ナノスケールの虹が世界を変える
シンガポールの大規模な研究開発拠点バイオポリス(Biopolis)で、Chi Ching Gohはテーブルの上に横たえたマウスに覆いかぶさるような格好で作業をしている。彼女は麻酔をかけたマウスに、鮮やかな黄色の液体を慎重に注射する。それからマウスの体をそっと動かし、その耳が顕微鏡の下にくるようにしてから、紫外線照射装置のスイッチを入れた。顕微鏡の接眼レンズごしに見ると、皮膚の下を流れる血液が紫外線によって緑色に輝き、体内のすみずみまで液体を運ぶ繊細な血管をたどることができる。
シンガポール国立大学のPh.D.取得希望者であるGohは、この手法を用いることで、炎症により滲出している血管の発見が可能になり、もしかすると、マラリアを検知したり、脳卒中を予想したりすることさえ可能になるかもしれないと期待している。彼女の技術には、液体に色をつける直径わずか数十nmの粒子が欠かせない。ウイルスほどの大きさのこの粒子は、現在脚光を浴びている「ナノ発光体」の一種だ。研究者たちは、自分が求める特別な蛍光を作り出そうと、さまざまな種類のナノ発光体を開発している。
蛍光とは、ある波長の光を吸収した物質が、別の波長の光を放出する現象だ。クラゲが持つタンパク質から、ある種の希土類化合物まで、自然界には蛍光を発する化合物がたくさんある。けれどもナノ発光体は、これらの化合物に比べてはるかに安定で、用途が広く、調製が容易であるため、産業界と学界の両方のユーザーにとって極めて魅力的なのだ。
ナノ発光体にはさまざまな種類があるが、現時点で最も研究が進んでいるのは量子ドットである。量子ドットは微小な粒状の半導体で、美しく、はっきりした発色が高く評価されている。けれども近年、別のタイプのナノ発光体が登場してきた。ある種のナノ発光体は、多数の低エネルギー光子を吸収し、そのエネルギーを組み合わせて、いくつかの高エネルギー光子にするという珍しい性質を持っている。これは、複数の色を一度に生成するなどの可能性をひらく性質だ。また別のナノ発光体は、ポリマーや小さな有機分子からできている。量子ドットには毒性という欠点があるのに対して、こうしたナノ発光体は毒性がない上、量子ドットより明るいことが多い。紫外線の存在下で分解される炭素系化合物に慣れている化学者にとって、この性質は本当に意外だった。
シンガポール国立大学の化学工学者で、Gohが使っている蛍光ナノ粒子を設計したBin Liuも、「有機物粒子を無機物粒子よりはるかに明るく光らせることができたのには非常に驚きました」と言う。
ナノ発光体はすでに、フラットパネルディスプレイから生化学検査まで、幅広い領域で応用されている。研究者たちは今、太陽エネルギー、DNAマッピング、動作検出、外科手術など、より野心的な応用の道を模索している。ワシントン大学(米国シアトル)で蛍光ナノ粒子の研究をしているDaniel Chiuは、「この研究分野の進み方は実に速いのです」と言う。
カリフォルニア大学バークレー校(米国)の化学者で、最初の量子ドット技術企業の共同設立者であるPaul Alivisatosによれば、研究の幅もどんどん広がっているという。「今は非常に面白いときです」。
量子ドット
ナノ発光体の時代は1981年の量子ドットの発見とともに始まった。ケイ酸塩ガラス中で半導体である塩化銅の微結晶を成長させていたロシア人物理学者たちが、結晶粒子の大きさによってガラスの色が変化することに気付いたのだ1。結晶は量子効果が関与してくるほど小さく、原子のようなふるまいを見せた。すなわち、特定の色の光だけを吸収したり放出したりすることができ、その周波数は粒子の大きさと形によって厳密に決まっていたのだ(「ギャップに橋をかける」参照)。
シンガポール国立大学で量子ドットの研究をしているYin Thai Chanは、量子ドットは明るく美しかったが、「これといった応用は考えられませんでした」と言う。けれども2000年代初頭に、その混じり気のない色がテレビメーカーの関心を引きつけるようになった。生物医学研究者も、特異的なタンパク質やDNAセグメントへの標識に利用することを考え始めた。
Liuの言葉を借りれば「量子ドットはいいことずくめ」だが、1つだけ欠点がある。それは毒性だ。最も性能のよい量子ドットは、細胞毒性のあるカドミウムを含んでいるため、生物学分野での利用が制限されるだけでなく、家電などへの応用も困難なのだ。一部の国々では、家電にカドミウムを使用することを禁じているからである。この問題は、カドミウムを、毒性の低い亜鉛やインジウムに置き換えたり、カドミウムを含む量子ドットを生体適合性ポリマーで包んだりすることで、ある程度は克服できる。しかし、蛍光ガイド手術(例えば、ナノ粒子を注入して腫瘍を光らせ、外科医が全てを除去できるようにする)などの野心的な応用を探る研究者にとっては、その毒性はまだ問題だ。
