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COVID-19による嗅覚消失:分かってきたこと

Nature ダイジェスト Vol. 19 No. 8 | doi : 10.1038/ndigest.2022.220816

原文:Nature (2022-06-09) | doi: 10.1038/d41586-022-01589-z | COVID and smell loss: answers begin to emerge

Michael Marshall

SARS-CoV-2が嗅覚を麻痺させるメカニズムが明らかになりつつあり、治療法の試験も行われている。

COVID-19により嗅覚を失っても、嗅覚トレーニングで匂いを感じる能力は回復することがある。 | 拡大する

PAU BARRENA/Contributor/AFP/Getty

新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)がどのようにして嗅覚消失を引き起こすかについて、ようやく解明が進みつつある。この後遺症に対処するために、ステロイド療法や血漿療法をはじめとする数多くの治療法の臨床試験が行われている。

嗅覚障害は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の特徴的な症状と見なされていたが、最近ではウイルスの進化に伴い、それほど見られなくなりつつある。パンデミック(世界的大流行)が始まってから2年間、絶望した患者たちからの相談に対応してきたモネル化学感覚センター(米国ペンシルベニア州フィラデルフィア)の心理学者Valentina Parmaは、「受信トレイが一杯になることは少なくなりました」と話す。

2022年5月に発表された研究1では、COVID-19にかかったことのある61万6318人の米国人を調査している。その結果、変異前のウイルスに感染した人と比べて、最初の「懸念される変異株(VOC)」として出現したアルファ株に感染した人は、化学感覚障害(嗅覚消失や味覚消失)を起こす頻度が50%に減っていることが分かった。さらに、のちに出現したデルタ株では44%、最近のオミクロン株では17%まで頻度が減っていた。

だが、良い知らせばかりではない。パンデミックの初期に感染した人は、かなりの割合で今でも化学感覚障害が残っているのだ。2021年の研究2では、軽症のCOVID-19にかかったことのある100人と、定期的な検査で常に陰性と判定された100人を追跡調査した。COVID-19にかかった人の46%は、感染から1年以上経っても嗅覚に問題があった。一方、対照群では、別の原因で多少の嗅覚低下を起こした人はいたが、全体のわずか10%だった。感染経験者の7%は、感染から1年後でもなお嗅覚を完全に失っている、医学用語で「無嗅覚症」と呼ばれる状態だった。世界中では5億人以上の感染経験者が確認されていることを考えると、嗅覚の問題を引きずっている人はおそらく数千万人にものぼるだろう。

そうした人たちに対する一刻も早い支援が必要だ。食べ物を味わったり花の香りを嗅いだりといった何でもないことが、今では「ひどい精神的苦痛」を彼らに与えているのだとParmaは言う。

破壊された核内構造

SARS-CoV-2がこのような異常を引き起こすメカニズムを解明できれば、より優れた治療法の開発につながるだろう。パンデミックの初期に行われた研究3で、SARS-CoV-2が鼻の中の支持細胞と呼ばれる細胞に感染することが明らかにされている。この細胞には嗅神経細胞の位置を固定し、栄養を供給する役割がある(2021年4月号「COVID-19による嗅覚障害と味覚障害:科学的に解明されていること」参照)。

それ以来、感染によって嗅神経細胞に何が起こるのかについて、いくつかの手掛かりが得られてきた。コロンビア大学(米国ニューヨーク)の生化学者Stavros LomvardasらがCOVID-19で死亡した患者を調べたところ、嗅神経細胞は失われてはいなかったが、匂い分子を感知する膜受容体の数が正常よりも減っていることが分かった4

それは嗅神経細胞の核内構造が破壊されていたためだった。正常な嗅神経細胞の核内では、染色体は2つの区画に分かれて存在し、この区画化構造(コンパートメントと呼ばれる)によって、ある特定の嗅覚受容体群を高いレベルで発現できるようになっている。しかし、患者の嗅神経細胞では、「核内にコンパートメントは観察できませんでした」とLomvardasは言う。

また別の研究からは、一部の人だけで嗅覚消失が長く続く理由が示唆されている。2022年1月、ある研究チームが、嗅覚や味覚を失った患者に認められる頻度が高い遺伝子変異を特定したと報告した5。この変異はDNAの「1文字」の変化(一塩基変異)で、UGT2A1およびUGT2A2と呼ばれる、染色体上の位置が重なり合った2つの遺伝子に見つかった。これら2つの遺伝子はどちらも、匂い分子を感知した後、それを鼻孔から除去するタンパク質をコードしている。しかし、SARS-CoV-2がこれらの遺伝子にどのような影響を与えるかは、まだ分かっていない。

