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ミューオン磁気モーメントの新たな理論計算と標準模型

Nature ダイジェスト Vol. 18 No. 8 | doi : 10.1038/ndigest.2021.210838

原文:Nature (2021-05-06) | doi: 10.1038/d41586-021-01172-y | Prediction for magnetic moment of the muon informs a test of the standard model of particle physics

Harvey B. Meyer

ミューオンの磁気モーメントの理論計算で、不確かさの大部分の元になっている効果の新たな第一原理計算結果が報告された。この計算結果は、長年にわたる謎を解決する可能性があるが、新たな謎も生んだ。

空から見たフェルミ国立加速器研究所(米国イリノイ州バタビア)。ここでミューオンのg-2を測定する実験が行われている。 | 拡大する

NNehring/E+/Getty

標準模型は、素粒子物理学の確立された理論であり、莫大な数の実験的検証に合格してきた。しかし、そうしたテストの1つ、ミューオン(ミュー粒子)という素粒子の磁気モーメント(磁気能率)の決定に関しては、長年の間、理論予測と測定結果が一致していなかった。理論予測の不確かさは、原子核の構成要素を結合する基本的な力である強い相互作用の効果がそのほとんどを占めている。今回、ブッパータール大学(ドイツ)のSzabolcs Borsanyiらは、強い相互作用の効果のうち最大のものの値を、磁気モーメントの測定に匹敵する精度で計算し、Nature 2021年5月6日号51ページで報告した1。彼らはこの値を使って、標準模型が予言する磁気モーメントは測定結果と矛盾しないことを示した。一方、今回の計算結果は、強い相互作用の効果の以前の計算結果とはいくらか食い違っていた。以前の計算結果は、Borsanyiらが使った方法とは異なる方法に基づいていて、その基礎は堅固だと広く考えられている。

素粒子物理学の標準模型は、多くの成功にもかかわらず、明らかに不十分な点がある。標準模型は重力を記述しないし、暗黒物質(間接的にしか観測できないが、莫大な量が宇宙に存在する)を説明する可能性のある候補粒子を含んでいない。物理学者たちは、標準模型を超えたところにどんな粒子や力があるのかを見いだそうと、いくつかの研究方法で調べている。そうした研究方法には、欧州原子核共同研究機構(CERN;スイス・ジュネーブ近郊)にある大型ハドロン衝突型加速器(LHC)で新粒子を直接的に探すことや、暗黒物質の検出に特化した実験がある。もう1つの確立された戦略は、標準模型を使って測定精度と同程度の精度まで計算できる量を、精密に測定することだ。測定値と計算値の相違は全て、標準模型では説明できない物理学の存在を示すことになる。

素粒子の磁気モーメントは、そうした量の最も良い例だ。磁気モーメントは、粒子のスピン(固有の角運動量)と、粒子のg因子(粒子の種類で決まる比例定数)に比例する。1928年、理論物理学者ポール・ディラック(Paul Dirac)は、彼が提案した電子の相対論的量子理論に基づいて2、電子のg因子は2であることを示し、これは当時は非常に優れた近似だった。しかし、実際のgの値は、2から異常磁気モーメントと呼ばれる小さな量だけずれている。この量は(g-2)/2で定義される。このずれは、真空から絶えず現れては消える「仮想的な」素粒子に磁気モーメントが影響されるために起こる。1947年、理論物理学者ジュリアン・シュウィンガー(Julian Schwinger)は、電子の異常磁気モーメントへの主たる寄与はα/(2π)だと計算した3。αは微細構造定数と呼ばれる基礎定数だ。

電子には、ミューオンと呼ばれる、いとこのような粒子があり、ミューオンの質量は電子の207倍だ。ミューオンの質量が大きいことは、そのg-2値の測定は、標準模型で記述されない重い仮想粒子の短時間の存在に対し、電子のg-2の測定よりもずっと敏感だということを意味する。数十年の改良の後、ブルックヘブン国立研究所(米国ニューヨーク州アプトン)でのE821実験は、ミューオンのg-2を0.54ppm(1ppmは100万分の1)という驚くべき精度で測定した4

理論物理学でも同様に懸命の努力が数十年続いていて、ミューオンg-2値の非常に優れた測定精度に匹敵する精度で、ミューオンg-2を標準模型に基づいて計算しようとしている。2020年に発表された報告書は、こうした取り組みの現状をまとめた5。それによると、0.37ppmの精度が達成されたが、得られたg-2値は実験的に得られた値よりもわずかに小さく、その差は3.7標準偏差に相当した。

ミューオンg-2の理論予測の不確かさは、ハドロン粒子の効果がそのほとんどを占めている。ハドロンは、強い相互作用で結合した複合粒子で、例えば陽子や中性子がハドロンだ。2020年の報告書では5、ハドロンの主要な寄与は分散関係と呼ばれる数式で計算していて、この際、電子と陽電子(電子の反粒子)の衝突実験で測定されたハドロン生成確率を計算の入力として使っている。

