卵を産む哺乳類、カモノハシとハリモグラの高精度ゲノム解読に成功
–– カモノハシは「地球上で最も奇妙な動物」といわれますね。
早川:哺乳類でありながら、卵を産むという大変ユニークな動物だからです。卵から孵化した新生仔を、母乳で育てるのです。
カモノハシは姿形もユニークで、アヒルのようなくちばしと水かきを持っています(図1左)。オーストラリア東部の河川や湖沼の水辺で暮らし、水に潜ってエビなどを捕って食べるのです。生息数は減少しており、地域によっては絶滅が危惧されています。今回、そのゲノムプロジェクトに参加しましたが、「カモノハシの研究ができるなんてうらやましい」と、研究者仲間からよく言われました。生物学者には、カモノハシが大好きな人が多いのです。
–– では、ハリモグラはどんな動物ですか?
早川:カモノハシほど有名ではないかもしれませんが、ハリモグラも卵を産む哺乳類であり、やはり大変ユニークな存在です(図1右)。オーストラリアとパプア島に生息し、突出したくちばしと針で覆われた体を持ち、土中のアリなどを食べて暮らしています。
卵を産む哺乳類は、カモノハシとハリモグラの2グループだけで、この2グループをひとまとめにして単孔類と呼びます。単孔類は、現存する哺乳類の中で最もユニークな生きた化石と考えられています。ヒトから見て、系統的に最も遠い哺乳類であり、だからこそ、ヒトがどういう哺乳類であるかを知る上で、その研究は非常に重要なのです。
–– 今回、単孔類のゲノム解読が行われました1。
早川:単孔類のゲノム解読を行うプロジェクトは、3人の研究者の主導で開始され、最終的に、私たちを含め34研究機関の研究者が参加しました。主導した3人というのは、これまでに羊膜類(爬虫類、鳥類、哺乳類)のゲノム解析を多数行ってきたコペンハーゲン大学(デンマーク)の張国捷(Guojie Zhang)教授、染色体研究の専門家である浙江大学の周琦(Qi Zhou)教授、それから、単孔類の分子生物学的研究の専門家で、単孔類に関する国際共同研究をいろいろ進めてきたアデレード大学(オーストラリア)のフランク・グルツナー(Frank Grutzner)教授です。
実はカモノハシについては、2008年に一度ゲノム解読が行われました2。しかし、当時の解析技術では限界があり、精度も不十分でした。今回は、現在利用可能なゲノム解析技術を全て結集させ、かつ根気よく解析作業を行い、極めて高い精度のゲノム配列が得られました。ヒトやマウス以外の哺乳類で、これほど精度よく構築されたゲノムは珍しいのではないでしょうか。
–– ゲノム配列から、どんなことが分かりましたか?
早川:ゲノム配列には、その動物の過去の状態や環境が記録されています。単孔類の性染色体は哺乳類として特殊なのですが、その進化の過程が明らかになったり、動物の系統が分岐した年代を、より正確に推定できるようになったりするなど(図2)、さまざまな成果がありました。
日本人の研究グループもゲノム解析に参加
–– 早川助教たちがこの研究に参加されたきっかけは?
早川:私はそれまで霊長類の研究を行ってきました。しかし、霊長類についてさらに深く知るためには、進化の系統樹をもっとさかのぼり、異なる動物グループを研究することも必要だと考えるようになってきました。
そこで2017年、思い切ってオーストラリアに渡り、手探りで共同研究者を探しました。運が良かったのでしょう、ちょうどそのとき、オーストリラアの研究者によってコアラのゲノムプロジェクトが開始されたところで、それに加わることができたのです3。
さらに、単孔類の国際プロジェクトも進行していると知りました。そこで、オーストラリアにいるプロジェクト主導者の1人、前述のグルツナー先生に、共同での解析を申し出たというわけです。以前からの知り合いである二階堂雅人准教授と鈴木彦有博士(株式会社digzyme)を含めた3人で参加することになりました。
–– 3人はゲノム解析のどの部分を担当されたのですか?
早川:化学受容体遺伝子の解析を担当させてもらいました。味覚や嗅覚、フェロモンなどのように、化学物質を介する感覚を化学感覚と呼びますが、このとき、その化学物質が受容体に受け取られることにより、その感覚を感知するのです。私たちは、これらの受容体を作る遺伝子をゲノム配列中から見つけ出すことを得意としています。
特に私は、苦味を感じる受容体遺伝子の解析を霊長類で長年行っており4、解析のノウハウを持っています。二階堂先生と鈴木博士は、特にフェロモン受容体の解析を得意とされ、研究成果を上げてこられた方々です。
–– 化学受容体遺伝子を調べることがなぜ重要なのですか?
