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COVID-19による嗅覚障害と味覚障害:科学的に解明されていること

においトレーニングでは、バラの香りなど処方されたにおいを学習し直すことができる。 Credit: GUILLEM SARTORIO/BLOOMBERG/GETTY

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックの初期に、重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2(SARS-CoV-2)に感染した人の多くが、他に症状がなくても嗅覚を失っていることが明らかになった。また、感染した人が味覚や化学受容性感覚(辛味などの化学的に誘発される感覚を検出する能力)を失う場合があることが分かった。

ほぼ1年がたった今も、一部の人はこれらの感覚が回復していない。回復しても、においが変容してしまった人もいる。通常は快いにおいなのに、不快なものに感じられるという。長期間続き得る、この消耗性の現象の背後にある科学についてNature が概説する。

嗅覚消失を経験しているCOVID-19患者の割合は?

割合は研究ごとに異なるが、においの消失はよく見られる症状であることが大半の研究から示唆されている(2020年6月号「スマホアプリのデータから見えてきたCOVID-19の特徴」)。

2020年6月1日に発表されたある総説1では、COVID-19患者8438人のデータをまとめ、「嗅覚消失を経験」と報告された人の割合が41%になることが明らかにされた。同年8月2日に発表された別の研究2では、テヘラン(イラン)の基礎科学研究所のShima T. Moeinが率いるチームが、100人のCOVID-19患者を対象に、におい特定試験を実施した。その試験では、患者はにおいを嗅いで、多項選択式でそれらのにおいを特定する。参加者の96%に何らかの嗅覚障害が見られ、18%が完全に嗅覚を失っていた(無嗅覚症)。

「患者は、突然においを感じなくなったと言うことが多いです」とMoeinは述べる。この症状が、COVID-19に関連するとされる手掛かりの1つだ。そしてしばしば、この嗅覚異常が、感染者が申告する唯一のCOVID-19症状であり、このことから、この現象がウイルスによって誘発される鼻詰まりとは別のものであることが示唆される。

COVID-19感染者はなぜにおいに対する感受性を失うのか?

機構は完全に解明されていないが、このウイルスがニューロンを支える細胞に感染すると嗅覚消失が起こるというのが、最近浮上してきた共通見解だ。

最初に嗅覚消失がCOVID-19の症状であると認識されたとき、研究者たちは、脳の嗅球に信号を送る鼻のにおい感知ニューロンにウイルスが感染しているために、ウイルスが脳に到達する可能性があるのではと、不安を感じていた。しかし、COVID-19に感染した人々の死後研究3で、ウイルスはめったに脳に達しないことが示されている。

その代わりに鼻の感覚ニューロンを支える細胞(支持細胞と呼ばれる)が、おそらくウイルスに感染する細胞であることを、ハーバード大学医学系大学院(米国マサチューセッツ州ボストン)の神経生物学者Sandeep Robert Dattaが率いるチームは見いだした4

Dattaらが支持細胞に焦点を絞った理由は、SARS-CoV-2が細胞表面のACE2と呼ばれる受容体を介して細胞を攻撃するからだ。支持細胞はACE2受容体をたくさん持っているが、嗅覚ニューロンはそうではない。従って、コロナウイルスは支持細胞に感染し、その結果ニューロンを弱らせて栄養が枯渇した状態にすると考えられる。

COVID-19は別の方法でも嗅覚消失を引き起こすかもしれない。例えばイタリアの研究チームは、嗅覚と味覚の消失がインターロイキン6と呼ばれる炎症シグナル伝達分子の血中濃度の増加と同時に発生することを示した5

嗅覚に関わるメカニズムについてはある程度の科学的解明がなされているが、コロナウイルスが味覚や化学受容性感覚に影響を与える仕組みについてはほとんど分かっていない。「私の知る限り、それについてよく理解している人は今のところ誰もいません」と、ペンシルベニア州立大学(米国ユニバーシティーパーク)の食品科学者で、COVID-19の化学感覚に対する影響を研究しているJohn Hayesは言う。味覚や化学受容性感覚は嗅覚とは異なるが、これら3つ全てによって、ヒトは食物や飲料がどんな「風味」を持つかを知るのだ。

損なわれた感覚はどの程度で戻るか?

