米国の大学に影を落とす文化戦争
ニューカレッジ・オブ・フロリダ(サラソタ)を揺るがすフロリダ州知事Ron DeSantisの改革に抗議する学生たち。 Credit: Bloomberg/Contributor/Bloomberg/Getty
米国の高等教育が揺れている。2023年12月上旬からの2カ月あまりの間に、イスラエルとイスラム組織ハマスとの衝突に対する大学の対応を巡って2つの有名大学の学長が議会公聴会に呼び出され、その後相次いで辞任した。これらの辞任劇は、米国の高等教育界で強まりつつある政治化の流れの一例だ。高等教育の政治化は、科学に影響を及ぼし、米国の研究コミュニティーを根底から揺るがす恐れがある。
ここ数年、シンクタンクや政府(特に右寄りの州政府)の保守派たちは、大学改革のためと称する法律の制定や政治任用を強硬に進めてきた。保守系シンクタンクであるマンハッタン研究所(ニューヨーク市)の上級研究員で、フロリダ・ポリテクニック大学(レイクランド)の評議員であるIlya ShapiroはNatureに、「高等教育が生き残り、科学が発展するためには、アイデンティタリアン的な社会正義アクティビズムの代わりに、学問の自由と人種差別のない実力主義を取り戻さなければなりません」と語った(訳註:右派が左派を「アイデンティタリアン」と批判するときには、人種や性別や性的指向などのアイデンティティーグループに過度に重きを置くことで分断と対立を助長しているという意味で用いられる。「アクティビズム」の定義については後出)。
しかし、今回の政治介入を目にした科学者の中には、保守的でない州への移住を考え始めたり、自分の研究や受けようとしている研究資金が標的になるのではないかと心配したりする人もいる。
2023年12月、ハーバード大学(マサチューセッツ州ケンブリッジ)のClaudine Gay学長とペンシルべニア大学(フィラデルフィア)のElizabeth Magill学長は、イスラエルとイスラム組織ハマスとの衝突に関連した学生による抗議デモへの対応を巡り、議会公聴会に呼び出された。学生たちが抗議デモで唱えていた親パレスチナ的なスローガンが、反ユダヤ主義的と認識されたからである。右派を中心とする一部の政治家たちは、大学当局がこうしたスローガンを明確な言葉で非難しなかったことを厳しく批判し、学長たちの辞任を求める運動を燃え上がらせた。Gayは2024年1月に辞任し、Magillは2023年12月に辞任した。Gayには剽窃疑惑もある。
ハーバード大学の学長を辞任したClaudine Gay。 Credit: Kevin Dietsch/Staff/Getty Images News/Getty
公聴会の直後からGayとMagillの辞任を要求していた共和党の下院議員Elise Stefanikは、過去にハーバード大学について「象牙の塔は、同質で不寛容でリベラルな考え方のモノカルチャーに向かっている」と批判したことで知られる。
保守派が批判しているのは「キャンパスにおける反ユダヤ主義」だけではない。それ以前から、多様性(diversity)、公平性(equity)、包摂性(inclusion)の実現に向けたDEI計画、トランスジェンダーの権利、社会における偏見のパターンを研究するための批判的人種理論(critical race theory)と呼ばれる学問的枠組みなどが問題視されている。これらの論点は保守派を結集させ、彼らが「リベラル派の支配」と呼ぶものから高等教育を解放しようとする動きに勢いを与えている。
保守派の批評家たちは、キャンパスにおける反ユダヤ主義は、DEIを重視し、同一性と多様性、抑圧者と被抑圧者というレンズを通して社会問題を見る米国の大学の環境から生じてきたと主張する。そして、高等教育におけるDEIの取り組みを阻止することで、リベラルな考え方を押し付けられている大学の学問の自由を守ることができると考えている。
これに対して学術界では、DEIの取り組みを制限するための措置は政治的干渉であり、それ自体が学問の自由を脅かすと考える人が多い。全米大学教授協会(AAUP、ワシントンD.C.)のIrene Mulvey会長は、「右派は一般の人々に、高等教育は壊れていると信じ込ませようとしているのだと思います」と言う。「彼らは、学問の自由を押さえつけることによって、大学を立て直さなければならないと考えているのです」。
DEIのスタッフは活動家ではないし、DEIは教員や学生に押し付けられた左派的なイデオロギーでもないと、Mulveyは主張する。「DEIは、十分に代表されていない(under-represented)グループ、有色人種の学生、家族の中で初めて大学に進学する学生、障害を持つ退役軍人学生など、あらゆる学生を補助し、支援するためにあります」。彼女はDEIへの批判に対しても、「教室で教化が行われている証拠はないと思います」と反論する。
