生殖のルールを書き換える
Credit: Illustration: Barbara Gibson; Science Photo Library
大阪大学のある建物の最上階、静かな廊下の奥で、林克彦(はやし・かつひこ)は革命的なものを生み出そうとしている。
林は数十年にわたり、実験室で卵子と精子を培養する探求を続けてきた(2013年11月号「繊維芽細胞から卵を作り出した科学者たち」参照)。彼はこのような生殖細胞の根本的な生物学的性質を解明したいと考えている。しかし、もし成功すれば、それは人類の生殖の方法を永遠に変えるものになるかもしれない。
並外れた粘り強さを持つ科学者として有名な林にとってさえ、この道のりは生易しいものではなかった。しかしこの研究は、彼を予想外の場所へと導いた。林の研究室では培養皿で人工の卵巣や精巣の断片を培養しており、母親なしで、2個体の父親からマウスを生み出してきた1(2023年6月号「培養で起こる染色体異常を利用して、雄マウス細胞から卵を作製」参照)。
林が論文を発表するたびに、不妊治療を求める人々からのメールが殺到する。「『まだ実験段階です』と返答しています」と林は語る。「しかし、返信できないこともあります。あまりにも数が多過ぎて」。
林や同分野の科学者らが行っているこの研究は、不妊に悩む人々や、両パートナーの遺伝子を受け継いだ子どもを望む同性カップルに新たな希望をもたらす可能性がある。しかし、齧歯類では目覚ましい成果が達成されているものの、そうした未来はまだ先の話だ。「この技術は非常に素晴らしいものです」と、生殖医療を専門とするバイオテクノロジー企業ガメト(Gameto、米国テキサス州オースティン)の最高科学責任者であるChristian Krammeは言う。「しかし基本的には、全世界において今後10年のうちにこれが臨床で試みられることはないと私は確信しています」。
実験室で大量の配偶子が作製されれば、親が望ましい形質を持つ胚を選択しやすくなり、遺伝子組換え児を作ることさえ押し進められる可能性がある
とはいえ、研究者が目指すべき中間目標は数多く存在する。カルガリー大学(カナダ)の生殖生物学者Ina Dobrinskiは、製薬会社も規制当局も、ヒト配偶子(卵子と精子の総称)の豊富な供給源があれば、薬剤や化合物が受精能を低下させるかどうか、あるいは次世代に受け継がれる変異を生じさせるかどうかを検証しやすくなると期待している。
また、ケンブリッジ大学(英国)の発生生物学者Azim Suraniは、実験室でヒトの発生を再現する方法が開発されれば不妊に関する手掛かりが解明されるかもしれないと述べる。「それこそがこの研究の最大の成果となるでしょう。不妊の原因が分かれば、それを克服する方法が見つかるかもしれません」。
しかし、複数の研究室がこうした実験を進めるにつれ、この技術の将来的な用途について懸念を表明する研究者も出てきている。実験室で大量の配偶子が作製されれば、親が望ましい形質を持つ胚を選択しやすくなり、遺伝子組換え児を作ることさえ押し進められる可能性がある。
こうした応用の実現は少なくとも15年以上先とみられているものの、研究者や一部の政府機関は、実験室で培養された卵子と精子(体外配偶子形成〔IVG:in vitro gametogenesis〕)に関連して起こり得る問題に対処するための規制作りを求めている。
ヒトのIVGが現実となる時期については、研究者によって予想が異なる。林の研究室では、実験室で培養した「卵子様細胞」から受精可能なマウス仔を作製している2。林は「今後2年以内に、これと同等のヒト細胞を実験室で作製できる可能性があります」と話す。
これらのマウスには、生物学的に雄の親が2匹いる。これらのマウスは、雄マウスの皮膚細胞から作製した卵子を用いて生み出された個体である。 Credit: Katsuhiko Hayashi, University of Osaka
だからといって、それでヒトへの応用の準備が整うというわけではないと林は付け加える。彼の研究室で卵子様細胞から作製されたマウス胚のうち、生きた仔マウスとなるのはごく一部であり、許容できる成功率で、実際に機能するヒト卵子を作り出せるようになるまでには5年以上かかる可能性があると推測している。
非ヒト霊長類の配偶子の開発と試験も必要となるだろう。理想的には、これらの卵子と精子から生まれた子孫は複数世代にわたって追跡しておきたいところであり、その分、IVGが臨床応用されるまでの開発タイムラインは数年単位で延びることになる。「それが重要なポイントです」と京都大学の発生生物学者である斎藤通紀(さいとう・みちのり)は言う。「おそらくこの課題は次の世代の科学者に委ねることになると思います」。
