イノベーション研究の若きトップランナー清水洋氏、シュンペーター賞を受賞
清水洋・早稲田大学教授が執筆した『General Purpose Technology, Spin-Out, and Innovation』(Springer, 2019)に、「シュンペーター賞」が贈られることが2021年7月、国際シュンペーター学会より発表された。この書籍は、清水氏が日米のレーザー・ダイオード開発の比較を通して、「イノベーションは太い幹(汎用性の高い技術)に育てていくほど、果実(新しい用途)が減っていく」というトレードオフの関係を導き出し、まとめたものである。
同賞は、イノベーション(革新)と経済発展の理論を確立した経済学者ヨーゼフ・アロイス・シュンペーター氏(Joseph Alois Schumpeter)の名を冠する国際学会が1988年に設立。日本人の受賞は、故 青木昌彦氏(スタンフォード大学名誉教授)に次いで2人目。
なお、受賞作品は投票により決定された。国際シュンペーター学会の理事長で湖南師範大学副学長の欧阳嶢氏(Yao Ouyang)に、この書籍が評価された理由について尋ねたところ、「研究開発者たちの競争と、開発者たちが組み込まれていたより大きな社会的・経済的な構造、そしてレーザー技術を巡るスピンアウトとイノベーションの間の力学を、綿密な資料と取材に基づいて分析し、小さな種をいかにして幹のしっかりした大木に育て、そこからより豊かな果実を得るかについて、答えを示した」と、回答を寄せてくれた。
清水氏は、進学先である一橋大学大学院でイノベーション研究と出会った。「よく分かっていないことが多いが、とても大切な領域だと知り、研究に取り組み始めた」と語る。現在、ヒト・モノ・カネといった企業の経営資源が流動化していくと、①イノベーションにどのような影響がでるか、そして②そこで生み出されるイノベーションは社会にどのような影響を与えるかという2点を研究しているとのこと。また日本について、ヒト・モノ・カネの流動性が徐々に高まっており、これがイノベーションや社会にどのような影響を与えていくかに興味を持っていると言う。
イノベーションを生み出す上でスタートアップの役割は大きく、日本でもスタートアップ促進のための政策が行われている。しかし清水氏は著書の中で、スタートアップを促進していくと、これまで日本が多く生み出してきた累積的なイノベーションが早くに終息する可能性があると述べている。基礎的な研究開発への投資とセットにしなければ、手近な果実もぎにより中長期的な成長を犠牲にした短期的なイノベーションになってしまうと指摘している。
科学・技術力の低下がさまざまな数値から指摘される日本に、イノベーションが生まれる条件はそろっているのか、また、土壌となる研究者や助成金、産学官の連携について清水氏の目にはどのように映っているのか、話を聞いた。
―― シュンペーター賞受賞、おめでとうございます。受賞の知らせを受けたとき、最初に思ったことを教えてください。
清水氏: とても驚きました。事務局から「すみません、間違いでした」という連絡が来るのではないかと思いました(今でも少し思っています)。過去の受賞者の方々は、イノベーションの研究で知らない人はいないスターばかりでした。
―― 汎用性の高い技術、スピンアウト、イノベーションの3つの相互作用を、レーザー・ダイオードを例に調べようと思った理由を教えてください。
清水氏: せっかく研究するなら、社会にインパクトの大きいイノベーションを研究したいと思っていました。そこで、留学先で盛んに議論されていたジェネラル・パーパス・テクノロジー(汎用性の高い技術)を自分でも研究しようと思いました。その性質については、まだよく分かっていないことも多かったのです。そして、どうせやるなら、日本が重要な役割を担ったものがよいと思い、レーザー・ダイオードを選びました。