多様性を巡る分裂
大学はDEI推進室やDEIプログラムに多額の投資を行ってきた。投資が特に大きくなったのは、白人警官によるGeorge Floydの殺害に対する抗議が全米に広がった2020年夏以降である。DEIの拡大は、右派だけでなく左派からの反発も招いた。左派からの批判は、DEIの取り組みが彼らの掲げる目標を達成する上で効果があるのか、あるいは、DEIプログラムが権力者に取り込まれ、有意義な変革を求める声をはぐらかすために形だけ利用されているのではないかという点に向けられる傾向がある。
基本的に、DEIは科学界には広く受け入れられている。世界中の多くの大学や企業が、DEIの取り組みや反人種差別計画を支持している。Natureも例外ではない(go.nature.com/4bxjb5m参照)。研究リーダーたちは、科学の多様性を制限し、科学の問い掛けや科学が生み出す仮説を制限してきた既存の構造的バイアスを打ち砕くためのツールとしてDEIを用いるべきだと主張してきた。この見解では、包摂は道徳的な要請であるだけでなく、科学に現実的な利益をもたらすものでもある。
フロリダ州は、公立高等教育への介入が他のどの州よりも強い。フロリダ州知事Ron DeSantisが2023年初頭に法案を提出し、同年7月に施行された法律は、彼の事務所が出した声明によれば、「アイデンティティー政治と教化の名の下に自由な思想を抑圧するリベラル・エリートの戦術」を阻止することを目的としているという。フロリダ州は、公立大学がDEIに予算を使うことを禁止し、フロリダ州立大学システム理事会に対して「米国の制度には体系的な人種差別、性差別、抑圧、特権が内在していて、これらの制度は社会的、政治的、経済的な不公平を維持するために作られたとする理論に基づく全てのカリキュラム」について報告するよう指示した。この指示は、公衆衛生における人種格差や科学史といったトピックに触れる科学課程に影響を及ぼす可能性がある。
この法律は、公立大学が「政治的または社会的なアクティビズムを促進したり、これらに関与したりする」プログラムやキャンパス活動に資金を提供することを禁止している。法律にアクティビズムを定義する文言はないが、法案草稿ではアクティビズムを「政府の政策、行為、機能を変化させたり、変化を阻止したりすることを目的として組織された活動、あるいは、社会問題に関連して自分たちが望む結果を達成することを意図した活動」と定義している。この法律を広く解釈すれば、気候変動の緩和、避妊具の入手を容易にすること、ワクチン接種率の向上などを目指して活動することはもちろん、研究することさえできなくなる。「文言は曖昧です」とMulveyは言う。「人々が面倒に巻き込まれることを恐れて活動を過剰に慎み、自主規制することを狙って、わざと曖昧にしているのです」。Natureはこの点についてDeSantisの事務所にコメントを求めたが、回答はなかった。
フロリダ州は2024年1月に、一般的な卒業要件を満たすために学生が履修できる科目のリストから「社会学原理」を外した。この科目の削除が決議されたフロリダ州立大学システム理事会で、同州教育理事のManny Diazは、「この分野はかつては非常に科学的だったが、ある時期以降、そこから離れてしまった」と発言した。2023年12月には、Diazはソーシャルメディア・プラットフォームX(旧ツイッター)に、「社会学は左派の活動家に乗っ取られ、学生のための一般教養科目としての本来の目的を果たしていない」と書いている。
同じ2023年12月にはAAUPが、反DEI法、DeSantis知事の政治的盟友の大学要職への任命、大学が比較的容易に教員を処分することができるテニュア後評価システムの導入など、フロリダの公立大学のシステムに対する政治的干渉を列挙した報告書を発表している。
一連の変化を受けてフロリダを去った教員もいる。個々の逸話は多いが、大規模な離職が起きていることを示す明確なデータはまだ出ていない。大学教員の職を得るには時間がかかり、空席を見つけるのも難しいため、数字として目に見えるようになるにはしばらく時間がかかるだろう。南部諸州の大学教員を代表する団体が実施した非公式の調査からは、多くの教員が移住に興味を寄せていることが明らかになっている。
