Author Interview

陽子と、反物質「反陽子」の質量が同じであることを世界最高精度で測定 ― 「CPT対称性は、維持されていた」

堀 正樹氏

2011年7月28日掲載

身の周りの自然で起こる物理現象の根本原則である「CPT 対称性」。電荷、空間、時間の変換が同時に起こっても、この対称性が維持されるという基本原理を実験で検証することは、宇宙誕生当時に何が起きたかをしる手がかりとして注目される。堀さんは、原子核を構成する陽子と、対をなす「反陽子」を閉じこめた特殊なヘリウムを大量に作り出し、2本の異なる波長のレーザー光線を対向して照射するという新しい手法を開発して、反陽子の質量は、電子の1836.1526736(23)倍と、別のグループの1000倍以上高い精度で測定することに成功した。これにより、陽子の質量比とほぼ同じであることが確認され、CPT 対称は破れず、維持されることが明らかになった。この成果は、Nature 2011年7月28日号に掲載された。堀さんは「物理現象は頭の中でなく、自然の中にある。実験によって想像をはるかに超えた事象に出会えるかも知れない」と物理研究における実験の魅力を語る。

―― 今回の実験では、反陽子に着目しました。反陽子、反物質と何なのか説明してください。

堀氏: 現在の宇宙論では宇宙は今から約140億年前に、ビッグバンという大爆発で、一点に集まった膨大なエネルギーが拡散して誕生したのですが、このエネルギーから物質(粒子)と反物質(反粒子)は同じ量(数)だけ生成されたと考えられています。反物質は、物質と質量は同じで、電気的に逆の性質を持つものです。本来、同じ量だけ作られたのに、現在、宇宙を構成しているのは物質だけで、反物質は消えていったわけです。なぜ、反物質が消えてしまったのか。この謎の解明が宇宙を知るうえで重要になってきます。反陽子は、原子核を構成するプラスの電荷をもった陽子の反粒子、つまりマイナスの電荷をもった陽子といえます。反物質としては、反水素などが作られています。

―― 反物質と、物質は何が違うのですか。

堀氏: 反物質と物質の性質の違いは、両者の間の対称性にあらわれます。対称性の種類には、1)C(チャージ)、2)P(パリティ)、3)T(タイム)の3つがあります。

1)のCは「荷電共役変換」のことで、つまり電気的性質の異なる物質、反物質を入れ替えることです。
2)のPは「空間反転」のことで、鏡を覗き込んだように左右の位置を入れ替えることです。
3)のTは「時間反転」のことで、時間の流れを逆向きにすることです。

これらの変換を行った場合、性質が全く同じなら「対称性の維持」といい、違うなら「対称性の破れ」というわけです。

素粒子の世界では、これらCPTを単独に行った場合、物質と反物質の間には、少し性質が異なる現象が見られることが実験で確かめられています。「対称性の破れ」が起きているわけです。また、CPの同時変換が起こった場合も、物質と反物質の対称性の破れが起きることがわかっています。この「CPの対称性の破れ」は2008年に日本人3人が受賞したノーベル物理学賞の研究成果につながるものです。

しかし、CPTの変換がすべて同時に起こった場合、元の世界と区別することができないということが信じられています。これはアインシュタインの特殊相対性理論などから予想されるもので、「CPT対称性」「CPT定理」などと呼ばれています。この性質が維持されるとすると、物質と反物質の質量が等しくなくてはなりません。我々はそれを確かめようと、反陽子の質量を精密に測定したわけです。

―― それが、今回の研究ですね。

堀氏: そうです。反陽子を含む原子を大量に合成して、消えないようしながら、そこにレーザーを用いて原子が1 つの軌道から別の軌道に移るエネルギーを精密に測定すれば、反陽子の質量を導き出せるというのが我々の戦略です。日本での恩師、早野龍五・東京大学大学院理学研究科教授(物理学)と、現在の上司である、テオドア・ヘンシュ・マックスプランク研究所量子光学部門所長の研究成果に基づいて進めています。

反陽子の作製は、スイスのジュネーブの CERN(欧州原子核研究機構)にある世界唯一の反陽子減速器(Antiproton Decelerator:AD)を活用しました。CERN といえば、円周27kmの加速器「Large Hadron Collider」(LHC)が有名ですが、AD は、円周180mと小型です。しかし、我々の研究にはとても大きな役割を担っています。シンクロトロンで260億電子ボルトまで加速した陽子を、金属標的にぶつけて反陽子を生成した後、これを磁石などで500万電子ボルトまで減速します。減速しないと、反陽子を捕獲できないからです。反陽子をそのまま放置しておけば、実験容器の壁に衝突して、すぐに消滅してしまう運命にあります。

それを長時間存在させ、測定できるようになったのは、我々が発見した「反陽子ヘリウム原子」があったからです。この反陽子ヘリウム原子は、減速した反陽子を、銅とベリウムの合金容器の中に封入された、絶対零度に近い低温低密度のヘリウムに打ち込むことでできます。100個打ち込むと3個の割合で生成されます。通常のヘリウム原子は、原子核の周りに2個の電子がありますが、そのうち1つを反陽子に置換した極めて特殊な原子です。つまり原子核の周りを電子と反陽子が回っているわけです。

―― 反陽子ヘリウム原子は、どのくらいで消滅しますか?