スピンアウトに焦点を当てたのは、スピンアウトはイノベーションの源泉として考えられていたからです。日本でも盛んにスピンアウトを促進しようという政策がなされていました。しかし、本当にそれで(それだけで)上手くいくのかなという疑問はありました。
―― 3つの相互作用とは、どのようなものと言えるのでしょうか。
清水氏: 現在で言えば、人工知能で考えると分かりやすいと思います。人工知能はさまざまな領域で使われ得る技術です。そのため、優秀な人工知能の研究者たちが、どんどんアプリケーション側の企業にヘッドハンティングされています。起業する人たちもいるでしょう。そうすると、アプリケーション側でイノベーションが増えていきます。しかし、人工知能の基礎的な研究を行っていた優秀な研究者が応用側にどんどん行ってしまうと、基礎的な研究開発の水準が早い段階で収束してしまう可能性があるのです。つまり、スタートアップを促進するような社会では、基礎的な研究開発が弱くなりがちになる、という関係にあると考えています。
―― 基礎研究への投資が重要と、ご著書で述べています。理由を教えてください。
清水氏: 上述のように、スタートアップを増やすと、アプリケーション側でイノベーションが多くなります。これは良いことでしょう。スタートアップが脆弱だった日本では特に重要です。しかし、それが進むと、基礎的な研究開発が弱くなります。基礎的な研究開発は、優れたアプリケーションを生み出す源泉ですから、ここへの投資がスタートアップ促進とセットにならなければ、中長期的な成長を犠牲にした短期的なイノベーションとなってしまいます。
―― 日本は累積的イノベーションが多いとのこと。イノベーションが生まれてきたということは、基礎研究に十分な投資が行われてきたということですか?
清水氏: 日本の企業は積極的に研究開発投資をしてきました。しかし、余裕がなくなってきた80年代以降、企業の中央研究所は減り続けていて、今は応用研究が中心です。というのも、企業には基礎研究をやるインセンティブはあまりありません。企業としては、最終的には、応用や開発のための研究をして特許を取って、自社の製品に組み込みたい。これまでは、やむなくやっていたわけですが、その余裕がなくなっています。
米国も同じで、日本よりも少し前から、大企業は基礎研究をそれほどやらなくなりました。自身の新規性の高い研究開発に投資するよりも、うまくいきつつあるスタートアップ企業に投資する方向に進んでいます。日本には研究開発型スタートアップがないので、欧米のスタートアップを買うことが進んできました。
―― 日本のアカデミアでは、どのようなイノベーションが見込めるのでしょうか。
清水氏: このままのやり方を続けると、あまり大きなイノベーションは見込めないのではないでしょうか。見込めるとすれば、大型プロジェクトなどでしっかりとした投資がされ、なおかつ新規参入者が多い領域だと思います。投資とイノベーションは、正の関数です。それと、競争はやっぱりあった方がよい。また新規参入者がいることで、今までとは違う競争が起こる。競争がありながらも安定的に大型の研究費が出てくることが、イノベーションには重要です。イノベーションは課題解決の結果です。マクロで見れば、その課題に対してコミュニティー全体で取り組んでいて、ミクロで見れば、研究者個人個人がプライオリティー競争をしているわけです。
―― 何になるか分からないのが基礎研究。企業からの出資を呼び込むには、どうすればよいのでしょう?
