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量子コンピューターの開発レースに新たな動き

Nature ダイジェスト Vol. 18 No. 2 | doi : 10.1038/ndigest.2021.210209

原文:Nature (2020-11-17) | doi: 10.1038/d41586-020-03237-w | Quantum computer race intensifies as alternative technology gains steam

Elizabeth Gibney

量子コンピューターの開発ではこれまで超伝導方式が主流だったが、大企業の数々から長く目を向けられることのなかった 「イオントラップ方式」が最近になって勢いを増している。

真空チャンバー内に置かれた、ハネウェル社の量子コンピューターのイオントラップ。 | 拡大する

HONEYWELL QUANTUM SOLUTIONS

量子計算は、この10年で学術研究のテーマから一大ビジネスへと大きな変貌を遂げたが、その過程で脚光を浴びてきた方式は主に1つだけだった。IBM社やインテル社などの巨大テクノロジー企業が採用している、微小な超伝導閉回路(超伝導ループ)を用いる手法である。2019年10月にはグーグル社(米国カリフォルニア州マウンテンビュー)が、超伝導プロセッサーを用いて世界で初めて「量子優位性」を達成したと報告し1、注目を集めた。量子優位性とは、量子コンピューターの性能がある特定の計算タスクにおいて最先端の古典的コンピューターの性能を上回ることを意味する。けれども最近になって、電場に捕捉されたイオンを量子ビット(キュービット)として用いる、「イオントラップ方式」と呼ばれるまた別の手法が追い上げを見せている。

2020年3月、テクノロジー・製造分野の複合企業ハネウェル社(Honeywell;本社は米国ノースカロライナ州シャーロット)は、自社初の量子コンピューターとしてイオントラップ型量子コンピューターを発表した。これは、同社が10年以上前から密かに開発を進めてきたものだった。ハネウェル社はイオントラップ方式を採用した最初の大手企業だ。総勢130人からなる大規模プロジェクトチームが開発に当たり、7カ月後の同年10月には早くもアップグレードした次世代モデルを発表。さらに現在は、その先のモデル開発にも着手しているという。

イオントラップ方式による量子コンピューターの大規模化を計画しているのは、ハネウェル社だけではない。2020年10月には、米国メリーランド大学発のベンチャー企業IonQ社(カレッジパーク)が、IBM社やグーグル社の量子コンピューターに匹敵する性能を有するとされるイオントラップ型量子コンピューターを発表した(その性能の詳細はまだ公表されていない)。また、英国サセックス大学発のUniversal Quantum社(ブライトン)やオーストリア・インスブルック大学発のAlpine Quantum Technology社(インスブルック)といった、より小規模な大学発ベンチャー企業も、イオントラップ型量子コンピューターの開発プロジェクトへの投資を呼び込んでいる。

電場中に捕捉された個々の荷電原子(イオン)のエネルギー準位に量子情報を保存する、というイオントラップ型量子コンピューターの概念は、決して新しいものではない。超伝導ループが使われ始めるはるか前の1995年、基本量子論理ゲートが初めて実証された際に使われていたのは、このイオントラップ方式だったのだ2。既存の技術が真新しく見えるのは、全ての構成要素を組み合わせて実現可能な商用システムを構築しようとする試みが、ここにきて一気に成果を上げ始めたからだと、米国立標準技術研究所(コロラド州ボルダー)の量子物理学者Daniel Slichterは説明する。

有望な挑戦者

「これまで『超伝導』と言っていた人が、舌の根も乾かぬうちに『イオントラップ』と口にするようになりました。つい5年前にはあり得なかったことです」と語るのは、1995年の実証実験に携わった物理学者で、IonQの共同設立者であるメリーランド大学のChris Monroeだ。量子計算の分野はまだ黎明期にある。さまざまな企業が先を争い、自社の量子コンピューターこそが最先端だと主張しているが、いずれの方式のハードウエアが今後優勢になるかを現時点で判断するのは時期尚早だろう。各社が多様な技術を採用するようになった今、この分野の範囲はこれまでにないほど広がっている。

古典的コンピューターは情報を1と0として保存するが、量子コンピューターのキュービットは1と0のデリケートな重ね合わせとして存在している。各キュービットの状態は、量子もつれ(エンタングルメント)という量子現象によって互いに絡まり合い、その波動的な量子状態が干渉することで、特定の大規模計算(素因数分解など)を最先端の古典的コンピューターよりも格段に速く実行することができる。

2つ以上の離れた系の間の量子力学的な相関である「量子もつれ(エンタングルメント)」は、量子計算の基礎となる現象である。 | 拡大する

MARK GARLICK/SCIENCE PHOTO LIBRARY/Getty

長所と短所

超伝導ループにおける電荷振動やイオンのエネルギー準位など、2つの量子力学的状態をとり得る系であれば何でもキュービットを形成することができる。しかし、全てのハードウエアには長所と短所があり、本格的な量子コンピューターの形成においては、そのどれもがいくつもの大きな障壁に直面している。例えば、当初約束されていたような、従来型の暗号を量子計算で解読できるコンピューターを作るには、個別に制御可能なキュービットが数百万個も必要になる。問題は数だけではない。量子コンピューターでは、キュービットの品質や、キュービット間の接続の質も同等に重要になってくるのだ。