配偶子のレシピ
約20年前から、ヒトの体細胞を誘導多能性幹(iPS)細胞へ再プログラム化する手法が用いられてきた。iPS細胞はほぼあらゆる細胞の特性をとり得る。iPS細胞からはこれまでに、同期して拍動する心筋細胞や、電気信号を伝達する神経細胞が作製されてきた。しかし、精子と卵子の複雑かつ長期にわたる発生過程を再現することは、より困難であることが分かっている。「関与する段階が非常に多いのです」とSuraniは説明する。「そして、それぞれの段階が極めて複雑です」。
通常、配偶子形成は出生よりかなり前に始まる。卵子の発生は胎児期に始まり、未成熟な卵子が何百万個も作られる。これらの細胞の一部はその後、減数分裂と呼ばれる特殊な分裂を開始し、その際に1組の染色体セットを失って、各細胞は通常の体細胞の半分の数の染色体しか持たなくなる。しかし、この分裂は完了までには数年を要する。細胞は減数分裂の途中で一時停止し、数年後に青年期を迎えて排卵が始まるまで再開しない。未成熟な卵子はそれぞれ、液体で満たされた卵胞と呼ばれるものになる組織に包まれている。これらの卵胞はホルモンを分泌し、卵子の発達に伴って成熟する。
一方、精子の元となる細胞も胎児期に形成され、青年期以降は精巣内の曲がりくねった精細管中で、この細胞は、毎日数百万個の精子を生産できる。この管状の環境は、卵巣の卵胞よりも複雑で、実験室で再現するのはより困難である。
いずれの場合も、発達中の卵子や精子の周囲環境が極めて重要となる。細胞はタンパク質などの分子を介して周囲とコミュニケーションを取り、環境から物理的なシグナルを受け取って、それらが発達に影響する。
未成熟な精子は、精巣の細管内を通っていく際に、周囲の体液の流れに反応しているようだと林は言う。また、卵巣組織の硬さが発達中の卵子を停止状態に保つ役割を果たしていると、エディンバラ大学(英国)の生殖生物学者Evelyn Telferは説明する。
こうしたシグナルや足場を実験室で再現するのは困難である。特にヒトのIVGでは、卵巣や精巣の正常な発生・発達を研究するための組織を入手しにくいために一層困難になる。研究者らは個々の細胞や完全な組織における遺伝子の活性やタンパク質発現を監視できる技術を用いて、どの分子や細胞タイプが重要かを特定しようとしていると、ライデン大学医療センター(オランダ)の発生生物学者Chuva de Sousa Lopesは言う。
ヒト細胞をマウスの卵巣細胞または精巣細胞と共培養し、卵子や精子への分化を促そうとする研究もある3。しかしこの手法は、動物ウイルスによる汚染の可能性があるため、ヒトの生殖に用いる配偶子の作製には使用できない。
ブリティッシュコロンビア大学(カナダ・バンクーバー)では、泌尿器科専門医のRyan FlanniganらがIVG実験用にヒト細胞由来の精細管を3D印刷で作製している4。その他に、マイクロ流体デバイスを用いて卵巣や精巣を模倣するという手法もある。Dobrinskiの研究室では、精巣に存在する複数の細胞タイプを組み合わせた「オルガノイド」と呼ばれる3D細胞培養を作製している。
解決すべき問題はまだ残っている。例えばDobrinskiのチームは、ヒトの配偶子を成長させるのに十分な期間、オルガノイドを生存させることができずにいる。また、ペンシルベニア大学(米国フィラデルフィア)の生殖生物学者、佐々木恒太郎(ささき・こうたろう)は、ヒトでは卵子や精子が発達するまでに数カ月を要し、しかもこれは、青年期を迎えるまでの数年の待機期間を勘定に入れていない場合の話だと説明する。「多くの人はそれがどんなに難しいことかを理解していません」。
動き始めた配偶子研究
このように培養期間が長期にわたることは、研究を遅らせるだけでなく、問題が発生するリスクを高め、最終産物や子孫の健康を損なう可能性があると、ハーバード大学(米国マサチューセッツ州ケンブリッジ)の発生生物学者である会沢栄志(あいざわ・えいし)は指摘する。
このプロセスを効率化しようとする研究チームもある。例えばある研究チームは最近、雄雌両方のiPS細胞で減数分裂をそれぞれが開始できると思われる3つのタンパク質を発見した5。
しかし、この減数分裂にはいくつか特異な特徴があり、細胞は分裂を完了しないと、この研究チームの一員で、バイオテクノロジー企業オヴェル(Ovelle、米国マサチューセッツ州ボストン)の最高科学責任者であるMerrick Pierson Smelaは言う。