ハドロンの主要な寄与を計算する別のアプローチは、格子量子色力学(格子QCD)を使うもので、2003年に最初に提案された6。格子QCDは強い相互作用を扱うための第一原理計算手法であり、高性能な計算機を必要とする。格子QCD計算の改善のペースは、献身的な努力といくつかの手法の進歩の結果、この数年で著しく加速した(参考文献7に解説がある)。Borsanyiらの研究は、格子QCDに基づく計算の不確かさを、分散関係に基づく決定の不確かさに匹敵するレベルへ減らすためのものであり、その最新の成果だ。

興味深いことに、Borsanyiらが彼らの計算結果を使ってg-2値を予測すると、得られた結果はE821実験で見いだされた値と矛盾しなかった(図1)。一方、彼らの結果と、2020年報告書5で報告された、分散関係から決定されたg-2値とのずれは2.2標準偏差であり、両者はいくらか異なる。これは、間違いなくさらに詳しく調べる価値がある発見だ。

図1 ミューオン粒子の磁気モーメントの決定
ミューオンの磁気モーメントは2に近いが、2に等しくはない。このずれは、(g-2)/2と表される。ブルックヘブン国立研究所(米国ニューヨーク州アプトン)でのE821実験で行われた(g-2)/2の測定結果は2006年に発表された4。フェルミ国立加速器研究所(米国イリノイ州シカゴ近郊)での(g-2)/2の測定結果は2021年4月に発表され、E821実験の値と矛盾しない8。一方、統一見解の理論予測は2020年に発表された5。全ての実験的測定の平均値は、2020年の統一見解理論予測値と4.2標準偏差(標準偏差の4.2倍)だけ異なる。理論値と実験値の違いが5.0標準偏差に達したら、素粒子物理学の標準模型で説明できない物理学の存在を立証したことになる。Borsanyiらは今回、E821実験にずっと近い理論予測をもたらす計算結果を報告した1。 | 拡大する

Borsanyiらは、今回の精度でg-2値を得るために考慮しなければならない多くの効果を包括的に扱っていて、この達成は見事だ。彼らは、格子QCDの枠組みでの標準的な手法通り、時空を格子点に分割し、興味のある量をいくつかの格子間隔の値について計算し、それから外挿して間隔がゼロのときの値を決定した(この値は連続極限と呼ばれる)。Borsanyiらの結果の不確かさの最大の源は、結果が連続極限を得る手法に左右されることであることが分かった。他の研究グループが現在行っている計算は、格子QCDの別の変種を使っていて、今回の結果と一致しているかは重要なチェックになるだろう。

共同研究グループ「ミューオンg-2コラボレーション」は、E821実験の結果を確かめ、改善するため、フェルミ国立加速器研究所(米国イリノイ州バタビア)で2018年から実験を行ってきた。その最初の結果は2021年4月7日に発表された8。報告されたg-2値は、E821実験で得られたg-2値とよく一致する。さらに、全ての実験結果を組み合わせると、2020年報告書で報告された理論予測5との不一致は4.2標準偏差のレベルに大きくなった。この発表は、素粒子物理学者にとって本当にスリリングな瞬間だった。実験と理論との5.0標準偏差の不一致は慣例的に、理論で説明できない物理学の発見の決定的な証拠とみなされるからだ。

しかし、Borsanyiらの計算から推測されたミューオンg-2値は、新しい実験的平均値と一致している。だから今後の最優先事項は、Borsanyiらの結果と、2020年報告書で報告された分散関係による結果との不一致の理由を明らかにすることだ。ミューオンg-2実験の精度は、今後数年間でE821実験の精度の約4倍に向上すると予想される9。また、大強度陽子加速器施設「J-PARC」(茨城県東海村)では、全く異なる方法を使って同様の精度でg-2を決定する測定が行われる10。さらなるスリルが私たちを待ち受けているに違いない。

(翻訳:新庄直樹)

Harvey B. Meyerは、ヨハネス・グーテンベルク大学マインツ原子核物理学研究所(ドイツ)に所属。

参考文献

  1. Borsanyi, Sz. et al. Nature 593, 51–55 (2021).
  2. Dirac, P. A. M. Proc. R. Soc. Lond. A 117, 610–624 (1928).
  3. Schwinger, J. Phys. Rev. 73, 416–417 (1948).
  4. Bennett, G. W. et al. Phys. Rev. D 73, 072003 (2006).
  5. Aoyama, T. et al. Phys. Rep. 887, 1–166 (2020).
  6. Blum, T. Phys. Rev. Lett. 91, 052001 (2003).
  7. Meyer, H. B. & Wittig, H. Prog. Part. Nucl. Phys. 104, 46–96 (2019).
  8. Abi, B. et al. Phys. Rev. Lett. 126, 141801 (2021).
  9. Grange, J. et al. Preprint at https://arxiv.org/abs/1501.06858 (2015).
  10. Abe, M. et al. Prog. Theor. Exp. Phys. 2019, 053C02 (2019).

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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