二階堂:私は魚類や哺乳類の進化の研究を長年行ってきましたが、その過程で化学感覚の受容体遺伝子に興味を持つようになりました。これらの受容体遺伝子には、それぞれ少しずつ塩基配列の異なる遺伝子が多数存在しており、それらの遺伝子の種類や数を調べることにより、その動物がどんな環境に適応していたかということや、どのように進化してきたかなどを推定する手法として利用できることに気が付いたからです。
例えば2013年に、生きた化石といわれるシーラカンスのゲノム解読を行い、フェロモン受容体遺伝子についても解析しました5。その解析結果から、大昔、水生動物が陸上に上がる進化を遂げた際の状況を推測する手掛かりを得ることができたのです。
–– フェロモンは哺乳類にも存在するのですね。
二階堂:フェロモンというと昆虫が有名ですが、その他の動物にもかなり広く見られます。哺乳類における主要なフェロモン(V1R型)は、鼻の鋤鼻器に受容体が存在します。匂い(嗅覚)の受容体が存在する鼻の部位(嗅上皮)とは異なっています。匂いは揮発性物質ですが、フェロモンには非揮発性物質と揮発性物質の両方があります。
–– 苦味受容体からはどんなことが分かりますか?
早川:私たち哺乳類の舌には、味覚の一部として苦味を感じる受容体があります。正確にいえば、苦味を感じさせる物質を受け取る受容体です。哺乳類においては、苦味受容体は、毒を見分けるセンサーとして働いていること、また、植物食の動物は苦味受容体遺伝子を多く持っていて、毒性のセンサーを活発に働かせていることが、私を含めた多くの研究者により突き止められています。
–– 鈴木博士は企業に所属しているのですね。
二階堂:元は私と同じ研究室に所属していました。私の助教時代に、大学院生として入ってきたのですが、フェロモン受容体遺伝子を効率よく探し出すソフトを開発してくれました。彼は、小学生の頃からプログラミングを行っていたほどコンピューターを得意としていたので、適任でした。その後は、ゲノム解析のベンチャー企業に勤務していますが、研究活動も続けており、私とは継続的に共同研究を行っています。今回の研究でも、フェロモン受容体遺伝子の探索では大活躍でした。
–– これらの化学受容体遺伝子に関して、今回どんなことを発見したのですか?
早川:解読されたカモノハシとハリモグラのゲノム配列データをグルツナー先生たちから送ってもらい、私たちは化学受容体遺伝子について調べました。苦味、嗅覚、フェロモンのそれぞれの受容体遺伝子の数や種類を調べ、比較したのです(図3)。その結果、カモノハシとハリモグラには大きな違いが見られることが分かりました。
ハリモグラには苦味受容体遺伝子とフェロモン受容体遺伝子が少なく、嗅覚受容体遺伝子が非常に多かったのですが、一方で、カモノハシにはフェロモン受容体遺伝子が非常に多かったのです。
二階堂:カモノハシとハリモグラでフェロモンと嗅覚の使い方に違いがあることは、実は両者の脳の解剖図の比較などからも事前に予想できていました。「解析したら、絶対面白いだろう」と思っていたのですが、予想以上に大きな違いがありましたね。
–– ハリモグラの嗅覚はよく発達しているということですか?
早川:ハリモグラは突出したくちばしの先に鼻があります。その鼻を地面に近づけて、地中のアリやシロアリなどの巣を、ある程度の深さにあっても探し当てるのです。非常に発達した嗅覚を持ち、それが巣を見つけることに役立っているわけですから、嗅覚受容体遺伝子のとんでもない多さと整合性が取れています。
また、いったん巣を嗅ぎつけると、地面をどんどん掘り進んで巣に至り、アリなどを一気に丸呑みにするので、苦味受容体はほとんど使われないと想像されます。
–– カモノハシのフェロモン受容体の場合は?