半導体ポリマーのPドット
量子ドットのこうした欠点を受けて、研究者たちは自然に蛍光する材料からナノ粒子を作製する研究に着手した。これらのナノ発光体が光を放出する性質は、粒子の大きさや形ではなく組成に由来しているため、特定の色を作り出すのは容易である。「全ての粒子を同じ大きさで合成するのは難しいので、実用化を考えると、この性質は非常に便利なのです」とChiu。
同時に、半導体ポリマーなどの代替材料の探索も始まった。単純な化合物が長い鎖状につながった半導体ポリマーは、エレクトロニクスへの応用の可能性を見込まれて1950年代から研究されていた。ポリマー中の電子は、ポリマー鎖の組成によって決まる特定のエネルギーでのみ自由に動くことができる。
半導体ポリマーは、外部からの紫外線の照射などにより電子が高いエネルギー準位に押し上げられ、低いエネルギー準位に戻ってくるときに光を放出する。ポリマーを側鎖で修飾すれば、がん細胞に向かわせたり、水に溶けるようにしたりすることもできる。さらに、ポリマー鎖が凝集してポリマーナノ粒子(「Pドット」)になると、同じ大きさの量子ドットの30倍も明るい蛍光を発する2。
一般に、半導体ポリマーは、量子ドットに用いられる無機半導体に比べて不安定だが、炭素をベースとし、金属を含まないため、生体適合性がある可能性ははるかに高い。Pドットは、細胞の染色や画像撮影のほか、酸素、各種酵素、銅などの金属イオンを検出するためのセンサーとしても利用されている。
Chiuらは2013年に、イオン化した希土類元素テルビウムにPドットを結合させたセンサーを使って、細菌の胞子が作り出す生体分子(ジピコリン酸)を高感度かつ迅速に検出することができたと報告している3。紫外線ランプの下で、Pドットは暗い青色に輝き、テルビウムイオンは淡いネオングリーンの光を放つ。ここで、通りすがりの生体分子がテルビウムイオンに付着するとキレート錯体が形成され、イオンが発する光は強くなって明るい緑色になる。その際、Pドットの光は変わらないので、内部標準として役に立つ。
残念ながら、Pドットにも根本的な問題がある。ポリマー分子が強く凝集しているため、外部光源からくるエネルギーの大半がたちまち散逸してしまい、蛍光を引き起こすことができない「クエンチング(消光)」という現象が起こることがあるのだ。
国立中山大学(台湾・高雄)の化学者Yang-Hsiang Chanは、クエンチングはPドットの効率に非常に大きな影響を及ぼすと言う。クエンチングを回避する方法の1つは、ポリマー骨格に大きな基を添加して、お互いに近づきすぎないようにすることだ。けれども、こうして作製されたナノ粒子は、大きすぎて細胞内に入らなかったり、光が暗すぎて役に立たなかったりすることが多い。「ちょうどよいバランスを実現するのは非常に難しいのです」とChanは言い、新しいポリマーを設計することでこの問題を解決しようとしている。
AIEドット
より根本的な解決法の研究は、2001年に香港科技大学(クリアウォーターベイ)のBen Zhong Tangが、ある種の小さな有機分子が、凝集したときにのみ蛍光するのを発見したことにより始まった4。これらの分子はプロペラや回転花火のような形をしていて、単独で存在しているときには運動によりエネルギーを消費するため蛍光を発しないが、凝集して運動できなくなると蛍光を発する。Tangは、この現象を凝集誘起発光(Aggregation-Induced Emission:AIE)と呼び、このような仕組みで発光する分子を凝集誘起発光性分子(AIE-gen)と名付けた。
それから数年で、Tangは学生とともにAIE分子の側基を変更して窒素や酸素などの元素を導入し、今では紫外線から近赤外線までのあらゆる波長の色を出せるようになった。「学生たちは短期間で研究を進め、思いのままに色を変えられるようになりました」とTang。
2011年、Tangは、シンガポール科学技術研究庁(A*STAR)の材料研究工学研究所での共同研究を通じてLiuと出会った。当時のAIE分子は、機能は優れていたものの水に溶けないという欠点があり、この性質が生物学研究への応用を困難にしていた。Liuは物質を水に溶けるようにする専門家であったため、Tangは最もよくできたAIE分子を彼女にいくつか提供して共同研究を開始した。