堀氏: 幸運なことに、この状態では消えることがありません。ここにレーザー光線を当てるのですが、特定の周波数の光を当てると、共鳴現象によって、反陽子が励起され、別の軌道に飛び移る性質があります。実験によって共鳴周波数を測定すれば、エネルギーが計算でき、そのエネルギーから反陽子と電子の質量比が求められるというわけです。

我々は5年前の2006年に、「光周波数コム」を駆使して生成した、エネルギーのそろったレーザー光線で、反陽子の質量を測定しました。光周波数コムは、光の振動数(周波数)を原子時計並みの制度で、精密に測定する装置で、この画期的な装置の開発で、ヘンシュ所長は2005年にノーベル物理学賞を受賞しています。

反陽子ヘリウム原子のイメージ図
反陽子ヘリウム原子のイメージ図
ヘリウム原子核の周りを回転する反陽子。背景のもやは電子。

―― そのときの成果はどうでしたか?

堀氏: このときは、反陽子の電子の質量比は、1836.156274±0.000005というもので、当時としては世界最高精度。陽子と反陽子の質量が9桁まで一致することが確認されました。

―― 今回はそれを更新したわけですね。どこを改善したのですか?

堀氏: 数千万個の反陽子ヘリウム原子を生成した後、波長の異なる2本のレーザー光線を、対向して原子に照射したところが、前回と大きな違いです。「二光子レーザー分光」という手法で、レーザーの波長は、372nmと417nmの2本です。反陽子は、エネルギー準位、角運動量で表せられる(36, 34)の軌道から、417nmのレーザーによって仮想的な軌道(Virtual state)に移ります。その後、372nmのレーザーによって(34, 32)の軌道に移り変わり、そして消滅しました。このときのエネルギーから質量比を求めたのです。陽子が2つあるp3He+p4He+同位体に、二光子レーザー分光を行い、実験と最新理論を比較したところ、ほぼ一致しました。

反陽子の質量比は、1836.1526736±0.0000023と、10桁まで求めたわけです。
一方、米国、ドイツのグループは、陽子の質量を別の手法で求めています。こうした研究成果をもとに、物理基礎定数などを発表している科学技術データ委員会(CODATA)は、2010年に陽子の質量比は、1836.15267245±0.00000075としました。

陽子の精度は1桁上ですが、9桁までは完全に一致しています。今後、陽子、反陽子の質量比の精度はさらに向上していくことが期待されますが、反陽子が陽子の精度を上回るということも考えられます。なぜなら、陽子は核の中にあり、反陽子は単独で存在し、測定しやすいからです。そのときは、反陽子の質量比が陽子の質量ということになるかもしれませんね。

二光子レーザー分光のいいところは、ヘリウム原子の中で、反陽子の動きを両サイドから抑えるようなイメージで相殺できることにあります。それが精度向上に結びつきましたが、本来、難しい手法で、従来の大出力レーザーでは光線の中にさまざまなノイズが含まれるため、原子の仮想的な軌道が破壊されて、遷移が起こせないという欠点がありました。今回は出力が高く、しかもノイズの少ない、純度の高い光をつくり出すレーザーを開発したことが結果につながったと思います。

二分子レーザー分光に使ったレーザー
二分子レーザー分光に使ったレーザー
ヘリウム原子核の周りを回転する反陽子。背景のもやは電子。

―― 今後は、どんな研究をめざしますか?

堀氏: この15年間、反陽子の質量の精度の向上に取り組んできました。これからも精度を上げて、陽子の質量より精度を上げていきたいと思っています。それは実験物理屋の究極の夢、目標でもあるわけです。その過程で、CPT対称性の破れに関連する思わぬデータに出会うこともあるでしょう。それは測定装置の誤差であるか、あるいは物理法則の新たな展開なのか考えていかなくてはいけません。過去にニュートン力学は、宇宙の現象をほぼすべて説明していました。しかし、水星に異常なズレが見つかり、どうしても説明できませんでした。そこに、アインシュタインの相対性理論が登場し、空間のゆがみを考慮すると、そのズレが見事に一致したということがありました。我々の研究もそうした異常な現象に直面する可能性があるということを捨ててはいけないと思っています。

反陽子の高精度測定は反物質の中でも比較的簡単なのですが、反陽子と陽電子でできた反水素の分光や、π中間子の質量も測定してみたいですね。原子核のつなぎ役のπ中間子ですが、核の周囲を回る原子を合成できることがわかっています。そうすることでレーザーを用いた測定が可能になります。それもめざしたいと思っています。