嗅覚、味覚、そして化学受容性感覚は、ほとんどの人で数週間以内に回復する。2020年7月6日に発表された研究6では、嗅覚障害があったCOVID-19患者の72%は、1カ月後には嗅覚を回復したと報告し、味覚障害があった患者の場合は84%が同様の報告をした。しかし、そうではない人々にとって、症状はもっと深刻だ。感覚がすぐ戻らない一部の人々は長期間かけてゆっくり改善するが、これには問題が伴うことがあると、ガイズ病院とセント・トーマス病院(英国ロンドン)の耳鼻咽喉コンサルタントClaire Hopkinsは言う。嗅覚を取り戻しても、においを不快なものと知覚し、記憶していたものとは異なると感じることがしばしば起こる。嗅覚錯誤と呼ばれる現象だ。

これが起こっている人では「全てが嫌なにおいに感じられる」とHopkinsは言う。影響が数カ月続く場合があることについて彼女は、回復するときに嗅覚ニューロンの配線が変わってしまうからかもしれないと言う。

完全に無嗅覚の状態が何カ月も続く患者もいる。その理由は明らかではないが、Hopkinsは、コロナウイルス感染によって嗅覚ニューロンが死んでしまったのかもしれないと考えている。

化学感覚を永久に失うことの影響は?

そのような状態は、視覚や聴覚などの消失ほど研究が進んでいないが、その結果は深刻であることは分かっている。

影響の1つは、危険に気付きにくいことだ。例えば、無嗅覚症の人は腐った食物や煙に気付きにくい。2014年の研究で、無嗅覚症の人々が腐った食物を食べてしまうなどの危険な出来事を経験する可能性は、嗅覚消失がない人の2倍になることが分かった7

他の影響は測定するのがもっと難しい。「ほとんどの人は嗅覚を失うまで、生活の中で嗅覚がいかに重要かを認識していません」と、Moeinは言う。食物の風味を感じられないことは明らかに主要な損失だが、他の感覚も重要である。Hayesは、「生まれたばかりの赤ちゃんのにおい」を通じて親は自分の子どもとつながることを例に挙げ、それを感じられない場合の親の損失を指摘する。そしてMoeinは、生物学的メカニズムは不明瞭だが、嗅覚障害がうつ状態に関連付けられていると述べる。

感覚を回復する治療法はあるか?

研究が不足しているため、確立した治療法はほとんどない。しかし、1つ選択肢がある。においトレーニングである。処方されたにおいを定期的に嗅いで、においを学習し直すという訓練だ。Hopkinsはアブセント(AbScent;英国アンドーバー)と呼ばれる慈善団体と協力して、このトレーニングを一般市民に広める活動を行っている。パンデミックが起こる前から、このような障害のある人の中にはこのトレーニングで嗅覚機能を回復できる人もいるという証拠8があるが、どの人にも効き目があるというわけではないようだ。

もっと長期の研究では、バージニア・コモンウェルス大学(米国リッチモンド)のRichard CostanzoとDaniel Coelhoが嗅覚インプラントを開発中である。これは鼻に埋め込む装置で、におい化合物を感知して、脳に電気信号を送る。しかし、この装置が実際に臨床で使われるにはまだ「何年もかかる」とCoelhoは言う。具体的には、インプラントが脳のどの領域を刺激すべきかを知る必要があるため、「科学研究によって解明しなければならないことがまだ残っている」と彼は付け加える。

翻訳:古川奈々子

Nature ダイジェスト Vol. 18 No. 4

DOI: 10.1038/ndigest.2021.210406

原文

COVID’s toll on smell and taste: what scientists do and don’t know
  • Nature (2021-01-21) | DOI: 10.1038/d41586-021-00055-6
  • Michael Marshall

参考文献

  1. Agyeman, A. A., Chin, K. L., Landersdorfer, C. B., Liew, D. & Ofori-Asenso, R. Mayo Clin. Proc. 95, 1621–1631 (2020).
  2. Moein, S. T., Hashemian, S. M., Tabarsi, P. & Doty, R. L. Int. Forum Allergy Rhinol. 10, 1127–1135 (2020).
  3. Meinhardt, J. et al. Nature Neurosci. https://doi.org/10.1038/s41593-020-00758-5 (2020).
  4. Brann, D. H. et al. Sci. Adv. 6, eabc5801 (2020).
  5. Cazzolla, A. P. et al. ACS Chem. Neurosci. 11, 2774−2781 (2020).
  6. Reiter, E. R., Coelho, D. H., Kons, Z. A. & Costanzo, R. M. Am. J. Otolaryngol. 41, 102639 (2020).
  7. Pence, T. S. et al. JAMA Otolaryngol. Head Neck Surg. 140, 951–955 (2014).
  8. Boesveldt, S. et al. Chem. Senses 42, 513–523 (2017).