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世界のパンデミック警報システムが機能不全に陥った理由

Nature ダイジェスト Vol. 18 No. 4 | doi : 10.1038/ndigest.2021.210416

原文:Nature (2021-01-23) | doi: 10.1038/d41586-021-00162-4 | Why did the world’s pandemic warning system fail when COVID hit?

Amy Maxmen

世界保健機関(WHO)は2020年1月末に新型コロナウイルスの感染拡大について警鐘を鳴らしていたが、そのメッセージが各国によって無視されたのはどうしてだろう。

WHOのテドロス事務局長は、新型コロナウイルスによるパンデミックが始まった当初の世界の対応を精査しようとしている。 | 拡大する

FABRICE COFFRINI/POOL/AFP via Getty Images

2020年1月30日、WHOは新型コロナウイルスによる感染症について、最高レベルの警報を発した。パンデミック(世界的大流行)が差し迫っている恐れがあるとして、「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(Public Health Emergency of International Concern;PHEIC)」を宣言したのだ。WHOは各国に検査と追跡とソーシャルディスタンスの保持により感染拡大を抑え込むように呼び掛けたが、その声に耳を傾ける国はほとんどなかった。同年3月中旬には、ウイルスは世界中に広まっていた。現在、保健当局と研究者たちは、WHOの警報システムがうまく機能しなかった理由を探り、徹底的な見直しを図っている。

「WHOはあと1週間早くPHEICを宣言するべきだった」と批判する人は多い。けれども研究者の意見は、最大の失敗は多くの国がPHEICを無視したことだったという点で一致している。その理由を探るため、WHO自身と、WHOの対応を検証する独立パネルによる2つの予備的な調査が進められている。

独立パネルのメンバーで、「国境なき医師団」の元会長であるJoanne Liuは、「個人的には、PHEICの宣言からの6~8週間、アジア以外の国々が手をこまぬいていたことが最大の問題だったと思います」と語る。

世界の保健当局は、2021年1月18〜26日に開催されたWHO執行理事会で、警報システムを改良する可能性について検討した。協議は2021年5月に開催されるWHO年次総会まで続けられ、変更するかどうかはそこで決まる。現時点では、PHEICの警報を段階化して色分けすることや、各国が新しいパンデミック条約に署名するようにすることなどの変更が提案されている。

しかし、WHOにとって最も困難な問題は、自分たちが発する警報に世界の国々が従うようにするにはどうすればよいか、という点にある。Liuは、「本当の問題は、緊急事態宣言を発出したときに人々を適切に行動させるには何が必要なのか、ということなのです」と言う。

PHEICは、WHOが1951年に制定した国際保健規則を2005年に大幅に改定した際に導入された制度で、現時点で196の国と地域が、自国でアウトブレイクが発生した際にWHOに通告し、PHEICを宣言する権限をWHOに与えることに合意している。WHOは、それが重大な緊急事態であると認められる場合や、他国に危険が及ぶ恐れがある場合か、国際的な対応が必要となる場合、つまりパンデミックに発展する可能性がある場合には、PHEICを宣言することができる。

WHOがPHEICを宣言する際には、各国政府に緊急事態への対応方法を勧告している。WHOの事務局長テドロス・アダノム・ゲブレイェソス(Tedros Adhanom Ghebreyesus)が2020年1月にCOVID-19のアウトブレイクについてPHEICを宣言した際には、「各国が疾病の早期発見、感染者の隔離と治療、濃厚接触者の追跡、ソーシャルディスタンスの保持の奨励などの強力な対策を講じれば、ウイルスの拡散を阻止することはまだ可能である」と勧告している。

悪いのは名前?

Liuは、「PHEIC(フェイク)」という用語が、「パンデミック」や「緊急事態」ほど人々の感情に訴えないことを認めている。しかし、国際・開発研究大学院(スイス・ジュネーブ)の国際法の専門家で、2005年の国際保健規則の改定に協力したGian Luca Burciは、研究者と保健当局は、各国の指導者にWHOの助言に従って行動するように促しながらパニックを引き起こすことは回避したいと思ったからこそ、あえてインパクトのないこの用語を選んだという事情もあると説明する。

今にして思えば、彼らの推論は間違っていたようだ。いくつかの報告書によると、政治家も一般市民も、2020年1月のPHEICの宣言と、それに付随するテドロス事務局長の勧告を基本的に無視していて、3月にCOVID-19が複数の大陸に広がり、WHOが「パンデミック」という非公式用語を使うようになって初めて耳を傾けるようになったとしている。しかし、PHEICの宣言とは違い、パンデミックの宣言は明確に定義されたものではなく、これが宣言されたら各国は何らかの行動を取らなければならないという合意もない。

