結核菌ゲノムに刻まれていたヒトの歴史
結核菌(Mycobacterium tuberculosis)は、ほぼヒトにしか感染せず、ヒトの活動を介して拡散した。この菌のDNAを解読したところ、農耕の開始からソ連の崩壊まで、ヒトの歴史における主要な出来事が刻まれていることが分かった。今回、国立自然史博物館(フランス・パリ)の進化遺伝学者Thierry Wirthは、世界中から集められたヒト結核菌の臨床分離株約5000試料について解析を行った。その結果、特に脅威となっている「北京株」と呼ばれる系統株が、東アジアに6000年以上前に出現した後、抗生物質に広く耐性を獲得して殺人細菌になっていった経緯が明らかになった。この成果は、2015年1月19日にNature Geneticsに報告された1。
結核菌が最初に出現したのは、おそらく約4万年前のアフリカだが2、実際にヒトへの感染が確立して蔓延するようになった時期は、ヒトが農耕を始めて定住するようになった頃だとWirthは言う。
結核菌は飛沫核感染する。そのため、ヒトが特定の場所に集まって暮らすようになったことで、ヒトからヒトへと容易に伝播できるようになったとWirthは説明する。Wirthらは以前の研究で、現在流行している全ての結核菌株の共通祖先が伝播し始めたのは約1万年前の古代の「肥沃な三日月地帯」(メソポタミアからシリア、パレスチナ、エジプト北部のナイル川のデルタ地帯に至る、半円形の地域。農耕の発祥地とされる)であることを示した2。この地域では数々の集落が形成されており、多くの人々が集まって生活していたため、「結核菌のような病原体が感染拡大するにはうってつけでした」と、Wirthは言う。
結核菌には地域性がある(地域によって特定の菌種が多い)ことが知られており、これまでの生物地理学研究から世界の結核菌株は6つの系統株に分類されている3,4。結核菌系統株の中で最も深刻な問題となっているのが「北京系統株」だ。1990年代半ばに北京周辺で同定されたこの株5は現在、世界中にその分布を拡大している。というのも、北京系統株の多くは、他の結核菌系統株に有効な抗生物質に対して耐性を示すのだ。
今回Wirthらは、99カ国から集められた北京系統株の4987臨床分離株の解析を行った。このうちの110株については全ゲノムの塩基配列を解読し、残りの株については24座位のMIRU-VNTR(mycobacterial interspersed repetitive unit-variable-number tandem repeat;結核菌ゲノム上に存在するミニサテライトDNA中の繰り返し配列)のデータ、さらにNTF領域の塩基配列を解析することで、北京系統株が拡大した時期や、菌株間の関係を調べた。
その結果、北京系統株が出現した場所は、その名のとおり中国北東部近辺で、6600年前だったことが分かった。これは、中国の長江下流域で稲作が開始されたという考古学的証拠6とも一致する。
結核菌に刻まれた歴史
北京系統株が東アジアから拡大するのに、中国と中東を結ぶシルクロードに沿ったヒトの移動が一役買った可能性が高いとWirthは言う。より最近では、中国からの移民の波によっても広がったと思われる。つまり、太平洋諸島に広がる北京系統株の1つは、1850年代に太平洋諸島に移り住んだ中国人によって持ち込まれた可能性がある。さらに、中央アジアの旧ソ連の共和国における北京系統株では、分岐した複数の株に同じ増加傾向が見られることから、これは1860年代~1870年代に現在のキルギスタン、カザフスタンおよびウズベキスタン周辺で国家規模の暴動が起こっていた時期の、中国人の移住とその居住域の拡大が関係している可能性もある。
世界規模の社会的な変遷も、北京系統株の興隆を推進した要因だ。Wirthらは、110株の北京系統株の全ゲノム塩基配列解読から、北京系統株増減の経時的変化をモデル化した。その結果、北京系統株の個体数(すなわち、感染者数)は19世紀前半に急増したことが分かった。これはおそらく、産業革命の過程で都市人口が増加したためであると考えられる。結核菌数の急増は20世紀初頭にも見られ、第一次世界大戦後の都市化が進展した時期と一致している。また、この時期は、インフルエンザが大流行した時期とも重なっており、インフルエンザウイルスに罹患したことで人々がさらに結核菌に感受性になり、それが結核菌数の増加に拍車をかけたと考えられるとWirthは言う。
一方、北京系統株の個体数が減少した1960年代は、抗生物質の使用が増えた時期だ。しかし北京系統株は、1980年代後半~1990年代初頭にかけて再び増加した。Wirthらは、この時期がHIVの流行とソ連の崩壊の間に挟まれていると指摘する。ソ連の公衆衛生制度の崩壊は、結核の増加とその多剤耐性菌株の出現の要因として、これまでも広く言及されてきた。
北京系統株は、出現から今日までにその感染力を大幅に高め、他の結核菌株を圧倒しているとWirthは言う。Wirthらは今回の研究で、抗生物質耐性や代謝、免疫応答の回避に関係する変異も突き止めており、これらの変異が北京系統株の勢力拡大に寄与した可能性があると考えている。
アリゾナ州立大学(米国アリゾナ州テンピ)の進化遺伝学者Anne Stoneは、Wirthらが調べた試料の数に感銘を受けた。Wirthらは、北京系統株の出現時期を6600年前と算出したが、この数字は、Stoneらが昨年報告した約1200~2400年前7という見積もりとは一致しない。Stoneらの研究は、1000年前のペルーのミイラから採取した結核菌ゲノムを基盤としており、また用いた年代測定法もWirthらとは異なっている。Stoneは今回の研究結果を受け、自身の研究チームの推定結果が実際よりも新しく見積もっていたかどうかを検証したいと考えている。彼女はWirthの研究を見て、「私たちの方で、彼らのデータセットをいじくってみたいです」と言う。
翻訳:三谷祐貴子
Nature ダイジェスト Vol. 12 No. 4
DOI: 10.1038/ndigest.2015.150405
原文
Tuberculosis genomes track human history- Nature (2015-01-19) | DOI: 10.1038/nature.2015.16733
- Ewen Callaway
参考文献
- Merker, M. et al. Nature Genet. 47, 242–249 (2015).
- Wirth, T. et al. PLoS Pathog. 4, e1000160 (2008).
- Filliol, I. et al. J. Bacteriol. 188, 759–772 (2006).
- Gagneux, S. et al. Proc. Natl Acad. Sci. USA 103, 2869–2873 (2006).
- Van Soolingen, D. et al. J. Clin Microbiol. 33, 3234–3238 (1995).
- Fuller, D. Q. et al. Science 323, 1607–1610 (2009).
- Bos, K. I. et al. Nature 514, 494–497 (2014).