マウス胎仔の雄化に鉄を介したエピゲノム制御があることを発見!
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–– 雄の性決定に鉄を介したエピゲノムが関与していることを突き止められました。
はい、この研究の始まりは、2001年に哺乳類の新規のヒストンメチル化酵素であるG9a(EHMT2)を同定したことにさかのぼります1。この酵素は、ヒストンH3の9番目のリジン残基(H3K9)にメチル基を付加する酵素でした。メチル基が2つ付いたH3K9(H3K9me2)は、遺伝子発現を抑制するエピジェネティックマークです。その後の研究により、マウスの個体発生過程では、H3K9me2のレベルがダイナミックに変動することを見いだしました。2007年ごろからは、H3K9me2からメチル基を外す酵素の研究にも着手しました。ある時、KDM3Aと呼ばれるヒストン脱メチル化酵素の機能を解明するためにノックアウトマウスを作ったのですが、驚いたことに、雄がほとんど生まれてきませんでした。詳しく調べてみると、KDM3Aは、雄化性決定遺伝子として知られるSryのプロモーター領域においてH3K9me2のメチル基を外す酵素であると分かりました2。つまり、このノックアウトマウスではKDM3Aの酵素活性が失われ、それが原因でSryが発現せず、染色体がXYの胚でも雄化しなかったのです。この研究は、哺乳類の性決定において、エピゲノム制御が必須であることを世界で初めて立証するものでした。
その後は、哺乳類の性決定や性分化にエピゲノム制御がどのように関わっているのかを解明する研究を進め、鉄イオン(Fe2+)が重要な鍵を握ることを突き止めたのが、今回の成果になります3。
–– まず、雄の性決定の仕組みとSryの機能について、概略をご説明いただけますか?
哺乳類の胚が雄化するということは、生殖腺として精巣ができるということです。受精後11.5日までの胚は「性的に未分化な生殖腺」を持っており、機能的にも構造的にも雌雄の区別はつきません。染色体がXYの場合、未分化生殖腺でSryが一過性に発現します。すると、未分化生殖腺において精巣への分化経路が活性化し始めます。Sryの発現は、受精後10.5日に開始し、11.5日にピークを迎え、12.5日目には失われます。Sryが発現しない生殖腺は、たとえ染色体がXYであっても、卵巣へと分化します。
このような、Sryの時間的に厳密な発現を制御する仕組みは、ほとんど分かっていませんでした。Sryの発現に関わる転写因子は複数ありますが、それらはSryの発現時期にだけ働くというわけではなく、長期的に発現し続けます。つまり、転写因子だけではSryの発現のオンオフを説明できないのです。私たちは、KDM3AによるH3K9の脱メチル化のエピゲノム制御こそが、Sryの時間的に厳密な発現を支える仕組みであることを明らかにしました2。
KDM3AをコードするKdm3aの発現は、Sryと同様に、受精後10.5日目に増加し、12.5日には減弱します。すなわち、Sry遺伝子座のH3K9me2は、KDM3Aによって「Sryの活性が必要な間だけ」取り除かれることになります。Sryから作られるSRYタンパク質は、転写因子をコードするSox9のプロモーター領域に結合し、その発現を強力に増大させます。Sox9から作られるSOX9タンパク質は、未分化生殖腺を精巣へと分化誘導します。こうして、徐々に精巣の構造が作られていきます。
–– このような雄化の過程に鉄も関与していたということでしょうか?