キュービットやそれを用いて行われた演算における、雑音によって生じる誤り率は、接続されるキュービットの数が増えるにつれて増加する傾向にある。大規模な計算を可能にするには、それぞれのキュービットの誤り率を、「量子誤り訂正」と呼ばれる過程で誤りが検出・修正できるほどに十分低く抑える必要がある。とはいえ物理学者たちは、より小規模で雑音の多い系も短期的には有用であってほしいと願っている。

ここ数年の超伝導方式の急速な進歩は、イオントラップ方式を置き去りにしかねないほどだった。グーグル社やIBM社などは既に、高品質なキュービットを約50個備えた量子コンピューターを開発済みだ。IBM社はさらに、2023年までに1000個のキュービットからなるコンピューターの実現を目指している。カリフォルニア大学サンタバーバラ校(米国)の量子物理学者で、2020年4月までグーグル社で量子ハードウエア開発を率いていたJohn Martinisは、同社は量子優位性の達成に使ったのと同じ基本アーキテクチャーを用いて、次なる大きなマイルストーンである量子誤り訂正を達成するだろうと予想する。

超伝導キュービットにはこれまで、その基本的な部品が古典的なチップ技術と互換性があるために多くの企業にとって親近感がある、という利点があった。これに対し、イオンキュービットには多くの本質的な長所があると、ヘルシンキ大学(フィンランド)の量子物理学者Sabrina Maniscalcoは説明する。まず、イオンキュービットによる演算では、超伝導キュービットの演算に比べてはるかに誤りが生じにくい。また、イオンキュービットの個々のイオンのデリケートな量子状態は、サイズは微小だが非常に多くの原子からなる超伝導キュービットの量子状態に比べて、より長く保たれる。さらに、超伝導キュービットは最近接のキュービットとしか相互作用しない傾向があるのに対し、捕捉イオンは他の多くのイオンと相互作用できるため、ある種の複雑な計算の実行が容易になるという。

もちろん、イオンキュービットにも欠点はある。量子ソフトウエアの開発を手掛けるTuring社(米国ニューヨーク市)の設立者Michele Reillyは、イオンキュービットは超伝導キュービットに比べて相互作用の速度が遅く、これは、システムから発生する誤りをリアルタイムで特定する際に重要になってくるだろう、と指摘する。また、1つのイオントラップ内に捕捉して、相互作用させることができるイオンの数にも限界がある。IonQ社が2020年10月に発表した最新モデルでは、32個の捕捉イオンを直鎖状に並べ、そこからレーザーを使って2個のイオンを「引き抜く」ことでそれらを相互作用させていた。同社は現在、キュービットの数を数百個のレベルまで増やすべく、光子を使って複数の鎖をつなぐ方法の開発に取り組んでいる。目標は、キュービットの数を毎年2倍に増やすことだという。

一方ハネウェル社は、巨大なチップの上でイオンを物理的に動き回らせることで、全てのイオンを相互に接続させようとしている3。同社のHoneywell Quantum Solutions(HQS)部門が2020年10月に発表した最新のモデル「H1」で使われているキュービットの数はわずか10個だが、主任科学者のPatty Leeによると、HQSは既に次のモデルの開発に取り掛かっているという。また、HQSの事業部長Tony Uttleyは、5年以内には約20個のキュービットを接続する予定で、それによって古典的コンピューターでは解くのが難しい問題を解けるようになるとしている。

今後の課題は、キュービットの数が数十個、数百個と増える中で、それらを同時に制御しながら、品質と精度を維持することだろう。今のところ、ハネウェル社もIonQ社も、それらを成し遂げられることを示せてはいない。必要な部品の多くは個別には高いレベルに到達しているものの、「必要なのは、それら全てを組み合わせて、試験を行い、問題を解決するという、システムレベルの統合的な手法です」とデルフト工科大学(オランダ)の理論物理学者Barbara Terhalは言う。

見えない勝利

多額の投資を呼び込んでいるのはイオントラップ方式のハードウエアだけではない。Slichterは、超伝導キュービットの成功によって、さまざまな技術への扉が開かれたと語る。その1つが、シリコン結晶中の原子の核スピン状態に量子情報を保存する、シリコンベースのスピンキュービットである。この技術にとって朗報なことに、2020年9月、Martinisが半年間のサバティカル休暇としてオーストラリアのSilicon Quantum Computing社(SQC;シドニー)の研究チームに加わった。ほぼ20年にわたり超伝導システムの開発に従事してきた彼が、初めてそこから離れたのだ。Martinisは、最終的にどの方式が勝つかは気にしていない。「私はただ、最初の量子コンピューターを実現する手助けをしたいのです。それを成し遂げるのが自分である必要はありませんし、自分が直接関わったプロジェクトである必要もありません」とMartinis。

Maniscalcoは、このレースはまだまだ先が見えず、勝者が現れない可能性もあると考えている。「勝利を収めるプラットフォームは1つではないかもしれません。異なるプラットフォームを混合したものになるかもしれませんし、タスクごとに異なるプラットフォームが用いられるようになるかもしれないのです」。

(翻訳:三枝小夜子)

参考文献

  1. Arute, F. et al. Nature 574, 505–510 (2019).
  2. Monroe, C. et al. Phys. Rev. Lett. 75, 4714 (1995).
  3. Pino, J. M. et al. Preprint at https://arxiv.org/abs/2003.01293 (2020).

キーワード

Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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