News & Views

ヒトがアラビアを通って繰り返し分散した証拠

Nature ダイジェスト Vol. 18 No. 12 | doi : 10.1038/ndigest.2021.211235

原文:Nature (2021-09-16) | doi: 10.1038/d41586-021-02321-z | Traces of a series of human dispersals through Arabia

Robin Dennell

アラビア半島は、ヒト(現生人類に至る動物の系統)、およびヒト族の近縁種が アフリカを離れ始めたときの移動の要衝だった。考古学的証拠および当時の推定される気候から、初期人類がアラビアに居住していた時代のことが明らかになった。

ネフド砂漠の盆地にある5つの古代湖で発掘された遺物。左から約40万年前、約30万年前、約20万年前、約13万〜7万5000年前、約5万5000年前のものと見られる。それぞれの年代は、乾燥が短期的に緩和した時期と一致していた。 | 拡大する

2010年の時点では、面積300万km2のアラビア半島には、年代が1万年以上前とされる遺跡が記録されていなかった。このほど、アラビア地域で見つかった遺跡において、10年にわたり継続的に行われてきた考古学および地質学分野の学際的な研究の結果が発表された。今回示された証拠により、アラビア地域における初期人類の存在に関する情報がいかに増えたかが分かる。この研究は、マックス・プランク研究所(化学生態学研究所、人類史科学研究所、生物地球化学研究所)、およびケルン大学(ドイツ)に所属する考古学者Huw S. Groucutt1らにより、Nature 2021年9月16日号376ページで報告された。

サウジアラビア北部、ネフド(ナフード)砂漠内の小さな盆地にあるKhall Amayshan4(ハル・アメイシャン4;KAM 4と表記)と呼ばれる遺跡では、過去40万年の間に形成された湖底堆積シーケンス(一連の湖底堆積物)が見つかっている。このシーケンスを分析した研究チームは、5つの湖が、それぞれ降水量が増加した短い期間に形成されていること、また、それぞれ異なる種類の石器と関連付けられることを明らかにした。これは、複数の時代の湖沼形成が一括遺物石器(残し置かれた時期が同じと見られる石製人工物の一群)と関連付けられた上、それらが初めて1カ所で発見された、アラビア唯一の遺跡である。堆積物の年代を入念に測定することにより、各湖底堆積物の年代は、気候が現在よりも高温多湿だった時代と結び付けられた。KAM 4やアラビアの他の場所の動物相データから、古代アラビアの動物相は、現在のレバント(アラビア半島北方の中東地域)よりもアフリカの動物相に近かったことが分かった。

このパターンは、一括遺物石器にも当てはまる。KAM 4の中でも古い2つの石器群は、海洋酸素同位体ステージ11(MIS 11;約40万年前)およびMIS 9(約30万年前)として知られる2つの間氷期のものとされた。この2つの一括遺物には、アシュール型両面調整石器と呼ばれるタイプの石器が多い。このタイプは、レバントよりもアフリカや北部アラビアではるかに長く使用されていたものだ。残る3つの一括遺物石器の年代はMIS 7(約20万年前)、MIS 5(約13万~7万5000年前)、およびMIS 3(約5万5000年前)のもので、中期旧石器時代の石器の特徴を有し、こちらにも、レバントよりアフリカに多く見られるタイプの剥片製作が認められた。

KAM 4の中期旧石器時代の一括遺物を誰が製作したかは、まだ明らかになっていない。アラビアの古代骨格の証拠としては、約8万5000年前のヒト(現生人類に至る動物の系統)の指の骨が1点あるのみで2、その他にはホモ・サピエンス(Homo sapiens;現生人類の祖先に当たるヒト属)のものとされる10万2000~13万2000年前の足跡化石が数点存在する程度である3。20万年前以降に製作されたKAM 4の一括遺物は、おそらくホモ・サピエンスが製作したものだろう。ホモ・サピエンスは約30万年前にアフリカで生まれたとされ4、レバントの骨格証拠は、ヒトが遅くとも17万7000年前にはレバントに存在したことを示している5。さらに、イスラエルの洞窟で出土した複数のヒト頭骨は、約8万~13万年前のものと判定されている6

Groucuttらが発表した証拠は、西南アジアにおけるヒトの進化の解明を進めるのに大いに貢献した。アラビアはアフリカからアジアへの玄関口だが、この数十年間、アフリカからの分散を裏付ける主な化石や考古学的証拠は、レバント、特に北部イスラエルの洞窟で出土している。レバントは旧北界と呼ばれる生物地理学的地域にあり、地中海性気候と冬季の降水が見られる。その降水量は、寒冷な氷期と温暖な間氷期とで大きく変わらなかったので、おそらくヒトは寒冷期にも温暖期にも絶えず居住し続けたものと考えられる。対照的に、アラビアはサハラ・アラビア界と呼ばれる生物地理学的地域にあり、アフリカモンスーンからの夏季の降水によって繰り返し姿を変えていた。

そうした多雨の短い期間、「緑のアラビア」は湖沼や河川が多く存在し、ヒトのみならず、深い水や水辺の豊富な食草を必要とするカバなどの動物にとっても住みやすい地域となっていた。氷期になって気候が寒冷化して乾燥すると、湖沼や河川は干上がり、その乾燥地には誰も住まなくなったことだろう。そのため、西南アジアには2つの地域の歴史がある。それは、狭い地中海地域(気候がかなり安定していて連続的な居住が可能だったと考えられる)と、はるかに広いサハラ・アラビア地域(ヒトの居住がおそらく不連続であって、降水量の増加と関連する比較的短い期間に限られていたと考えられる)だ。それにより、アフリカからアジアへのヒトの分散は、おそらく短期間ながらチャンスがあった時代に、脈動的な移動によって行われたと考えられる。

