「世界化学年」を迎えて
国連が定めた「世界化学年」という旗印のもと、2011年は、世界中の化学者が協力して化学の意義を語ることになっている。一般市民に向けた化学啓発活動も行われる。今年は、マリー・キュリーが、ラジウムとポロニウムの発見によってノーベル化学賞を受賞してから100周年に当たる。世界物理年(2005)、国際極年(2007~2008)、世界天文年(2009)、国際生物多様性年(2010)と続き、化学の順番となった。今年はまた、ロバート・ボイルが『懐疑的化学者』を出版し、近代科学の地図上に化学を定着させてから350年目でもある。
化学の信奉者にとって残念なのは、卓越した化学者が、他分野にもリストアップされてしまうことだ。例えばボイルは、気体の圧力と体積に関する法則で有名だが、物理学者と思われているケースが多いのではないか。マリー・キュリーにしても、命を失うまで放射線の研究に没頭し、夫ピエールとともに1903年にノーベル物理学賞を受賞しているのだ。
分野を超える状況は、現代ではさらに顕著になっている。化学は中心的な役割を果たすことが多く、その法則や発見は、他分野の研究基盤となる。エネルギー貯蔵、新素材、効率的な工業プロセスといった応用分野でも、物質を反応・再編成できる化学の力は不可欠だ。しかし、そうした成功も、化学ではなく材料科学の成果とされてしまうことが多い。
こうした化学の「悩み」を考えるため、Natureは2001年に特集を組み(2001年5月24日号399ページ)、次のように指摘した。「化学には正確で識別可能な『ブランド』がない。そのために化学は誤解されやすく、……化学者が頻繁に過小評価される要因となっている」。それから10年、化学の意義を啓発したいと考える人々は、このポイントを忘れずに活動してきた。
しかしなお、化学の重要な進歩があっても、それにふさわしい広範な認知が得られることは少ない。こうした問題は、世間のイメージというよりは、化学の利点を主張する気持ちが希薄な点にあるような気がする。化学の成果が他分野に流れ込むのは、根底に化学独自の驚くべき「威厳」があるからだが、それだけで満足している人々も多いのではないか。
Nature 2011年1月6日号では、明日の化学へのさまざまな展望を掲載した(23ページ、本誌8ページ)。重要な論文3編も掲載されている(72、76、116ページ)。さらにNatureは、この1年間、分子科学の優れた研究論文や興味深い化学の総説論文を数多く出版する予定だ。
分野間の境界線があいまいになる中で、化学者自身にスポットライトが当たる時代が来るかもしれない。例えば、生理過程や細胞間情報伝達を調べる生物学者が、分子の作用に着目すれば、事実上、化学者として研究を進めているといえる。巨大分子は化学者の研究領域だからだ。
ほかにも化学の知名度を高める方法はある。生物学の論文や数多くの合成化学の論文では、重要な基礎化学への言及(個別化合物の合成や特性解析に関する記述)は、補足情報の部分に追いやられ、人目に触れずに終わることが多い。多くの化学者が指摘するように、この部分をもっと表に出すよう、論文引用分析などを修正させるのも1つの方法だ。
世界化学年の役割は、科学と社会一般に対する化学の貢献を前面に押し出すことだろう。クリーンエネルギーの探索のように、化学者が解決法を提示できる地球規模の課題は数多く存在するからだ。
化学は成熟した分野だが、いまも刺激的で生産性が高く、影響力の大きな成果は今後もまだまだ続く。この数年間だけでも、Natureは、グラフェンの特性、新エネルギー貯蔵材料、保護基を使わない有機合成法など、化学の最先端研究論文を幅広く出版してきた。
化学は多くの恩恵をもたらすとともに、負の部分も持っている。しかしこのことは、科学だけでなく人間活動のすべてについても言えることである。よい化学であるとき、それが称賛されるのだ。
翻訳:菊川要
Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 4
DOI: 10.1038/ndigest.2011.110432
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