Liuは、一方の末端が疎水性で、他方の末端が親水性であるようなポリマーを使って実験を行うことにより問題を解決した。ポリマーの疎水性末端はAIE分子を囲い込み、親水性末端は外側に突き出して内部を保護する外殻を形成するため、AIE分子が高密度に詰まったコアを包み込む水溶性のカプセルができる。Liuは、これらのナノ粒子(AIEドット)を保護する外殻を設計し、それぞれの用途に合わせて各種の化学基で修飾できるようにした。この外殻は幅広い種類のAIE分子を容易に包み込むことができるため、「大量の分子を速やかにスクリーニングし、最適なものを選ぶことが可能になりました」とLiuは言う。
AIEドットは、血管やがん細胞からミトコンドリアなどの細胞小器官まで、さまざまな組織の染色に用いられている。2015年には、LiuとTangらが光線力学的療法にAIEドットを利用できることを報告した5。光線力学的療法とは、がん細胞選択的に集積させた光感受性物質と外部からのレーザー光照射により光化学反応を起こして活性酸素を発生させ、腫瘍組織を縮小、消滅させる治療法だ。このAIEドットの表面には2個の分子があり、1個の分子はドットをがん細胞内に入り込ませ、もう1個の分子はドットをミトコンドリアに固定する役割を果たす。AIEドットが外部光源により励起されると赤い光を発し、この光がミトコンドリアの付近で酸素ラジカルを作り出してがん細胞を殺す。
最も高性能のAIEドットは、量子ドットの40倍も明るい光を発する6。Liuの研究室の研究補助員Guangxue Fengは、「AIEの場合、狭い空間内で高い密度にすれば、強い蛍光が得られるのです」と説明する。この性質は、組織の視覚化やがん細胞の長期的追跡(細胞が1回分裂するたびに、細胞1個当たりのナノ粒子の個数が半分になっていく)などの応用に特に有用である。
ただし、AIEドットの明るい光には欠点もある。量子ドットの光が純粋で鮮やかな色であるのに比べて、AIEドットの光はスペクトルの幅がはるかに広く、色調が弱いのだ。この欠点にもかかわらず、Liuはシンガポールでルミニセル社(LuminiCell)を起業し、GohがA*STARで行っているような蛍光バイオイメージング研究のために、3種類の色で3種類の大きさのAIEドットを製造している。Tangも起業しようとしていて、彼とLiuはそれぞれ、米国食品医薬品局(FDA)からAIEドットを人間に使用する承認を得て、蛍光ガイド手術などへの応用を試したいと考えている。
アップコンバージョン
ナノ発光体の生物学への応用を制限するもう1つの要因は、そのほとんどが紫外線や可視光により励起されるが、これらの光は組織内に数mmしか入り込めないことである。より波長の長い近赤外線は組織内に3cmまで入り込むことができる。これは、ナノ粒子に結合させた薬物を放出させたりするには良い深さだが、赤外線にはこの結合を切断できるほどのエネルギーがない。そのため多くの研究者が、アップコンバージョン(upconversion)というプロセスに注目している。アップコンバージョンを起こすには、多数の低エネルギー赤外線光子を吸収してエネルギーを蓄積し、エネルギーのより高い紫外線や可視光の光子としてエネルギーを再放出できる材料を開発する必要がある。
ランタノイドと総称される重金属元素は、特にアップコンバージョンを起こしやすい。2011年、シンガポール国立大学のXiaogang Liuらは、マトリョーシカ人形のような入れ子構造を持つ、用途の広いナノ粒子を作製することができたと報告した7。この粒子は、異なる組み合わせのランタノイドからなる球殻を何層も重ねたものからできている。赤外線のエネルギーは、最初に粒子の核の部分に吸収されてから、外に向かって移動していく。その際、ランタノイド層を1つ移動するたびに雪だるま式に大きくなり、最後に表面付近から高エネルギーの光として出ていく。
15種類のランタノイドはさまざまな組み合わせ方ができるため、あらゆる色を発するナノ粒子だけでなく、一度に複数の色を発するナノ粒子も作製できる。Liuの研究室の学生が行ったデモンストレーションでは、透明なナノ粒子溶液の入ったビーカーを並べて横から赤外線レーザーを照射すると、ビーカーの中の赤外線ビームが通過したところに紫色と緑色に輝く線が現れた。
Liuは、こうしたアップコンバージョンナノ粒子は、太陽の放射のほぼ半分を占める近赤外線の捕獲を補助するため、光起電装置への応用につき非常に大きな可能性を秘めていると考えている。とはいえ、実現はまだまだ先のことになるだろう。現時点で最も明るい光を発するナノ粒子でも、吸収した光の10%しかアップコンバージョンできないからだ。Liuのグループは、こうしたナノ粒子をより明るく光らせることができるように、その特性を系統的に調べてライブラリを作成しようとしているが、ランタノイドの種類の多さを考えると、容易な作業ではない。