パンデミックという言葉が人々に強い反応を引き起こしたのは事実だが、多くの学者は、WHOの最高レベルの警報の名前を変えても意味はないと主張している。ジョージタウン大学(米国ワシントンD.C.)の国際保健法学者Alexandra Phelanは、「私自身はPHEICという用語は好きではありません」と言う。「けれども、言葉にこだわり過ぎると、宣言が発出されたら各国は適切に行動しなければならないというポイントを見失ってしまうと思います」。

国際保健学者たちは、COVID-19に対するPHEICがもっと早い時期に宣言されなかったことを問題視している。2020年1月22日、テドロス事務局長はPHEICのプロセスの規定に従い、ウイルス学者、公衆衛生研究者、数カ国の政府代表からなる非公開の委員会を招集した。委員会はそこでPHEICを宣言する必要はないと判断したが、1週間後に結論をひっくり返した。この1週間の遅れによって、世界はウイルスを封じ込めるタイミングを逸してしまった可能性がある。

COVID-19のパンデミックに対するWHOの初期対応には他にも大きな問題があり、最大の失策はPHEICの宣言が1週間遅れたことではないという声もある。例えば、テドロス事務局長がPHEICを宣言したとき、彼は各国政府に検査やソーシャルディスタンスの保持を含む公衆衛生上の対策を迅速に進めるように勧告したが、旅行や通商を禁止せよという声には抵抗するようにとも要請している。歴史的にその効果は限定的で、有害でさえあるかもしれないというのが、彼の言う理由だった。

各国政府はこれらの勧告を無視した。例えば米国は、2月下旬になるまで全国的な検査を実施しなかったし、ウイルスが最初に発見された中国からの入国制限に踏み切った。

パンデミックに対する世界の対応能力を向上させるためには、WHOを変革し、強化する必要があるという点で、各国の意見は一致しているようである。米国のトランプ前大統領は、2020年、WHOからの脱退手続きを進めていたが、国立アレルギー・感染症研究所(NIAID;米国メリーランド州ロックビル)の所長アンソニー・ファウチ(Anthony Fauci)は、米国を代表して2021年1月21日にこれを撤回するとWHOに通知し、「WHOを強化し、そして何よりも改革するために、パートナーと建設的に協力していく」と語った。

WHOを強化するための変革の1つとして、欧州理事会議長のシャルル・ミシェル(Charles Michel)が提案する、パンデミックに備えた新たな国際条約の制定が考えられる。2021年1月20日、テドロス事務局長は、この提案について検討する作業部会を招集すると言った。しかし、条約に従わない国を罰する能力をWHOが持つことはないだろう。WHOの主席法務官Steven Solomonは、「この問題に特効薬はありません。ここで相手にしているのは国家の共同体であり、各国は自らの主権を断固として守ろうとするからです」と言う。

それ故、WHOは外交的手腕に頼らざるを得ない。平たく言えば、加盟国をおだてたり、けなしたりして、望ましい行動を促すということだ。しかし、WHOは加盟国を批判することには消極的である。WHOの活動は加盟国からの寄付金やアクセス許可や情報提供に依存していて、国の指導者がWHOに侮辱されたと感じれば、それらを拒否する可能性があるからだ。武漢でのアウトブレイクが報告された後、WHOが数カ国の科学者からなる調査団の訪問を受け入れるように中国政府を説得するのに何週間も要したのは、その好例である。研究者たちは、資金調達については、WHOの予算がより大きく、当てになるものになれば、災害の最中に資金調達を行う必要がなくなり、自律性が高まるだろうと考えている。

コミュニケーションの問題への対処として、テドロス事務局長はPHEICの警報を段階化し、各段階を色で示すことを提案している。これにより、パンデミックに発展する恐れのある緊急事態と、深刻だが全ての国に影響を及ぼすわけではない緊急事態を分けることができる。人々の生活や経済に混乱をもたらす可能性が小さい低レベルの警報があれば、アウトブレイクが発生している国も、より積極的に情報を共有しようとするかもしれない。

WHOの改革は、早くても2021年5月に開かれる年次総会までは実現しないだろう。Liuは、問題の解決が遅れたり、問題そのものが忘れ去られたりする可能性があることを恐れている。彼女は、2014〜2016年に西アフリカで発生したエボラ出血熱のアウトブレイクへの対応の失敗について、数十のパネルが評価を行っていたことを覚えているからだ。「けれども、こうした勧告の10%以下しか実行されませんでした」と彼女は言う。「私たちは、ある状況について憤慨する素晴らしい才能を持っていますが、いざ変革となると、それを牽引する力はほとんどなく、以前のやり方に戻ってしまうのです」。

(翻訳:三枝小夜子)

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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