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人工ブラックホールで「ホーキング放射」を確認

Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 11 | doi : 10.1038/ndigest.2016.161109

原文:Nature (2016-08-18) | doi: 10.1038/536258a | Artificial black hole creates its own version of Hawking radiation

Davide Castelvecchi

実験室で作り出された「音のブラックホール」で、ホーキング放射に極めて近い現象が観察された。

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Chad Baker/Photodisc/GETTY

強大な重力によりあらゆるものを吸い込むブラックホール。その名前は、光でさえここから脱出できないことに由来しているが、実は「真っ黒」ではないという。ケンブリッジ大学(英国)の理論物理学者Stephen Hawkingが40年以上前に提唱した説によれば、ブラックホールは放射を出して徐々に縮小し、最終的には消滅する。理論物理学界を揺るがしたこの現象は「ホーキング放射」と呼ばれており、これをめぐる論争はいまだに決着をみていない。

テクニオン・イスラエル工科大学(ハイファ)の実験物理学者Jeff Steinhauerは、7年前から、人工のブラックホールを作る研究にほとんど一人で取り組んできた。そしてこのほど、実験的に生じさせた量子ゆらぎから人工のブラックホールを作り出し、ホーキング放射のような現象を観察した。この研究成果は2016年8月15日にNature Physics1に発表された。Steinhauerは、ホーキング放射の理論と他の理論の間に生じるジレンマの解決に役立つだけでなく、量子力学と重力理論の統合への道筋を示してくれるかもしれないと言う。

本物のブラックホールでホーキング放射を観察することはほぼ不可能であるし、これまでに行われた人工ブラックホールの実験で観察された放射は自発的なゆらぎに由来するものではなかった。そう考えると、 Steinhauerが観察した現象は、これまでで最もホーキング放射に近いものといえるかもしれない。

物理学者たちはSteinhauerの研究に大いに感心しているが、その結果についてははっきりしない点があると指摘する。またノッティンガム大学(英国)の理論・実験物理学者Silke Weinfurtnerは、「論文に書いてあるとおりなら、この実験は本当に素晴らしいと思います。ただ、天体物理学的ブラックホールの周りにホーキング放射があることを証明するものではありません」と言う。

ブラックホールに落ち込むと、ある面を境に光でさえ逃げ出せなくなる。「事象の地平面」と呼ばれるこの境目が、物理学にとって特別な結果を持つことをHawkingが発見したのは1970年代半ばであった。出発点となったのは、量子論が要請するランダムさが「完全な無」の存在を否定していることだった。真空の宇宙空間にもエネルギー場のゆらぎがあり、仮想的な光子対が絶えず生成と消滅を繰り返している。けれども、特定の場合には仮想の光子が現実の光子になることができる。それは、対生成した光子がたまたま事象の地平面の内側と外側に分かれて、対消滅しないときである。このとき、一方の光子はブラックホールの内側に捕らえられ、他方の光子はブラックホールの外側の宇宙空間へと逃げていく。

Hawkingは、このようにしてブラックホールから非常に弱い放射が出ることに加え、ブラックホールの中に落ち込む粒子が常に「負のエネルギー」を持っているためブラックホールは質量を奪われて縮小し、最終的には消滅することを示した。彼はさらに、ブラックホールが消滅すると、その中に落ち込んだ物体に関する全ての情報が失われるとして物議を醸した。宇宙にある情報の総和は不変であるという、広く受け入れられている原理に反するからだ(Nature ダイジェスト 2014年8月号「地平線に見えてきた複雑性」参照)。

1980年代初頭、ブリティッシュ・コロンビア大学(カナダ・バンクーバー)の物理学者William Unruhは、Hawkingの予想のいくつかを検証する方法を提案した2。滝のある川で流れに逆らって泳ぐことを考えてみよう。滝に近づくと水の流れが加速するため、ある点を超えると流れに逆らえなくなって滝に落ちてしまう。同様に、流れに沿って流速が増すような媒質中を伝わる音波は、媒質の流速が音速以上になる点を過ぎると、媒質の流れから逃れられなくなる。Unruhは、この点は事象の地平面と等価であり、音のホーキング放射が観察できると予想した。

