腫瘍は、筋肉や神経を保護するシグナルを遮断する
Nature ダイジェスト Vol. 19 No. 1 | doi : 10.1038/ndigest.2022.220142
原文:Nature (2021-10-07) | doi: 10.1038/d41586-021-02492-9 | Tumours block protective muscle and nerve signals to cause cachexia
ある種のがんは、人を消耗させ、衰弱させる悪液質という状態に陥らせる。今回、こうしたがんの悪液質マウスモデルにおいて、通常は筋肉の神経支配と量を保護している分子が、腫瘍によって阻害されることが示された。この発見は、致死的ながんを治療する方法につながるだろうか?
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ある種のがん、特に消化管腫瘍や肺腫瘍の人は悪液質と呼ばれる状態を経験することが多い1。悪液質とは、進行性の体重減少で、重度であることが多いが、食物摂取量とは関係がない。悪液質が生じるのは、腫瘍が、体の神経系、免疫系、代謝系を再配線して、脂肪組織や骨格筋の破壊(異化と呼ばれる、代謝における分解反応)を開始させるためである2,3。悪液質になった人は、筋肉が減弱して小さくなるにつれて、体の正常な機能が失われていく。損傷、感染、治療毒性に脆弱になり、最終的にはがん治療に反応しなくなるのだ(2016年3月号「最期の病」参照)。
悪液質は、全てのがんによる死亡の原因の30%以上を占め4、また、臓器不全など、他の多くの疾患でもよく見られる。致死的であるにもかかわらず、承認された有効な治療法はない。動物での前臨床研究から、筋肉の消耗を阻止すると、抗腫瘍療法を受けたかどうかにかかわらず、体の機能が維持され、寿命が延びることが示されている5。このことは、悪液質のリスクがあるがん患者にも当てはまる可能性が考えられる。このほど、ベイカー心臓・糖尿病研究所(オーストラリア・メルボルン)およびベネチア分子医学研究所およびパドバ大学(共にイタリア)のRoberta Sartoriら6は、がんに伴う悪液質において標的となり得る経路を特定したことを、Science Translational Medicine 2021年8月4日号で報告した(図1)。この発見により、治療法の開発に一歩近づいた。
動物は、疾患や損傷に対抗するために、食欲や餌探索行動を減少させる機構を進化させてきた。このような機構には、中枢神経系に警告を発する炎症シグナルが含まれている。つまりこの適応は、弱っている状態で捕食者に出会わないように、炎症シグナルが行動を制限している。しかし、このシグナルは、異化過程を促進するものでもあり、貯蔵されている脂肪酸やアミノ酸を放出させて組織を修復し、感染と戦い、脳や器官の機能を保護する働きも担っている。組織が修復され、感染が除去されると、炎症は消失して通常の摂餌が再開されるので、栄養を補充して体に蓄えることが可能になる。生存のためのこれらの機構を、がんは有用な適応から傷害が生じる原因へと変化させる。腫瘍は、一種の再生組織とも、治癒しない創傷とも見なすことができるが、典型的な損傷あるいは感染のように時間の経過と共に軽減することはない。従って、脂肪や筋肉の異化は衰えることなく進行し、しばしば衰弱や死につながる。
腫瘍がこのような変化を引き起こす仕組みが解明され始めている。腫瘍(あるいは腫瘍に対する宿主応答)から生じるシグナルは、まだ完全には明らかになっていないが、筋細胞が受け取ることが分かっている。筋肉では、これらのシグナルがタンパク質の異化を活性化する。異化は、部分的には、ユビキチン–プロテアソーム系として知られる分解過程を介して起こり、この系は分解するタンパク質にタグ付けを行う特定の酵素群に依存している。悪液質に見られる全身での特徴的な筋線維の退縮や筋肉の消耗は、こうして引き起こされる。
筋肉や筋線維サイズの低下(萎縮)は、他の理由によっても引き起こされる可能性がある。例えば、筋萎縮性側索硬化症などの運動ニューロン疾患では、自発的なモーター運動を制御するために筋肉を神経支配するニューロンの質、活動、数の低下が起こる。この状態は除神経または脱神経と呼ばれ、これが筋萎縮につながる。このような各機構が、がんにおいても筋肉の消耗に関与すると提案されている7。