清水氏: 重要なポイントとして、私は日本版SBIR(Small Business Innovation Research;中小企業技術革新制度)を機能させる必要があると思っています。米国ではうまく機能していて、ラボの研究と商用化をつなぐのに重要な役割を果たしています。大学の研究者が、起業して、資金をSBIRから得て、研究を加速させる。研究がうまくいくと、ベンチャーキャピタル(投資会社)が出資を始めるという流れです。日本ではそれがうまくいっていません。
うまく機能させるためには、労働市場の流動性が必要です。米国でそれが高いのは、研究者がSBIRからお金をもらってスタートアップを作る、失敗したら大学に戻ったり、新しいスタートアップを作ったりする、ということが可能だからです。しかし、日本では労働市場の流動性は徐々に高まってきてはいるものの、まだまだです。日本では判例上、企業が整理解雇をしにくいし、不採算の事業も整理しにくい。新しい人も雇いにくい。
これに関連して、最近、衝撃を受けた話があります。日本を代表する企業が量子コンピューティングの博士号持ち研究者を募集していたのですが、その年収が500万円からというのです。もちろん企業側にも理由があるはずです。次々と技術革新が生まれている領域で研究開発を行うことは、自社の研究開発が陳腐化するリスクが高いということ。最先端の研究者を正社員で受け入れ、仮にその人のスキルが陳腐化しても、それを理由に解雇はできないわけですから、安いコストで(つぶしの利く)若い人を採って、専門以外でも企業に貢献してくれることを期待しているのではないか、と考えています。
例えば、年収3000万円(あるいはそれ以上)で最先端のバリバリの研究者を採用して、もしもその人の知識が陳腐化したり、企業にとっての戦略的な価値がなくなったりした場合などには、柔軟に解雇するという体制は、研究者の流動性を高めるためにもいいことだと思います。ただ、やみくもに労働市場を流動化するのは良いとは思っていません。安定的な雇用は人々の生活に大切で、戦後の日本は失業率の低さによって比較的安定した社会を築いてきたのです。日本の労働市場の流動性を変えれば日本に大きな変化をもたらします。それを進めるかどうかは、国民がどう判断するか次第だと思います。
―― 日本でも、URAなど産学連携のコーディネーターが育つ必要がありますね。
清水氏: そうですね。もっと積極的な役割を担ってほしいと思います。米国のコーディネーターは、Ph.Dを持っていて、企業にいた人が多い。そういう人が活躍できますし、増えるといいと思います。また、研究開発型のスタートアップも、日本で増えてほしいと思っています。
―― 博士号人材が日本の企業で活躍するには、どのような形があるのでしょうか?
清水氏: 優秀な博士号持ちの研究者が大勢いる企業は実際にあります。ただ、企業に必要な専門的な知識は変化します。企業は、もう必要ないからと解雇するわけにはいきませんし、研究者も企業から出にくい。企業から出てベンチャーをやって、失敗したら次はラーメン屋……とはいかないでしょう。社内に残ったとしても、「あなたの研究開発はもう終わりですから、次は営業に行ってください」と言われる可能性もあります。ラーメン屋さんや営業が悪いわけでは全くありませんが、これでは研究者が蓄積した知識が失われてしまい、社会的なロスです。もったいないですよね。本当はそこで、企業からスピンアウトしてスタートアップを作ったり、自分の知識を必要としている他社へ行くという選択肢も十分あり得るのですが。
―― では、日本に活躍の場を求めず、海外に行く方がいいのでしょうか?
清水氏: 悪くないと思います。言い方を変えると、日本でしか働けない、というのは厳しいですよね。自分の研究ならどこでも職がある、でもこの場所が、この職場が好きだからここで働く、という決め方ができると精神衛生上いいと思います。研究者個人の価値を上げる努力、グローバルに通ずる研究を続けることが重要ではないでしょうか。
―― 日本のアカデミアでは、若手研究者は獲得できる助成金が少なく、多くの場合、教育と書類業務に当たりながら1人で研究を進めています。
清水氏: 研究に没頭できる時間が少なくなっていることは大きな課題です。研究者が腰を据えて基礎的な研究開発を進めることができる環境はとても大切です。
―― そうした中、防衛省関連の助成金が急増しています。
清水氏: 防衛省の基礎研究向け助成金については、歴史的な経緯から議論があります。しかし、イノベーションという観点だけからすると、非常に重要な役割を担い得るものです。米国では国防総省のディフェンスが物理学や工学の基礎的な研究開発を下支えしています。それを無視して、日本でも米国型のようにスタートアップを促進していくと、下支えがありませんから、手近な果実もぎだけになってしまいます。ディフェンスでなくても、エネルギーやヘルスケアなど国が力強く基礎研究を支えるべき領域はたくさんあります。