神経科学者のElizabeth Leiningerは既にフロリダから去っている。彼女はかつてニューカレッジ・オブ・フロリダ(サラソタ)という左派寄りの小さな公立大学で教鞭を執っていた。同大学では理学士号を取得した卒業生の10%以上が博士号を取得しており、この数字は全米で13番目に高い。Leiningerは、博士号取得率の高さの一因は、学部での研究と自主研究に重点を置いたカリキュラムにあると考えている。「ニューカレッジの構造には、幾分ヒッピー的なところがあります」と彼女は言う。「けれどもこの構造が、科学者を訓練するのにうってつけだったのです」。
ニューカレッジ・オブ・フロリダは、DeSantisが2023年1月に数名の理事会メンバーを任命し、イデオロギーの徹底的な見直し(ある理事は、これを「保守派による反革命の幕開け」と呼んだ)を断行したことで大混乱に陥った。ニューカレッジの全てのDEI計画は直ちに中止され、その直後には学長が解雇され、5人の教員がテニュアを拒否された。新たにニューカレッジの学長に任命されたRichard Corcoranのメモによれば、「当カレッジを、より伝統的なリベラルアーツ教育機関へと移行させるという、新たな目的」のための人事であるという。テニュアを拒否された教員には、化学者2名と海洋学者1名が含まれている。彼らは全員、1年早くテニュア申請を行っていたので、希望するなら来年再申請することができるという。
Leiningerは、「科学を発展させるためには、科学を志す全ての人に居場所を与え、自分は科学者になれるのだと感じられるようにする必要があります」と言う。「私は、自分の学生の全員に手を差し伸べ、包摂的に教育することが許されないような職場では働きたくなかったのです」。彼女は2023年1月に新しい理事が任命された直後から新しい職場を探し始め、7月にはこの大学を去っていた。
社会学原理は、かつては非常に科学的だったが、ある時期以降、そこから離れてしまった
テキサス州の問題
フロリダ州ほど多くの変化が起きている州は他にないが、保守寄りの州では似たような話がある。テキサス州では、2024年1月1日に、公立大学がDEIオフィスを維持したり、採用プロセスでDEIステートメントを使用したりすることを禁止する法律が施行された。法案を提出したBrandon Creighton上院議員は、声明の中で、「政治的宣誓、強制された言論、大学職員の採用における人種プロファイリングの時代は終わった」と述べている。反DEI法は、ノースダコタ州、ノースカロライナ州、サウスダコタ州、テネシー州でも署名されている。
テキサス州のSB17法案には、この禁止は「学術課程」や「学術研究」への適用を意図していないと明記されているが、一部の人々が懸念していたように、法律を巡る不確実性が自己検閲につながっている。この法律が施行されたとき、テキサスA&M大学(カレッジステーション)に在籍していた心理学者のIdia Binitie Thurstonは、多様性研究に携わる同僚たちと共に大学内の研究資金を申請する準備をしていた。彼女が提案した研究プロジェクトは、思春期の子どもがいるテキサス州の家族を追跡し、人種差別の経験などさまざまな要因が思春期の子どもの健康にどのように影響を及ぼすかを調べるというものだった。
Thurstonによると、彼女のチームは大学の研究担当副学長であるGerianne Alexanderに、新しい方針からすると自分たちの研究テーマは問題にならないだろうかと尋ねたという。Thurstonが言うところの「具体的でなく、安心させてくれない」回答を受け取った研究チームは、自分たちの提案を破棄することにした。「私たちが懸念していたのは、不公平について言及することはできるのだろうかという点でした」と彼女は言う。「自分たちはこの手の問題について語ることができるのかということでした」。
Alexanderは、研究チームとのやりとりは覚えていないと言い、「大学当局は教員に、SB17は研究を制限するものではないと伝えています。どのようなテーマの研究であれ、学内外からの支援を求めてはいけない理由はありません」。
このやり取りから間もなく、Thurstonはテキサスを離れ、マサチューセッツ州ボストンで職を得た。彼女は研究を続けることにしたという。自分のデータは、社会的および人種的な不平等を是正するための具体的な介入に効果があるかどうかの議論に役立つと考えているからだ。「私たちは、研究ができる場所を見つけて、研究を行わなければなりません」と彼女は言う。
右派の活動家たちは、大学で教職に就こうとする人々が、自分の教室や研究室に多様性と公平性と包摂性を持たせるためのアプローチについて説明する「多様性に関するステートメント」も標的にしている。多くの保守派は、多様性に関するステートメントを雇用プロセスに用いることを、イデオロギーのリトマス試験紙、つまり左派の忠誠の誓いのようなものと見ている。マンハッタン研究所のフェローでDEI政策に反対しているHeather Mac DonaldはNatureに「多くの大学は、強制されたDEIステートメントに表明された多様性、公平性、包摂性への熱意に基づいて、STEM(科学、技術、工学、数学)分野の教員志願者を選んでいます。DEIへの熱意は科学的ブレイクスルーとは全く関係がなく、一種の思想統制です」と語った。