減数分裂はIVGの重要な障害となるポイントの1つだと、コーネル大学(米国ニューヨーク州イサカ)獣医学部の細胞生物学者Paula Cohenは述べる。彼女は共同研究者らと共に、約10年間、未成熟なヒトの配偶子が正常な減数分裂を行うよう誘導する試みを続けてきた。「うまくいきません」とCohenは言う。成功を報告した多くの研究チームは、培養皿内での減数分裂が体内と同様に進行していることを完全に実証できていないと指摘する。減数分裂は正しく行われることが重要だ。この過程でエラーが起これば、染色体数が異常な配偶子が生み出される可能性がある。
2025年9月に発表された別の手法6では、受精可能な機能する卵子を生成できるようだ。研究者らは、各染色体を1本ずつ持つ未成熟卵細胞の核を、染色体を2本ずつ持つ皮膚細胞の核と置換した。その後、彼らが「有糸減数分裂(mitomeiosis)」と名付けたプロセス、すなわち1組の染色体セットを廃棄することで減数分裂のいくつかの特徴を模倣するプロセスを誘導した。
こうして得られた細胞の約9%は、生存可能な卵子となり、受精してさらに6日間発生を続け、胚盤胞と呼ばれる胚の前駆体を生成した。しかし、これらの胚盤胞は全て、染色体に異常があり、配偶子形成過程で通常起こる遺伝子シャッフリングが起こらなかった。こうした遺伝子組換えは遺伝的多様性の源であり、これが起こらないと子孫にどのような影響があるのか、また、有糸減数分裂プロセスがその後の細胞分裂にどう影響するかは不明だと、Cohenは述べる。「この点は、徹底的な研究が必要です」。
ヒトIVG実現のもう1つの障壁は、発生の異なる段階で生じるDNA修飾変化の一連の複雑な過程を再現することだ。配偶子形成初期には、細胞は遺伝子活性に影響し得る特定の化学修飾を系統的に除去する。その後、DNAの特定領域に新たな修飾が加えられ、その一部は「インプリント」と呼ばれる状態となる。
このステップは極めて重要だ。Suraniによれば、十数種類の疾患が不適切なインプリンティングと関連付けられているという。「これを正しくやらなければならないのです」と彼は語る。
しかし「正しく」とは何を意味するのか? 斎藤は、インプリンティングは個人間で異なると指摘する。Suraniによれば、研究者が懸念しているのは、変化を見落としているのではないか、また、化学標識を全て除去することで、特定の遺伝子が解放されてしまい、本来発現すべきでないときに発現してしまうリスクが生じるのではないかということだ。
2024年、斎藤らは、実験室でこうした化学標識の全てではないがその多くを除去する手法を報告した7。こうすることによって、未成熟なヒト卵子の発生段階が1つ進んだが、その後再び停止した。
異常なインプリンティングによる問題は人生の後半まで表れない可能性があるとSuraniは指摘する。斎藤は、サルなどの非ヒト霊長類で、長年にわたってデータを収集することが重要だと強調する。それでもサルの初期胚発生はヒトのものと同一ではない。ヒトで最初の治療法を試みる際には、「結局のところ、どうしてもある種の『大きな飛躍』を伴わざるを得ないのです」とKrammeは語る。
警戒すべき点
実験室で培養された配偶子が、将来、体外受精に用いられる可能性がある。 Credit: luismmolina/iStock/Getty
親になりたいと思っている人たちはこの「飛躍」を待ち望んでおり、この分野の研究者らは多様な利用可能性を思い描いている。この技術は将来、適切な卵子や精子を生成できないカップル、あるいは体外受精(IVF)のための採卵が困難で時に苦痛を伴う人々への配偶子源となる可能性がある。「いつか、IVFのために採卵を行う人々の大半が、IVGを使うようになる日が来るでしょう」と、オヴェル社の最高経営責任者Travis Potterは語る。
しかしIVGが生殖医療の現場で使われるようになると、社会的・倫理的な懸念を引き起こす可能性がある。大量の配偶子、ひいては多数の胚を生成できることで、疾患リスクやその他の形質に関する複雑な遺伝子評価に基づいて胚の検査や選別を行うことへの障壁が緩む恐れがある。またこの手法は高額になる可能性が高く、公平なアクセスをどう確保するかという問題も生じる。
さらに、ほぼあらゆる細胞が配偶子へと再プログラム化できるとなれば、理論上、他人の皮膚細胞を密かに採取して、その人の同意なく精子や卵子を作ることも可能になる。