これまでに複数の研究グループが、骨形成タンパク質(BMP)経路として知られる一連の分子的相互作用によって、筋肉の機能や量が正に調節されることを明らかにしている8,9。今回のSartoriらの研究は、これらの研究を行ったグループとの共同研究である。BMPと呼ばれる分子群は分泌タンパク質であり、細胞間および組織間にシグナルを伝達する10。BMPファミリーのタンパク質は、発生過程では胚において組織のパターンや運命を指定し、成体では筋骨格系の健康に不可欠な役割を担っている。BMPは細胞のBMP受容体(BMPR)に結合することで作用を発揮する。BMPがBMPRに結合すると、SMADタンパク質が活性化されて核に移行し、遺伝子発現を変化させることで、最終的には細胞の特性が変化する(図1)。
悪液質という状態は、重度の体重減少と筋肉の消耗を特徴とし、ある種のがんに関連することが知られている。悪液質により死に至ることもあるが、治療法はない。
a これまでの研究8,9から、BMPタンパク質のBMP受容体(BMPR)およびSMADタンパク質を介して作用する経路が、筋細胞の正常な成長および、筋細胞と運動ニューロンとの機能的接続を促進することで、筋肉の健康や機能が正常に維持できることが示されている。
b Sartoriら6はマウスモデルと臨床試料を用いて研究を行い、悪液質による筋肉量の減少がBMP経路の阻害に関連していることを報告した。BMP経路の阻害は、がんに伴う炎症過程で産生されるIL-6タンパク質によって仲介される可能性がある。IL-6は、BMP経路を遮断するタンパク質Nogginの発現を引き起こす。Sartoriらは、Nogginが、筋肉の消耗と神経–筋接続の異常(運動ニューロンと筋線維の間の接続が通常よりも少なくて弱いことなど)の両方を引き起こしたことを報告している。他の腫瘍関連シグナルも、これらの現象に関与するかどうかはまだ明らかになっていない。 | 拡大する
これまでにBMP7あるいはBMPRの活性上昇により、SMAD1/5/8タンパク質を介して筋肉サイズの増加(肥大)が促進されること、また、神経支配が低下した状態ではBMPシグナル伝達が筋肉サイズを保護することが示されている8。これ以前の研究で、SMAD4を介したBMPシグナル伝達が筋肉の成長を促進すること、またBMPRの活性化を阻止するNogginというBMP阻害タンパク質が、筋肉の消耗を誘導することも実証されている9。これらの研究から、BMPシグナル伝達は筋肉の重要な成長促進経路であることが実証されている。今回Sartoriらは、がんに関連する悪液質の状況で、このBMP経路を調べた。
Sartoriらは、悪液質の一般的なマウスモデル(脇腹に大腸腫瘍を移植した担がんマウスで、致死的な筋肉の消耗が迅速に引き起こされる)を用いて、腫瘍がないマウスと比較した場合に、ユビキチン–プロテアソーム系の活性化とBMP活性の低下が見られることを示した。また、腫瘍を持つマウスにおいて遺伝学的手法によりBMP活性を上昇させる、あるいはNogginを阻害すると、ユビキチン–プロテアソーム系の活性化が低下し、筋肉が維持されることも分かった。従って、これらの証拠から、腫瘍が誘導するNogginはBMPシグナル伝達を阻害することで、タンパク質の異化と筋肉の消耗を引き起こしていることが示された。
影響が生じていたのは、筋肉のサイズだけではなかった。Sartoriらはさらに、筋肉の異常な神経支配が、筋肉量の減少よりも先に起こることを突き止めた。この結果から、悪液質において脱神経が原因となる役割を持つことが示唆された。Sartoriらは、実験的手法を組み合わせることで、神経支配の異常は、運動ニューロンと筋細胞(筋線維)の間の機能的相互作用の喪失であることを実証した。今回明らかになったニューロンと筋線維の接続の狂いや変性は、過剰なNogginへの曝露によって模倣される可能性がある。神経支配の異常が見られる状況では、BMPの添加あるいはNogginの阻害が筋保護的作用を示すことをSartoriらは確認した。