―― 興味深いですね

堀氏: 反陽子の測定というのは、異分野の境界領域です。私は加速器物理、それにレーザー分光ということから、とても新しい分野だと思います。何に役に立つのかは当初はわかりませんでしたが、物性に使えないかと考えています。例えば、ヘリウムの超流動現象というのがあります。ノーベル賞にもつながった現象ですが、絶対温度2Kの極低温だと粘性がなくなり、コップの中のヘリウムは壁を伝わって上にいくのです。こういうものが、ミクロの世界でどうなっているのかというのは十分解明されておらず、すべて超流動なのか、一部が通常の液体に戻っているのかなどわかりません。こういうときに反物質を使って、調べられないかと考えています。超流動と液体の見えない境界が見えてくると思っています。マーカーとして普通の物質を導入しても凍って混ざりませんが、反陽子はすぐ原子を生成します。それをレーザーで振動させてやって、ピンポイントで原子密度がどうなのか高速で知りたいというわけです。

―― CERN では、物質の質量のもとになる、ヒッグス粒子の特定の解明が期待されています。

堀氏: ヒッグス粒子は、すでにできているのかもしれないのですが、その特定は非常に確率的なものです。そのために陽子などの加速の強度を維持しなくてはなります。その陽子の加速する装置の開発にもかかわっています。

実験室の風景
実験室の風景

―― ここからは、どうしてこの研究分野に進んだのか、お話を伺いたいと思います。

堀氏: もともとは、渡米して宇宙工学でも学べたらと思っていました。大学では、早野教授の下で研究しました。当時は、バブルが崩壊した後で、目標を失ったような雰囲気があったのを覚えています。加速器を使った研究室に入ったので、加速器施設の現場に近いところで自分の考えで複雑な装置を開発したいという単純な願いから、2000年に、CERN の唯一の現地駐在者となりました。装置を自ら作って実験を行っていました。やがてドイツ人のポスドクなども加わって、研究も軌道に乗り始めました。

2002年には、CERN のフェローになり、反陽子の実験だけでなく、線形加速装置の診断装置も作りました。このころ、日本の自動車メーカーと、燃料電池から漏れる水素ガスをレーザーで検出する装置を作り、応用研究にかけるメーカーの意気込み、底力に触れることができました。

今でも現場が第一と考えています。しかし年齢を重ねるにつれ、次第に自分の夢を追い求めるばかりでなく、ヨーロッパの学生を研究者として育てたり、彼らの給料を獲得して博士論文が取れるように環境を整えたり、学生の将来のビジョンについての相談に乗ったりする必要が出てきます。今までのように加速器施設を自分の研究に使うだけでなく、ヨーロッパの若手の研究者が使えるように整備に貢献するようなことも求められるようになってもきました。そんな中、欧州科学財団の若手研究者を育てる研究費を獲得するために受け入れ研究所が必要となり、今の研究と整合性ができるだけ合うような場所を探していたところ、ドイツ・ミュンヘンのマックスプランク量子光学研究所が受け入れてくれることになり、2007年に同研究所グループリーダーに就任しました。現在は同研究所で、4人の若手がいる研究室を運営しつつ、月の半分は CERN にいて実験を行っています。日本には今のところ戻りたいとは思っていませんね。

―― 最後に、若手研究者にひとこと。

堀氏: 研究の流れは大きく変わっています。自分の研究だけでなく、リーダーとして若手研究者を受け入れられるようになるには、博士課程の時から自分で発想して、自分で全責任をとる訓練をしなくてはいけないと思います。我々の年齢になると、マネジメントや予算獲得に追われて、発想の時間はなくなってきます。安心して純粋に研究できる博士課程のうちに、成果を出す経験を積まないといけないと感じています。

さらに現在では、予算獲得の過程で、自分たちの研究が他分野でも生かされるということ、例えば、生命科学の分野の人にも納得してもらえるような説明やアピールをしていかなくてはならなくなっています。そのためには、成果を出せるような若手育成が大事です。生命科学分野は、よい人材をたくさん育てています。素粒子研究は、こうした分野間の激しい競争の中で生き抜いていかなくてはなりません。これまでドイツでは、大型予算を獲得するには官僚が決めていましたが、現在は、他分野の研究者に自分たちの原子核、素粒子研究のおもしろさ、重要性を訴える必要があります。だからこそ、本当に意義ある研究なのかを考えなくてはならないのです。そのために睡眠時間を削って走り回っている、というのが現状ですね。ここ数年は、自分の役割が変わってきている事に戸惑いを感じる毎日です。

―― ありがとうございました。

聞き手 長谷川 聖治(読売新聞科学部記者)。

Nature 掲載論文

Letter:反陽子ヘリウムの2光子レーザー分光と反陽子–電子質量比

Two-photon laser spectroscopy of antiprotonic helium and the antiproton-to-electron mass ratio

Nature 475, 484–488 (28 July 2011) doi:10.1038/nature10260

Author Profile

堀 正樹

マックスプランク量子光学研究所
グループリーダー

1972年 東京生まれ
1991年 東京学芸大学附属高校卒業
1995年 東京大学理学部卒業
2000年 東京大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了
博士号取得。日本学術振興会海外特別研究員(欧州合同原子核研究機構=CERN派遣)
2002年 CERNフェロー。井上研究奨励賞受賞
2007年 ドイツ・マックスプランク量子光学研究所グループリーダー
ヨーロッパ若手研究者賞
現在に至る
堀 正樹

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