Steinhauerはこのアイデアを、絶対零度に限りなく近い温度まで冷却したルビジウム原子の雲を媒質に使って実現した。長さ数mmの葉巻形チューブに閉じ込められたこの原子は、ボース・アインシュタイン凝縮体と呼ばれる量子状態になっている。このときの音速はわずか秒速0.5mmだ。彼は、ルビジウム原子を加速して一部の原子を秒速1mm以上の超音速にすることにより、事象の地平面を作り出した(「人工ブラックホールの作り方」参照)。

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極低温のボース・アインシュタイン凝縮体では、宇宙の真空で生じるものに似た、ごく弱い量子ゆらぎが生じる。真空のゆらぎから光子対が生成するように、このゆらぎからはフォノン(量子化された音波)のペアが生成するはずだとSteinhauerは言う。そして、フォノン対の一方が事象の地平面の超音速側に落ち込み、他方は「ホーキング放射」として出ていくという。

音の事象の地平面の超音速側では、フォノンはトラップされる。Steinhauerがボース・アインシュタイン凝縮体の写真を撮影したところ、事象の地平面をはさんで等距離のところにある原子の密度に相関があった。このことは、フォノン対が量子的にもつれていることを示していて、同じ量子ゆらぎから自発的に生成したものと分かると彼は言う。つまり、ボース・アインシュタイン凝縮体からホーキング放射が生じたということだ。

彼が以前のバージョンで観察した放射は、ボース・アインシュタイン凝縮体そのものから生じたものではなく、誘発されたものだった3。また、UnruhとWeinfurtnerが率いる研究チームが以前行った水の波を使った実験は、量子効果を証明しようとするものではなかった4。ワイツマン科学研究所(イスラエル・レホヴォト)の物理学者で、光ファイバー中のレーザー波を利用してホーキング放射を実証しようとしているUlf Leonhardtは、「先駆的な論文です」と言うものの、量子もつれの証拠は不十分に見えると指摘する。Steinhauerの実験では比較的高エネルギーのフォノンの相関が示されただけで、低エネルギーのフォノン対は相関していないように見えるからだ。彼はまた、Steinhauerの媒質が本当にボース・アインシュタイン凝縮体なのか確信が持てないとも指摘する。つまり、ホーキング放射に似たものを生じる、別の種類のゆらぎが存在する可能性も考えられるのだ。

人工ブラックホールの観察から、本物のブラックホールの謎解明の手掛かりが得られるかまだ分からない。スタンフォード大学(米国カリフォルニア州)の理論物理学者Leonard Susskindは、「いわゆる情報パラドックスの解明につながるとは思えません」と言う。天体物理学的ブラックホールとは違い、ボース・アインシュタイン凝縮体は蒸発しないため、Steinhauerの音のブラックホールで情報が失われることはないからだ。

とはいえ、Steinhauerの実験の結果が裏付けられれば、「ヒッグス粒子の検出がHiggsらに勝利をもたらしたのと同じ意味で、Hawkingに勝利をもたらすでしょう」とSusskindは言う。ヒッグス粒子の存在を疑う研究者はほとんどいなかったが、2012年に実際に発見されたことで、この粒子の存在を予言したPeter HiggsとFrancois Englertはノーベル賞を受賞した。

(翻訳:三枝小夜子)

参考文献

  1. Steinhauer, J. Nature Physics 12, 959–965 (2016).
  2. Unruh, W. G. Phys. Rev. Lett. 46, 1351–1353 (1981).
  3. Steinhauer, J. Nature Physics 10, 864–869 (2014).
  4. Weinfurtner, S. et al. Phys. Rev. Lett. 106, 021302 (2011).

キーワード

Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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