そうです。研究を始めた当初には全く予期していませんでした。鉄の関与に気付いたのは、2016年ごろです。当時、私たちは、受精後10.5日、11.0日、11.5日の「Sry陽性の体細胞(セルトリ前駆細胞)」だけを集めて、Sryの発現に関与している遺伝子を網羅的に解析していました。その過程で、Sry陰性細胞と比較して、セルトリ前駆細胞では、鉄の細胞内への取り込みに関与するTfrc、Scara5、Fe2+の産生に関与するSteap3、Ncoa4などの遺伝子発現が有意に高まっていることに気付きました。一方で、鉄の細胞外排出に関与する遺伝子の発現は、逆に低下していました。このようなことから、セルトリ前駆細胞では、鉄の取り込みとFe2+の産生が活性化していると考えました。実際に、細胞内に存在する鉄の量を調べたところ、セルトリ前駆細胞を含む画分では、その他の画分に比べて1.8倍多いことも分かりました。
この時までに、KDM3Aは酸化還元反応酵素の一種であり、Fe2+を補因子とすることが知られていました。といっても、Fe2+は細胞内外で見られる、ありふれた物質ですので、そこまで重要だとは考えられていませんでした。しかし私は、「鉄取り込みとFe2+産生に関与する遺伝子」と「Fe2+を必要とするKDM3A」の発現時期が、見事にSryの発現時期と重なることを目の当たりにし、もしかすると細胞内のFe2+の量がKDM3Aの酵素活性に重要なのではないかと考えました。
当時、このような報告は全くなされていませんでしたが、私たちは「細胞内Fe2+の量がKDM3Aの酵素活性の律速要因となる」との仮説を立て、そのメカニズムの解明と検証を試みることにしたのです。
–– 具体的にどのような実験、解析をされたのでしょうか?
まずは、鉄の取り込みに極めて重要なトランスフェリン受容体(TFR1)をコードするTfrcを、生殖腺体細胞特異的に欠損させたマウスを作りました。予想通り、このマウスではセルトリ前駆細胞内のFe2+量が著しく低くなり、さらにSryの発現が低下していました。ChIP-qPCR法で解析したところ、Sry遺伝子座のH3K9me2が亢進していることも分かりました。これらのマウスの中には、性染色体がXYであるにもかかわらず、卵巣を持つ雌へと分化するものが見られました。このような結果から、TFR1を介した鉄取り込みが、KDM3AによるSry活性化に不可欠であることが示唆されました。
図1 XY胚の生殖腺体細胞で見られる鉄代謝とエピゲノムとの相関
性決定期のマウスXY胚において生殖腺が雄化するためには、KDM3AによるSry遺伝子座のH3K9脱メチル化が必須である。KDM3Aをはじめとする脱メチル化酵素群はFe2+を必須の補因子とするが、これまで、エピゲノム制御と鉄代謝との関わりは明らかになっていなかった。今回の研究3により、鉄代謝とエピジェネティック制御との密接な連携が雄化に極めて重要であることが見いだされた。 REF. 3
次に、培養下において、受精10.8日目のXY胚由来の未分化生殖腺に鉄キレート剤(Dfo:デフェロキサミン)を添加し、細胞内への鉄取り込みを阻害する実験を行いました。すると、添加に伴い、細胞内のFe2+と細胞内の鉄貯蔵を担うフェリチンタンパク質の量が著しく減り、Sryの発現も顕著に抑制されることが分かりました。さらに培養を続け、精巣のマーカー分子であるSOX9と卵巣のマーカー分子であるFOXL2の発現を調べたところ、雄化の抑制と雌化の亢進が起きていました。ただし、このような培養下でもSryを強制的に発現させると、雌への性転換は回避されました。その他に、「Dfo処理によりH3K9me2が増大して、Sryの脱メチル化が阻害されること」「遺伝学や薬理学の手法でH3K9のメチル化を阻害すると、Dfo処理下でもSryの発現が回復すること」も明らかにしました。以上の結果により、鉄欠乏による雄化経路の阻害は、KDM3AによるH3K9脱メチル化機構の破綻が主な原因であると分かりました。
–– 個体レベルでも検証されたのでしょうか?
