iPS細胞に問題あり?
ヒトの胚性幹(ES)細胞は、使用に関して政治的な思惑が付きまとうため、代わりに成人の組織から誘導して作製した幹細胞を使いたいと医学研究者は考えている。そうした期待に水を差すような研究成果が報告された。成体細胞の分化時計を戻して作られる人工多能性幹(iPS)細胞は、ES細胞と同様の遺伝子発現パターンを示し、どちらの細胞も、どんな種類の細胞にも再分化できると考えられている。しかし今回、DNAの塩基配列はそのままで遺伝子発現が変化する「エピジェネティックな変化」のパターンが、iPS細胞がES細胞と同じではないことが明らかになった1 。これにより、iPS細胞が、ES細胞の代役として疾患のモデル作製や治療に用いるのに適さない可能性も出てきた。
ソーク研究所(米国カリフォルニア州ラホヤ)の分子遺伝学者Joseph Eckerらは、15種類の細胞株のゲノム全域について、エピジェネティックな変化の1つであるDNAのメチル化のパターンを解析した。15細胞株には、4種類のヒトES細胞株、5種類のiPS細胞株と、それらの元になった組織細胞や両方の幹細胞から分化させた細胞が含まれている。「大まかにはES細胞とiPS細胞はほぼ同じように見えますが、細部を見れば、iPS細胞にはES細胞と異なるさまざまな特徴が見つかります」とEckerは話す。
Eckerらは、iPS細胞の染色体の先端部付近や中心部付近のメチル化パターンが、胚に似た状態にリセットされるのではなく、むしろ、そのiPS細胞の元になった成体組織細胞のメチル化パターンに似ていることに気付いた。これだと、iPS細胞が作り出せる組織の種類が限定されてしまう可能性がある。「iPS細胞作製の再プログラム化過程はとても興味深いものですが、その多能性を獲得する道筋は、胚に由来する細胞とは根本的に異なっているのです。我々はいまだに、細胞をES細胞に似た状態に転換させる再プログラム化法を探していますよ」と、ボストン小児病院(米国マサチューセッツ州)の幹細胞研究者George Daleyは話す。
iPS細胞がエピジェネティックな「記憶」を保持しているとする今回の知見は、2010年にDaleyらやほかの研究チームが報告した、マウスのiPS細胞とES細胞の比較解析の結果2,3とも一致する。ただしマウスでは、メチル化の相違は、iPS細胞を継続培養するか、もしくは、もっと特殊化した細胞種へ再分化させることで、リセットできる可能性がある。ところが、ヒトのiPS細胞では、誘導して新しい組織を形成させた後でも、エピジェネティックな印が依然として残っていた。
一方、エピジェネティックな相違とは関係なく、iPS細胞もES細胞も、体の組織の完全なモデルにならない可能性がある。どちらの細胞にもゲノムの異常があるとみられるからだ。2010年4月にスクリプス研究所(米国カリフォルニア州ラホヤ)の幹細胞研究者Jeanne Loringらが発表した別の研究4によると、ES細胞には、自己複製に関係する遺伝子群と関連したDNA領域が重複する傾向があり、またiPS細胞には、発がん遺伝子が過剰に含まれ腫瘍抑制遺伝子が少なかった。両細胞のこうしたゲノム上の違いは、細胞の採取や維持に使う培養手法に起因している可能性が高い。ホワイトヘッド研究所(米国マサチューセッツ州ケンブリッジ)の幹細胞生物学者Richard Youngは、「正常な生物個体から細胞を取り出して培養すると、元の個体内の生活に適さないような特徴を獲得してしまうことがあります」と説明する。
これら幹細胞のゲノムの相違に関して、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(米国)の幹細胞生物学者William Lowryは、こう話す。「問題なのは、こうした相違の中に、重大な結果をもたらすものがあるのかどうかが、わかっていないことなのです」。
翻訳:船田晶子
Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 4
DOI: 10.1038/ndigest.2011.110422
参考文献
- Lister, R. et al. Nature 471, 68–73 (2011).
- Kim, K. et al. Nature 467, 285-290 (2010).
- Polo, J. M. et al. Nature Biotechnol. 28, 848-855 (2010).
- Laurent, L. C. et al. Cell Stem Cell 8, 106-118 (2011).
関連記事
Advertisement