二階堂:カモノハシにはフェロモン受容体遺伝子が多いと、2008年のゲノム解読結果からも予想されていたのですが、これも予想を超える数字となりました。哺乳類でもトップクラスです。カモノハシにとっては、フェロモンが縄張り争いや配偶相手を見つけるときに役立つのかもしれません。
一方、あまりに受容体遺伝子の数が多いので、今後、別な可能性も調べてみようと考えています。つまり、カモノハシの鼻は、くちばしの付け根にあるのですが、鼻以外の体の部位で受容体が働いていないだろうかとか、フェロモン以外の物質を受容していないだろうか、といった点です。他の哺乳類とは違った使われ方がされている可能性も否定できないのです。
野生動物のゲノム解析が活発化
–– 単孔類やコアラ以外でも、野生生物のゲノム解読は進んでいるのですか?
早川:今、欧米や中国を中心に、世界中で活発に行われていますね。2018年にはEarth BioGenome Projectが始まり、全150万種の真核生物のゲノム解読が目標に掲げられています。脊椎動物について高精度のゲノム解読を目指すVertebrate Genome Projectも走っています。野生生物のゲノム配列は、生物学的な研究の土台になる知識として重要というだけではありません。生物多様性の保全や環境問題をはじめ、遺伝病や感染症に関連する医療応用など、さまざまな活動や研究の土台として活用され得るものなのです。
二階堂:こうしたプロジェクトが次々に立ち上がった背景には、もちろんゲノム解析技術の進歩があります。高効率の解析装置である次世代シーケンサーの普及が果たした役割は大きいです。また、DNA試料は短く切断してから解読し、その解読データを染色体の長さに再構築するのですが、DNA試料に分子生物学的な処理を施すことで、再構築の効率を上げられます。今回の単孔類のプロジェクトでも、そうした処理法が駆使されました。再構築の精度を上げる情報学的な手法も、もちろん進歩しています。
–– これからの野生動物の研究では、フィールドワークばかりでなく、ゲノム解析の技術も必須になりますね。
早川:そう考えています。野生動物の行動や生態、進化を研究する上で、フィールドワークとゲノム科学の両方を使うという研究スタイルを、私は重視します。私自身も、その両方を使ってきました。両方が分かることが、より良い研究成果につながると思うからです。
私は、大学院時代に霊長類の研究観察のため、自ら望んだこととはいえ、アフリカの山奥のキャンプに「捨て」られて、フィールドワークの大切さ、厳しさ、面白さを現場でたっぷりたたき込まれました。一方で、当時急速に発展しだした次世代シーケンサー技術を習得する機会にも恵まれました。私は、このやり方を若い学生たちに教えていきたいと考えています。
二階堂:ゲノム解析技術の進歩によって、大掛かりなプロジェクトでなくとも、個々の研究者がゲノム解析を行えるようになりました。研究者にとってありがたいことだと思います。私自身は、生物の系統樹を作り、生物の形や機能が生まれてきた過程と進化の過程を比較して研究することに興味があります。野生生物の高精度のゲノム配列が得られることで、こうした研究がやりやすくなるでしょう。
早川:海外との研究ネットワークを積極的に作り、日本の若い研究者たちがそのようなネットワークに参加し、学びながら研究していくことも大事だと思っています。今回の研究をきっかけに、まず手始めとして、オーストラリアと日本の研究者ネットワークを作っていきたいと考えています。
–– ありがとうございました。
聞き手は藤川良子(サイエンスライター)。
Author Profile
早川 卓志(はやかわ・たかし)
北海道大学大学院地球環境科学研究院 助教
2015年京都大学大学院理学研究科霊長類学・野生動物系修了(博士)、2015年京都大学霊長類研究所 特定助教、2019年より現職。日本モンキーセンターアドバイザーも兼任。
二階堂 雅人(にかいどう・まさと)
東京工業大学生命理工学院 准教授
2002年東京工業大学大学院生命理工学研究科修了(博士)、2006年同研究科助手、2007年助教を経て、2015年より現職。
Nature ダイジェスト Vol. 18 No. 5
DOI: 10.1038/ndigest.2021.210534
参考文献
- Zhou, Y. et al. Nature https://doi.org/10.1038/s41586-020-03039-0 (2021).
- Warren, W. C. et al. Nature 453, 175–183 (2008).
- Johnson, R. N. et al. Nature Genetics 50, 1102–1111 (2018).
- Hayakawa, T. et al. MBE 31, 2018–2031 (2014).
- Nikaido, M. et al. Genome Res 23, 1740–1748 (2013).
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