嗅覚消失を起こした人の脳に、持続的な変化が生じるという研究結果もある。2022年3月に発表されたこの研究6では、785人の英国人で脳を2回にわたってスキャンした。2回のスキャンの間に約400人がCOVID-19にかかったため、それに伴う構造的変化を観察することができた。COVID-19にかかった人では、嗅覚中枢と見なされている脳領域に、組織損傷を示す所見を含む多様な変化が認められた(2022年7月号「COVID罹患後の脳の変化が画像で判明」参照)。そのような変化が生じた過程は明らかではないが、その1つの可能性として、入力の欠如が考えられる。「鼻からの入力を遮断してやると脳は萎縮します」と、モネル化学感覚センターの遺伝学者Danielle Reedは話す。「これは味覚と嗅覚について分かっている最も明確な事実の1つです」。

試験中の治療法

一方で、規模は小さいものが多いが、多くの治療法が臨床試験で検討されている。しかし、まだ始まってから間もないこともあり、多くの研究者が共通して推奨している治療法は、今のところ嗅覚トレーニングだけである7。これは強い香りを持つ試料を患者に嗅ぎ分けてもらうという方法で、嗅覚シグナルの回復を促すことを目的としている。だがReedによれば、この治療法は嗅覚を部分的に失っている患者にしか効果がないようだ。つまり、恩恵を受けられるのはCOVID-19により化学感覚障害を起こした患者の3分の1ほどでしかないと、Parmaは付け加える。

万人に効果がある治療法を見つけるために、多くの研究者が炎症を抑えるステロイド薬を研究している。COVID-19は広範な炎症を引き起こすことが知られており、それが嗅覚障害に関係している可能性がある。そうであれば理論上はステロイド薬が役に立つはずだ。しかし実際には期待外れの結果しか得られていない。例えば、2021年の研究8では、COVID-19の後遺症で無嗅覚症となった100人の患者に嗅覚トレーニングを行った。そのうち50人にはステロイド薬であるモメタゾンフランカルボン酸エステルを鼻内噴霧で投与し、残りの50人には投与しなかった。2つのグループの結果に有意差は認められなかった。

期待されているもう1つの治療法は、多血小板血漿(PRP)療法である。PRPは患者自身の血液から調製され、治癒を誘導する可能性のある生化学物質を豊富に含んでいる。2020年に発表されたパイロット研究9では、PRPを鼻腔内に注射した7人の患者を追跡調査し、3カ月後に5人に嗅覚の改善を認めた。同様に、2022年2月に発表された査読前論文10では、56人を追跡調査し、PRP療法が匂いに対する感受性を回復させることを示した。しかし、イーストアングリア大学(英国ノリッジ)の鼻・副鼻腔専門医Carl Philpottは、「被験者が少な過ぎます」と指摘する。現在、米国を中心とした研究チームが、より大規模な試験を開始しようとしている。

政府の強力な支援を得て前例のないスピードで試験が進んだCOVID-19ワクチンとは異なり、罹患後の化学感覚障害に対する治療法の開発の歩みは遅い。Philpottは、これまでの実験で別のタイプの嗅覚障害に効果があることが示唆されているビタミンAについて、小規模な試験を進めている。ただし、研究はまだ初期段階だ。「現実的に考えて試験には2022年内いっぱいかかり、データを分析して報告するには、おそらく翌年の半ば頃までかかるでしょう」とPhilpottは話す。「もし仮に有望な結果が得られたとしたら、本格的な臨床試験を行うための巨額の研究資金を申請することが、私たちの次の仕事になるでしょうね」。

(翻訳:藤山与一)

参考文献

  1. Coelho, D. H., Reiter, E. R., French, E. & Costanzo, R. M. Otolaryngol. Head Neck Surg. https://doi.org/10.1177/01945998221097656 (2022).
  2. Boscolo-Rizzo, P. et al. Rhinology 59, 517–527 (2021).
  3. Brann, D. H. et al. Sci. Adv. 6, eabc5801 (2020).
  4. Zazhytska, M. et al. Cell 185, 1052–1064.e12 (2022).
  5. Shelton, J. F. et al. Nature Genet. 54, 121–124 (2022).
  6. Douaud, G. et al. Nature 604, 697–707 (2022).
  7. Addison, A. B. et al. J. J. Allergy Clin. Immunol. 147, 1704–1719 (2021).
  8. Abdelalim, A. A. et al. Amer. J. Otolaryngol. 42, 102884 (2021).
  9. Yan, C. H., Mundy D. C. & Patel, Z. M. Laryngoscope Investig. Otolaryngol. 5, 187–193 (2020).
  10. Steffens, Y. et al. Preprint at medRxiv https://doi. org/10.1101/2022.02.14.22270109 (2022).

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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