.com/2v4fn3w)。学術界のリーダーたちは、そうしたプレッシャーが若手研究者の健康と科学の質を損なう恐れがあることについて警鐘を鳴らしている。だが私は、心配すべき点は他にもあると考えている。
こんなにも多くの科学者が信頼も敬意もない文化の中で養成されている今、科学者と市民が、互いに信頼し合い、尊重し合うような関係を築ける希望などあるだろうか?
科学者と市民の間にこうした関係を築くことは喫緊の課題である。かつて物議を醸した政治家マイケル・ゴーブ(Michael Gove)の言葉を借りれば、「市民は専門家の言うことに嫌気がさしている」からだ(訳註:2016年に英国のEU離脱を巡る国民投票の際、多くの専門家が離脱の害を説いていたのに対し、彼はこう言って離脱を主張し、離脱派を勝利に導いた)。同様のことは世界中で言われている。
世論調査会社イプソス・モリ(Ipsos MORI;英国ロンドン)が2019年に発表した信頼に関する報告書によると、人が市民から信頼されるかどうかは、その振る舞い、特に、他人を思いやることができるかどうかに強く影響されるという。有能なだけでは信頼されないのだ(go.nature.com/37lydga)。このことは、汚染の可能性のある土地に暮らし、科学者からリスクがあると指摘された人々へのアンケート調査によって裏付けられている。調査の結果、リスク評価の根拠となる科学を信用していないと答えた人々は、科学者の専門知識ではなく、科学者が自分たちと利益を共有しているのかどうかを疑っていたことが明らかになっている(go.nature.com/2giuvyb)。
私は多くの理由から、科学における思いやりのなさを悲しく思っている。もちろん、発見の喜びを心ゆくまで味わえることを期待して科学者になったのに、研究テーマへの愛を失い、代わりに恐怖と不安でいっぱいになってしまったという献身的な研究者には同情する。けれども私は、このことを悲しくも思う。こうした有害な文化が研究室から漏れ出し、市民に対する科学者の態度を汚染するのを目の当たりにしているからだ。
私は、科学と文化と社会の関係を何十年も研究してきた。最近では、王立研究所(英国ロンドン)の科学・教育部門長として、一流の科学者と市民とを、直接に、ネット上で、テレビで、教室でつなげるチームを率いた。私は長年、科学者には自分の研究とその意味を論じる義務があると信じている。
責任を持って研究を行うことには、市民と関わることも含まれている。その努力をする研究者は増えている。彼らは科学フェスティバルで話をしたり、市民向けの講演をしたり、学校を訪問したりしている。そうした研究者の中には、自分の研究について話すだけでなく、科学者として、人類が直面する数多くの未解決の問題について考える機会に恵まれることの素晴らしさを語る者も多い。
講演を行う研究者のほとんどは聴衆に興味を持ち、聴衆からの質問に対して、思慮に富んだ鋭い答えを与える。けれども中には、聴衆からの発言を自分の専門知識を疑うものと解釈して対決姿勢をとる講演者もいる。的外れに感じた質問やくだらないと思った質問には取り合わないという講演者もいる。また、聴衆から質問が出ないときに、気後れを無感心と誤解して不快感をあらわにする講演者もいる。聴衆とやりとりをしたとしても、その態度が冷たいと、もっとまずいことになる。欧州での極めて見苦しい事例としては、「質問をしない」と言って聴衆の中の女性たちをなじる講演者がいた。当時会場にいた聴衆は、その後、科学のことも、科学に基づく政策の重要性も、あまり尊重しなくなったことだろう。
ここで思い出すのは、NASAの主任科学者だったEllen Stofanが、1人の子どもから「火星に行くのにレゴブロックは役に立ちますか?」と質問されたときの答えだ。彼女はこう言った。「NASAが何かをするためには、どんなことでも、まずは誰かがそれを想像する必要があります。人間は、創造的で革新的になることを学ばなければなりません。だからこそ芸術は教育の重要な一部になっているのです」。この答えを聞いた聴衆は、科学をいっそう尊重するようになったはずだ。フィールズ賞受賞者Cédric Villaniは、市民参加(public engagement)について次のように述べた。「市民参加は私たちを生き返らせてくれます。自分が何をしているか、なぜそれをしているかを理解するのを助けてくれます」。
ウェルカムトラストの調査は、研究者の5分の4近くが、競争により思いやりのない攻撃的な環境が作り出されたと感じていることを明らかにした。多くの研究者(61%)がいじめやハラスメントを目撃していて、43%は自分が被害者になる経験をしていた。こうしたことを躊躇なく語れると答えた研究者はわずか37%だった。
この調査を受けてNature が実施したアンケート調査では、多くの人が、研究文化を変えたのは、所属機関や助成機関、研究室の主宰者だと回答していた(go.nature.com/36j4yar)。科学と科学者への信頼を育みたいと願うなら、私たちは「何を」成し遂げるかだけでなく、周囲の人々に「どのように」影響を及ぼすかも考えなければならない。私が王立研究所を退職したときにもらった別れの言葉で何よりもうれしかったのは、「思いやりのある人道的な」やり方で素晴らしいことを成し遂げたと言われたことだった。
人道的な環境は、運ではなく決断によって出来上がる。どうすればもっとうまく状況に対処できたのかを振り返る時間を定期的に持ち、関係者に対して速やかにそれを認める勇気を持とう。周囲の人々に助言をもらおう。特に、あまり経験がないと思われる人々や、権力を明らかに持っていない人々の意見を聞こう。彼らは新鮮な視点を持っている場合がある。学習し、成長するための時間を人々に与えよう。彼らを助ける必要があるときと、失敗しても自分の力で進むように放っておくべきときを察しよう。何よりも重要なのは、誰もが仕事に打ち込める環境にすることだ。つまり、生活や背景の違いが尊重され、独自の視点や貢献が批判として解釈されることなく適切に評価されなければならない、ということだ。
思いやりのある研究文化からは、強力で奥行きのある研究支援と質の高い科学が生まれる。市民からの信頼を維持することは、騒々しい世界の中で、より大きな声で叫ぶことではない。私たち自身の振る舞いを振り返り、こう自問自答するのだ。私たちは他の人々の利益のために行動しているだろうか?
翻訳:三枝小夜子
Nature ダイジェスト Vol. 17 No. 5
DOI: 10.1038/ndigest.2020.200520
原文
People will not trust unkind science- Nature (2020-02-04) | DOI: 10.1038/d41586-020-00269-0
- Gail Cardew
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