Groucuttらの研究は、ヒトがアジアに定着するに至ったいきさつの解明に関して、大きく2つの意味を有している。1つ目は、アラビアにおける初期のホモ・サピエンス移民集団がネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と交錯した可能性があるという点だ。ネアンデルタール人は約8万~4万5000年前に北部レバント地方に住んでいたが6、その分布域は、時によっては南方の北部アラビアへ広がっていた7。現代の非アフリカ人は皆わずかにネアンデルタール人のDNAを持っている8ことから、アラビア半島は古代のヒトとネアンデルタール人との接触や混血が起こった地域の1つだった可能性がある。レバントおよびアラビアでの過去40万年にわたる集団間相互作用については、さらに解明を進める必要がある。

Groucuttらの研究が持つ2つ目の(そしておそらくもっと重要な)意味は、アフリカからアラビアへのヒト(またはもっと古いヒト族近縁種)の分散が、40万年前以降の短い多雨期に複数回起こっていたならば、アラビアから南アジアを通って東方へ向かう移動(図1)も起こっていた可能性があるという点だ9。ヒトは、遅くとも5万~5万5000年前10、場合によっては6万5000年前という古い時代11にオーストラリアに到達していたことが知られている。そうすると、南アジアや東南アジアへの到達はそれ以前だったことになる。そうした移動がどれだけ古い時代に、どんな頻度で行われたかについては、激しい議論になっている。しかし、現在はその問題に取り組むのに必要な情報がない。つまり、正確に年代が分かり、かつ種レベルの同定が可能な化石骨格による裏付けが得られていない。

図1 古代の移動
ヒト族の近縁種とヒト(現生人類に至る動物の系統)は、過去40万年の間にアフリカからアラビア半島へ繰り返し分散した。ヒトは、早ければ6万5000年前11、遅くとも5万~5万5000年前にはオーストラリアに到達したことが知られている10。しかし、アラビアから南アジアを通ってインドや東南アジアへ至る分散がいつ、どれだけの頻度で行われたかは、ヒトのアジア定着を巡る、現時点で最大の疑問となっている。Groucuttら1は、サウジアラビアのKhall Amayshan遺跡(KAM 4と呼ばれる)での人工物の発掘について発表した。その人工物は5つの時代の居住に対応する。レバント、アジア、およびオーストラリアで年代が分かっている他の証拠5,6,10,11,13–15(一部を例示)と合わせることにより、こうした初期の分散の全貌が浮かび上がってきた。 | 拡大する

アラビアから見えてきた構図は、17万2000~38万5000年前のインドで中期旧石器時代に特徴的な石器が最初に発達したのは、西南アジアから(ホモ・サピエンスまたはヒト族近縁種の1つが)移住してきたためではないかという説12を支持している。石器は、約7万4000年前にトバ火山(インドネシア)が大爆発する前のインドにヒトがいた可能性があることを示している13。南部中国で発見されたホモ・サピエンスの歯は8万~12万年前のもの14とされ、スマトラ島(インドネシア)のヒトの歯は6万3000~7万3000年前のもの15とされている。南アジアと東南アジアの骨格記録の空白を埋めるには、さらに多くの発見が必要だ。

アラビアへの分散の全事象が、南アジアを通るその先への移動につながったかどうかを判断するのは時期尚早だが、今やそうした動きの可能性はわくわくするほど説得力を増している。Groucuttらの研究のおかげで、我々の祖先がどれだけの頻度で(そしていつ)アラビアへ分散したのかが分かるようになった。今後は、祖先たちがどれだけの頻度で、そしていつ、アラビアを後にしたかに関して解明を進める必要がある。

(翻訳:小林盛方)

Robin Dennellはエクセター大学(英国)に所属。

参考文献

  1. Groucutt, H. S. et al. Nature 597, 376–380 (2021).
  2. Groucutt, H. S. et al. Nature Ecol. Evol. 2, 800–809 (2018).
  3. Stewart, M. et al. Sci. Adv. 6, eaba8940 (2020).
  4. Hublin, J.-J. et al. Nature 546, 289–292 (2017).
  5. Hershkovitz, I. et al. Science 359, 456–459 (2018).
  6. Shea, J. J. J. World Prehist. 17, 313–394 (2003).
  7. Boivin, N., Fuller, D. Q., Dennell, R., Allaby, R. & Petraglia, M. D. Quat. Int. 300, 32–47 (2013).
  8. Green, R. E. et al. Science 328, 710–722 (2010).
  9. Dennell, R. From Arabia to the Pacific: How Our Species Colonised Asia (Routledge, 2020).
  10. O’Connell, J. F. et al. Proc. Natl Acad. Sci. USA 115, 8482–8490 (2018).
  11. Clarkson, C. et al. Nature 547, 306–310 (2017).
  12. Akhilesh, K. et al. Nature 554, 97–101 (2018).
  13. Clarkson, C., Jones, S. & Harris, C. Quat. Int. 258, 165–179 (2012).
  14. Liu, W. et al. Nature 526, 696–699 (2015).
  15. Westaway, K. E. et al. Nature 548, 322–325 (2017).

キーワード

Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

プライバシーマーク制度