これらはいずれも差し迫った懸念というわけではない。それでも2025年初め、ヒト胚に関わる生殖治療や研究を監視する英国の機関であるヒト受精・胚機構(HFEA)は、実験室で培養された卵子や精子の生成可能性に明確に対処するため、国内法の改正を勧告した。HFEAの最高責任者Peter Thompsonは1月の審議の場で、「世界の一部地域では、この分野に膨大な労力と資金が投入されている」と述べた。
佐々木はこの分野への商業的関心の高さを体感している。「たくさんの起業家が『会社を立ち上げませんか』と誘ってきますが、私は『まだ早過ぎます』と答えます」。しかしこれらの企業は科学者を雇い始めており、学術研究機関よりも高い給与で科学者を勧誘できると佐々木は言う。一方、この分野の周囲には、IVG関連特許の複雑に絡み合った藪(やぶ)が生い茂りつつある8。
点と点を結ぶ
一部の企業や学術研究室は、iPS細胞から卵子・精子に成熟させるまでの各ステップを経ずに、そのプロセスの一部を切り取って取り組んでいる。例えばパテルナ・バイオサイエンシズ社(Paterna Biosciences、米国ユタ州ソルトレークシティー)は、未成熟な精子細胞から精子を生成しようとしている。またガメト社は、幹細胞由来の卵巣組織を用いて、実験室で未成熟な卵子の成熟を促している。
しかしバイオテクノロジー企業コンセプション(Conception、米国カリフォルニア州バークレー)は、iPS細胞から成熟した卵子に至る全てのプロセスを実現することを目指している。2023年、同社はiPS細胞からの成熟卵子の生成が間近だと発表し、注目を集めると同時に反発も招いた。コンセプション社の最高経営責任者Matt Krisiloffは、初期のタイムライン予測は過度に楽観的だったと認める。プロジェクトがいったん始まると、彼はヒトの配偶子発生に関する知見がいかに少ないかに驚き、マウスでの結果をヒトに応用するのも、予想していたようにはスムーズにいかなかったと述べている。
コンセプション社はまだ査読付き学術誌に研究の進捗を発表していないが、同社の研究チームは、卵子の培養に近づきつつあると、Krisiloffは言う。しかし同社の科学者がこれに成功したとしても、安全性試験の実施までは数年を要するだろう。治療をいつ受けられるようになるかという問い合わせに対し、Krisiloffは率直に答えている。「いつもはっきりと伝えています。まだ何年もかかるだろうと。現時点では、それが十分に安全かどうかもまだ分かっていないのです」 。
林の二父性マウス実験を知って以来、Krisiloffはこの研究に個人的かつ専門的な関心を抱いている。「私はゲイで、子どもが欲しいと思っています。いつの日か、この技術を自分自身のために使えるようになりたいものです」。
翻訳:古川奈々子
Nature ダイジェスト Vol. 23 No. 1
DOI: 10.1038/ndigest.2026.260126
原文
The quest to make babies with lab-grown eggs and sperm- Nature (2025-10-16) | DOI: 10.1038/d41586-025-03308-w
- Heidi Ledford
- 米国ワシントン州シアトルからNatureに寄稿
参考文献
- Murakami, K. et al. Nature 615, 900–906 (2023).
- Hikabe, O. et al. Nature 539, 299–303 (2016).
Whelan, E. C. et al. Preprint at bioRxiv https://doi.org/10.1101/2024.05.03.592203 (2024).
- Robinson, M., Bedford, E., Witherspoon, F., Willerth, S. M. & Flannigan, R. F. S. Sci. 3, 130–139 (2022).
- Smela, M. P. et al. Sci. Adv. 11, eadu0384 (2025).
- Gutierrez, N. M. et al. Nature Commun. 16, 8340 (2025).
- Murase, Y. et al. Nature 631, 170–178 (2024).
- Cyranoski, D., Contreras, J. L. & Carrington, V. T. Nature Biotechnol. 41, 14–20 (2023).
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