では、筋肉でこのようなNoggin発現を引き起こすのは何だろうか? Sartoriらは、Noggin発現が炎症促進分子であるインターロイキン6(IL-6)によって引き起こされると提案している。IL-6タンパク質は、免疫応答を調整するのに役立ち、また、がん悪液質に密接に関係している。がんのマウスモデルでの研究で、過剰なIL-6によって悪液質が誘導されるが、IL-6阻害によって筋肉消耗が阻止されることが報告されている11。しかし、この効果をヒトにおいて評価する最終的な臨床試験は行われていない。Sartoriらの悪液質マウスモデルでは、IL-6はSTAT3タンパク質の活性化を介してNogginの発現を引き起こした。この研究により、腫瘍によって引き起こされる炎症と筋肉の分解との間をつなぐ経路の存在が実証され、これがBMP阻害過程を介していることも明らかになったわけである。
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次に、Sartoriらの研究チームは、マウスモデルでの知見と臨床との関連を明らかにすることにした。大腸がんあるいは膵臓がんの手術を受けた人から採取した筋肉を調べると、がん関連悪液質の見られる人は、マウスモデルで観察されたのと同様の、特定の特徴を示すことが分かった。これらの特徴には、①平均Nogginレベルの上昇およびユビキチン–プロテアソーム系の活性の上昇、②筋線維サイズの減少、③脱神経を示す分子的、細胞的、血液での証拠が含まれている。IL-6は評価されていないが、これらの結果から総合的に、この研究で試料が解析された人の少なくとも一部では、筋肉においてがんが誘導する脱神経や消耗にNogginが役割を担っていることが裏付けられた。
さらにSartoriらは、これまでに肺細胞においてBMPシグナル伝達を増強することが示されている低分子チロロン12の効果を調べた。悪液質マウスモデルでは、チロロンを投与されたマウスで、筋肉におけるBMPシグナル伝達が維持されていた。チロロン投与は、腫瘍の増殖には影響を与えなかったが、運動ニューロンの機能不全の阻止、体重減少や筋肉消耗の防止、生存期間の大幅な延長が観察された。興味深いことに、チロロンはBMPの活性化以外にも多くの効果があるといわれている(go.nature.com/3njce9参照)。例えば、抗ウイルスおよび抗炎症の効果に加え、抗線維化の効果(線維症と呼ばれる状態を標的とする。線維症は、細胞外マトリックスの沈着や組織の硬化と関連がある)、低酸素に関連する経路(低酸素誘導経路)を活性化する効果13、アセチルコリンエステラーゼという酵素の強力かつ選択的な阻害効果14(筋肉におけるニューロンシグナル伝達を終了させる作用)である。
チロロンの多様な効果を考えると、このモデルでチロロンの有望な作用機構全てを解明するのは難しい。チロロンの効果は、IL-6阻害(およびその結果としてのNoggin発現の減少)から、神経筋接合部の直接保存あるいは食餌摂取の改善にまで及ぶ可能性があるからだ。しかし、この顕著な結果は、有望な治療法を開発する取り組みにおいてさらに追跡して調査されるべきである。
Sartoriらは、Noggin、脱神経、消耗を結び付ける示唆に富むデータを示している。それにもかかわらず、悪液質の運動ニューロンについて公開されたデータは少なく、一部の証拠が矛盾している15,16ことを考えると、悪液質における神経筋機能不全の頻度、規模、機能的結果を決定するための協調的な取り組みが必要だろう。腫瘍の種類、ステージ、宿主応答あるいは体の状態(年齢、性別、健康状態、遺伝学的性質など)の違いにより、BMP経路の活性にも、がんにおける運動ニューロンの変性や消耗の程度にも、違いが生じる可能性がある。モデルを用いてさらに研究を行うこと、また、異なる種類のがんの患者から多数の試料を得て注意深く解析することが、これらの観察の普遍性を見極めるのに役立つと考えられる。
最後に、この経路を調節すると考えられる手法が、他の器官や腫瘍、抗がん療法への応答に及ぼす影響にも対処しなければならない。抗腫瘍療法を補完する抗悪液質療法を見つけることは、この致死的な状態にある人にとって一番の希望になるだろう。
(翻訳:三谷祐貴子)
Teresa A. Zimmersは、インディアナ大学医学系大学院(米国インディアナポリス)に所属。
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