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宇宙にある極低温実験室で奇妙な物質状態を生成

Nature ダイジェスト Vol. 17 No. 9 | doi : 10.1038/ndigest.2020.200905

原文:Nature (2020-06-11) | doi: 10.1038/d41586-020-01773-z | Universe’s coolest lab creates bizarre quantum matter in space

Elizabeth Gibney

国際宇宙ステーションの極低温実験室でボース・アインシュタイン凝縮体が生成された。量子物理学の謎をこれまで以上に詳細に探ることが可能になった。

既知の宇宙で最も温度の低い場所の1つである「宇宙冷却原子実験室(CAL)」は、国際宇宙ステーションに設置されている。 | 拡大する

NASA/Johns Hopkins University Applied Physics Laboratory/Southwest Research Institute

物理学者が極低温原子から作り出したエキゾチックな物質状態を利用して、巨視的なスケールで量子現象を探れるようになってから25年になる。このほど、宇宙空間でも同様の実験ができるようになったことが報告された。物理学者たちがボース・アインシュタイン凝縮体を作製した場所は、米航空宇宙局(NASA)が1億ドル(約110億円)を投じて開発し、2018年6月に国際宇宙ステーションで運用を開始した「宇宙冷却原子実験室(Cold Atom Lab:CAL)」だ。

NASAジェット推進研究所(JPL;米国カリフォルニア州パサデナ)のRobert J. Thompsonらが報告した今回の成果は、この実験室が宇宙の微小重力を活用して地球上では実現できない現象を作り出せることを示す概念実証である。CALは現在、既知の宇宙において最も低温の場所になることを目指している。この論文はNature 2020年6月11日号193ページに掲載された1

スミス大学(米国マサチューセッツ州ノーサンプトン)の理論物理学者Courtney Lannertは、「驚くべき成果だと思います」と語る。

エキゾチックな振る舞い

原子雲を絶対零度よりわずかに高い温度まで冷却したときに起こるボース・アインシュタイン凝縮は、1995年に初めて実現した。この温度になると、原子雲の原子の量子力学的な波動性が支配的になり、全体が1つの巨視的な量子的実体となるため、物理学者はこの現象を利用してエキゾチックな振る舞いを研究することができる。

地球上では、こうした原子雲の研究は重力の影響によって制限される。強い磁場をかけて重力の影響を打ち消さないと、雲はたちまち分散してしまうのだ。しかし、微小重力下では凝縮状態は長続きし、より精密な研究が可能になる。また、宇宙空間では弱い磁気トラップを使って原子を閉じ込めることができるため、物理学者は凝縮体を膨張させて冷却する技術などを用いて、さらに低い温度を実現することができる。JPLのCALのミッション・マネジャーで、この研究チームの一員であるKamal Oudrhiriは、「ほとんどの量子物理学者は、冷却原子実験はクールだと言うでしょう。けれどももっとクールにするためには、宇宙に持っていく必要があるのです」と言う。

研究者たちはCALの精密レーザーと高真空を用いて、200ピコケルビン(pK;1pK=1兆分の1K)の温度が1秒以上持続する凝縮体を作り出した。これは地球上で最も成功した実験のいくつかに匹敵する。Oudrhiriによると、研究チームは将来的には20pKという記録の達成を目指し、凝集体を5秒以上持続させることを計画しているという。実現すれば、ここは既知の宇宙において最も低温の場所になる。

食器洗い機サイズの実験室

ボース・アインシュタイン凝縮体が宇宙で作り出されたのはこれが初めてではない。短時間だけ宇宙に出るロケットや地上の落下塔を使った実験により、ボース・アインシュタイン凝縮体が微小重力下でどのように振る舞うかは分かっていた。しかし、ワシントン州立大学(米国プルマン)の物理学者Maren Mossmanは、CALはこの種の実験室としては初めて恒久的に微小重力下に置かれるものであり、今後、同じような冷却原子実験室が宇宙空間に続々と設置されることになるかもしれないと言う。ただし、その成功は当然のものではなかったと彼女は言う。CALは、普通なら1つの研究室がいっぱいになるほどの道具一式を、食器洗い機ほどのスペースに詰め込んだものなのだ。

今回の成果はCALがもたらす最初の成果にすぎない。Mossmanは、CALを使ってエフィモフ状態(粒子が2個ずつではなく3個ずつ結合した状態で、物理学者たちは以前から関心を寄せていた)を作り出す実験チームに属している。

他のチームも、国際宇宙ステーションの環境でしかできない現象を作り出す実験を始めている。例えば、Lannertのチームは、直径30µmの凝縮体の泡を作り始めた。地球の重力下では、同じものを作ろうとしてもお椀やパンケーキのような形になってしまう。薄くて縁がないという泡の特徴は、これらが新しい振る舞いをする渦を作り出すことを意味していると彼女は言う。「重力を取り除かない限り、この形にすることは不可能です。今のところ、トラップが私たちの期待通りの働きをしていて、とても良い感じです」。

宇宙での「心臓手術」

CALはこれまでに国際宇宙ステーションで行われた実験の中で最も複雑なものだったが、2020年1月には極めて難しいアップグレードが行われた。NASAの宇宙飛行士Christina KochとJessica Meirが8日がかりで原子干渉計を取り付けたのだ。Oudrhiriはこの作業を、宇宙で心臓手術をするようなものと表現する。原子干渉計は、1つの原子雲を2つの量子状態に分割し(それぞれの原子が2つの場所に同時に存在している状態といえる)、それらを再結合させて、干渉パターンを生成させる。干渉パターンは、凝縮体の周りの力を測る高感度ゲージとして機能し、物理学者は自然界の基本的な法則の検証やダークエネルギーの探索に利用することができる。5月には、原子干渉計が計画通りに機能していることを試験で確認できたとOudrhiriは言う。遠隔運用されるCALは、当時、新型コロナウイルス禍によるロックダウンが行われていた米国で唯一稼働している冷却原子実験室だった。

Lannertによると、CALをコンパクトにするためには、その能力をある程度犠牲にせざるを得なかったという。また、複数のプロジェクトの要求に応える必要があるため、全ての実験に理想的な装置ともいえないという。「けれども妥協をする価値はあります」と彼女は言う。CALにより、大規模な実験室を自前で持たない物理学者でも上述のような実験ができるようになったのだ。「小規模な教養大学に所属する私たちが、この装置でデータを取ることができるのは本当にうれしいことです」とLannertは言う。

(翻訳:三枝小夜子)

参考文献

  1. Aveline, D. C. et al. Nature 582, 193–197 (2020).

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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