―― 2013年策定の「国立大学改革プラン」により、大学に応用研究や職業教育が求められるようになり、基礎研究に資金が流れにくくなりました。イノベーションを生むには、産学官の「官」にはどんな役割が求められるのでしょう。
清水氏: こうした政策が取られる理由は、基礎研究に投じても1人当たりのGDPがどれだけ上がるか分からないことが背景にありますが、研究開発に対して、国と企業の分業に対する理解がなされなかったと感じます。
基礎研究は結果が出るまで時間がかかりますが、応用開発はその道のりが基礎研究よりも短いです。また、応用開発研究はビジネスに直結しやすいので、企業が自分で投資をします。投資回収が比較的やりやすいのです。しかし、基礎研究への投資はそうはいきません。だから、企業が投資しにくく、波及効果が大きい基礎研究に投資するのは国の役割といえます。うまくいかなかったとしても、それはそれでいいのです。二重投資を回避できるし、横展開している例もたくさんあります。
過去に、新エネルギー開発だとか次世代コンピューターだとか、うまくいかなかった研究が税金の無駄遣いだと非難されたことも関係しているでしょう。科学ジャーナリズムが日本でまだ育っていないので……研究開発に対する「官」の投資の在り方について、分かりやすく伝えるジャーナリズムがもっと厚くなると、社会の理解も進むのではないかと思います。私たち研究者自身も、伝えていかないといけないですね。
―― 米国や中国は、科学に莫大な研究費を投入しています。
清水氏: 米国にせよ中国にせよ、多くの研究費を科学に投じる国からは優れた成果が出てくるでしょう。日本が、科学に世界で最も多くの研究費を投じることができないのであれば、そうした国からの知識の波及効果を大きくしていくことが戦略的に重要だと思います。
―― 中国では衝撃的な研究が次々と実施されています。法の整備が追い付かずイノベーションと倫理が衝突する問題について、お考えを聞かせてください。
清水氏: 新規性が高いものであればあるほど、社会側のルールの整備が追いつかないのは、イノベーションの歴史を見てみても明らかであり、イノベーションに関する本質的な問題の1つです。研究者のコミュニティーが積極的に社会とコミュニケーションを取っていくことが大切であり、科学ジャーナリズムの役割がとても大切になってくるはずです。また、研究者がコミュニティーの倫理的な規範から逸脱するインセンティブを小さくすることも重要だと思います。
―― 最後に、若手研究者にどのように活路を開いたらよいかアドバイスを。
清水氏: 研究は人類の知識の境界を広げる取り組みです。大切で、なおかつ分かっていないことを切り拓く仕事をしてほしいと思っていますし、自分でもそれを心掛けています。また、1人では研究はできません。良い研究コミュニティーで研究を!
―― ありがとうございました。
(聞き手:編集部)
Profile
清水 洋(しみず・ひろし)
早稲田大学 教授
経営学者。一橋大学大学院およびノースウエスタン大学大学院の修士課程修了後、2007年にロンドン・スクール・オブ・エコノミックス・アンド・ポリティカルサイエンス(LSE)にて博士号(経済史)を取得。アイントホーフェン工科大学(オランダ)で研究員として過ごした後、2008年から一橋大学イノベーション研究センターにて講師、准教授、教授を務め、2019年4月に早稲田大学に移り現職。近著に『野生化するイノベーション』(新潮社)。
『General Purpose Technology, Spin-Out, and Innovation』担当編集者より
同書籍は、清水先生の長年のご研究・ご努力の賜物である『ジェネラル・パーパス・テクノロジーのイノベーション - 半導体レーザーの技術進化の日米比較』(有斐閣, 2016年, 第59回日経・経済図書文化賞受賞)の英文版書籍として、2019年にAdvances in Japanese Business and Economics 英文書籍シリーズ(編集主幹:佐藤隆三, https://www.springer.com/series/11682)第21巻としてSpringerより出版しました。長年に渡る独自の調査とエビデンスから一般性を見つけ出す丁寧な作業が高く評価されました。
Nature ダイジェスト Vol. 18 No. 9
DOI: 10.1038/ndigest.2021.210930
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