もちろん検証しました。まず、受精6.5〜10.5日目の母マウスに鉄キレート剤(Dfx:デフェラシロクス)を経口投与し、子宮内で急性鉄欠乏状態を作り出してXY胚の性分化がどうなるかを調べました。胎仔の生殖腺を取り出した調べたところ、Sryの発現が有意に低下し、SOX9陽性細胞とFOXL2陽性細胞が混在した状態(卵精巣)になっていると分かりました。また、生後のXY個体の一部が卵巣を有しており、雄から雌への性転換が起きていました。これらの結果から、母体の鉄の量が胎仔の性決定に影響することが明らかになりました。
最後に、より生理的な鉄欠乏モデルとして、妊娠前から母マウスに鉄欠乏食を与え、XY胚の生殖腺がどのように分化するのかを検証しました。このような母親の胎仔は貧血がひどく、生まれてすぐ死んでしまうものが多く見られました。この時点では、野生型のXY胚個体での雄から雌への性転換は生じませんでした。ところが、Kdm3aのヘテロ欠損という遺伝的背景がある個体では、一部で生殖腺の雌化が起きました。以上から、母体の鉄欠乏と胎仔の遺伝的背景の組み合わせによっては、XY胚の生殖腺の雄化が阻害されると分かりました。
図2 デフェラシロクス(Dfx)投与による、妊娠期の鉄欠乏によって引き起こされた、XY胚の生殖腺の雌化
生まれてきたマウスの内外生殖器を観察したところ、一部のXY個体に、完全に雌化したもの(卵巣を2つ持つ)と、半分雌化したもの(卵巣と精巣を併せ持つ)が存在した。 REF. 3
一連のさまざまな角度からの検証により、私たちは、仮説が正しいこと、つまり、(1)細胞内のFe2+量が増えることでKDM3AのH3K9脱メチル化酵素活性が亢進する、(2)これによりSryのプロモーター領域のH3K9脱メチル化が促され、Sryの発現が亢進する、(3)SRYタンパク質によって精巣への分化経路が活性化する、というメカニズムを明らかにすることができました。鉄代謝とエピゲノム修飾酵素が連携して雄化に寄与することを、世界で初めて示した成果です。
–– ヒトでも母体が貧血だと、胎児の性分化が異常になるのでしょうか?
今回の実験は、マウス胚を極度の貧血にするような条件で行ったもので、普通の生活をしているヒトでは、まず起こらないと考えます。その意味で、あまり心配する必要はないと思います。ただ、胎児期の鉄不足と自閉スペクトラム症などの神経発生異常との関連を示す疫学研究や、葉酸やビタミンB群などの栄養素が胎児のエピゲノムに関与するとの報告がありますので、母体栄養が胎児のエピゲノムを介して各種の臓器の発達に及ぼす影響について、慎重に検討していく必要があるでしょう。
–– 最後に、今後の展望について伺えますか?
鉄の代謝がマウスのSryのエピジェネティック制御に極めて重要であることは示せたと思いますが、鉄以外の代謝経路も、Sryの発現調節に貢献している可能性があると考えています。例えば、Sryの発現には、ヒストンのアセチル化も重要であることが分かっています4。アセチルCoAなど、ヒストンのアセチル化につながる代謝産物の産生を促すような代謝経路も、セルトリ前駆細胞で活性化しているかもしれません。このあたりも含め、引き続き解明していきたいと考えています。
–– ありがとうございました。
聞き手は西村尚子(サイエンスライター)
著者紹介
立花 誠(たちばな・まこと)
大阪大学大学院 生命機能研究科 教授
1990年 東京大学農学部卒業後、同大学大学院農学生命科学研究科入学。1995年 博士(農学)取得。三菱化学生命科学研究所博士研究員、日本ロシュ研究所研究員、京都大学ウイルス研究所助手、同准教授を経て、2013年 徳島大学先端酵素学研究所教授。2018年より大阪大学生命機能研究科教授。2001年に哺乳類の新規ヒストンメチル化酵素であるG9a(EHMT2)を同定し、それ以降は、ヒストン修飾によるエピゲノム制御が哺乳類の個体発生や細胞分化を調節する仕組みの研究に取り組んでいる。
Nature ダイジェスト Vol. 22 No. 11
DOI: 10.1038/ndigest.2025.251142
参考文献
- Tachibana, M. et al. J. Biol. Chem. 276, 25309–25317 (2001).
- Kuroki, S. et al. Science 341, 1106–1109 (2013).
- Okashita, N. et al. Nature 643, 262–270 (2025).
- Carré, G. A. et al. Hum. Mol. Genet. 27, 190–198 (2018).
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