2015年12月、マギル大学(カナダ・モントリオール)の生体材料科学者Marta Cerrutiは、ランタノイド含有ナノ粒子を「薬物」(実験のため、ここでは小さくて安定なタンパク質が使われた)を含むゲルで被覆した概念実証系について報告した8。このナノ粒子は、近赤外線を吸収して、赤外線、可視光、紫外線を同時に放出した。ナノ粒子が放出した赤外線は、この粒子の位置を追跡することを可能にし、紫外線は、(少なくとも実験室では)タンパク質とゲルとの結合を切断して「薬物」を解放した。Cerrutiのグループは現在、動物実験を計画している。
このように、ナノ発光体の開発競争は激しさを増しているが、各種ナノ発光体の目標は、依然として量子ドットである。「量子ドットが事実上の基準なのです」とChanは言う。「光の放出に関する多くの基礎的現象は、量子ドットの研究を通じて解明されました。他の研究者たちが自分の見た現象を説明できるのは、量子ドット研究のおかげです」。
そして量子ドットは、現在も研究のフロンティアであり続けている。例えば、ペロブスカイトなどの比較的新しい半導体材料についても、さまざまな光を吸収したり放出したりできる量子ドットと絡めた研究が盛んに行われている。従来の半導体を構成する元素の比率は一定であるのに対して、ペロブスカイトはさまざまな比率を持つため、研究者は量子ドットの大きさだけでなく組成を変えることによっても放出される光を調節することができる。「ペロブスカイト量子ドットは、調節可能性につき2つの自由度を持っているのです」と、トロント大学(カナダ)の材料工学者Edward Sargentは言う。
彼が2015年に報告したハイブリッド材料は、ペロブスカイトの中に量子ドットを保持させたもので、高輝度で電子移動度も高く、フラットパネルディスプレイのメーカーがいかにも気に入りそうなものである9。
各種のナノ発光体の長所を組み合わせたハイブリッドナノ発光体を開発したいと考える研究者もいる。例えばBin Liuは、AIEドットを量子ドットと混ぜることで、スペクトル幅の狭い光を放出させようと取り組んでいる。また、半導体ポリマーとAIEドットを組み合わせると、それぞれを単独で用いるよりもはるかに明るい光を発する粒子ができるという10。
もう1つの大きな挑戦は、赤外線を効率よく発生するナノ発光体を作ることだ。これができれば、携帯電話を耳元に近づけたときにディスプレイをオフにするように指示する小さな検出装置から、自動運転車や高齢者用の見守りシステムなどの高度な応用まで、動作検出への応用の道が開ける。「今よりもっとたくさんのことが可能になります」とSargentは語る。
翻訳:三枝小夜子
Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 6
DOI: 10.1038/ndigest.2016.160625
原文
The nanoscale rainbow- Nature (2016-03-03) | DOI: 10.1038/531026a
- Xiaozhi Lim
- Xiaozhi Limはシンガポール在住のフリーランスライター。
参考文献
- Ekimov, A. I. & Onushchenko, A. A. JETP Lett. 34, 345–349 (1981).
- Wu, C. et al. J. Am. Chem. Soc. 132, 15410–15417 (2010).
- Li, Q et al. Anal. Chem. 85, 9087–9091 (2013).
- Luo, J. et al. Chem. Commun. 2001, 1740–1741 (2001).
- Feng, G., Qin, W., Hu, Q., Tang, B.Z. & Liu, B. Adv. Healthcare Mater. 4, 2667–2676 (2015).
- Li, K. et al. Sci. Rep. 3, 1150 (2013).
- Wang, F. et al. Nature Mater. 10, 968–973 (2011).
- Jalani, G. et al. J. Am. Chem, Soc. 138, 1078–1083 (2016).
- Ning, Z. et al. Nature 523, 324–328 (2015).
- Ding, D. et al. Adv. Healthcare Mater. 2, 500–507 (2013).
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