Leiningerの考えは違う。彼女は、「公立大学の教授や科学者としての私たちの仕事は、一般の人々に奉仕することです」と言い、それはすなわち、大学入学基準を満たす学生が「学問的な潜在能力を開花させる」のを助けることだと説明する。彼女は、多様性に関するステートメントは、それができる教員を見極めるのに役立つと言う。採用委員会は、教員候補のステートメントを審査することで、「全ての学生に同じ学問的機会が与えられているわけではないことを認識し」、自分の教育がさまざまな背景を持つ学生とどのようにつながることができるかについて何らかの考えを持っている人物を選ぶことができる。「このような教員が行うのは、教化ではなく良い教育です」。
テキサス州では、2024年1月1日に、公立大学がDEIオフィスを維持したり、採用プロセスでDEIステートメントを使用したりすることを禁止する法律が施行された。 Credit: SolStock/E+/Getty
反ユダヤ主義を巡る論争に端を発した最近の動きは、DEIプログラムの解体にとどまらない。2023年12月には、ニューヨーク州選出のMichael Lawler下院議員が、政府の運営資金を賄うために成立させなければならない予算案に追加条項を付けた。Lawler修正案は、「反ユダヤ主義を助長するあらゆるイベントを認可し、促進し、資金を提供し、その他の方法で支援する」公立高等教育機関への連邦政府からの資金を引き上げるとしている。Lawlerは、自分の法案は政治的干渉ではないと言う。Lawlerの広報担当者も、「この法案は、キャンパスでの活動を政治的に監視するものではなく、キャンパスにいる学生の安全を確保するためのものです」と述べている。
Lawlerの事務所はNatureに、この法案は米国教育省からの資金にのみ適用され、米国立衛生研究所(NIH)などの機関が提供する資金には適用されないと語った。しかし、全米大学協会(AAU)の政策専門家であるTobin Smithは、この法案の文言は、大学の研究にとって重要な資金源であるNIHをはじめとする他の連邦政府機関からの資金にも適用されるようにも読めると言う。
AAUの会長で、ケース・ウェスタン・リザーブ大学(オハイオ州クリーブランド)の元学長であるBarbara Snyderは、共和党は米国の研究事業の評判を危険にさらしていると批判する。「政策立案者が、政治的主張のためだけに、最先端の、生命を救う研究努力を危険にさらしているとしたら、それは信じられないほど近視眼的であり、長期的には全ての米国人に悪い結果をもたらすでしょう」。
トリニティー・カレッジ(コネチカット州ハートフォード)の政治学者で、保守派の高等教育改革キャンペーンについて研究しているIsaac Kamolaは、右派の活動家たちは今は反ユダヤ主義を焦点にしているが、次の焦点は科学的な問題になるかもしれないと指摘する。「来年は、気候変動の問題や、電気自動車や医薬品や新型コロナウイルス感染症(COVID-19)を巡る科学がやり玉に挙げられるかもしれません」。
実際、オハイオ州の議員たちは、気候変動政策など「論争がある見解や政策」について教えることを制限できるようにする法案を提出している。
Mulveyによれば、何を研究し、何を教えるかを決める総合的なキャンペーンは、一部の科学者に直接的な影響を及ぼす可能性が高いという。彼女自身は「完全に抽象的な数学」の研究者だが、全ての科学者がこの問題に関心を持つべきだと主張する。「大学の学問的使命や、民主主義における公共財としての高等教育の使命にとって、高等教育への政治的干渉は破滅を意味するからです」。
翻訳:三枝小夜子
Nature ダイジェスト Vol. 21 No. 5
DOI: 10.1038/ndigest.2024.240533
原文
Culture wars are raging on US campuses. Will they affect research?- Nature (2024-02-15) | DOI: 10.1038/d41586-024-00393-1
- Emma Marris
- 米国オレゴン州ポートランド在住のフリージャーナリスト。
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