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ベンゼン環を選択的に開裂する

Nature ダイジェスト Vol. 18 No. 12 | doi : 10.1038/ndigest.2021.211238

原文:Nature (2021-09-02) | doi: 10.1038/d41586-021-02322-y | Benzene rings broken for chemical synthesis

Mark R. Crimmin

ベンゼン環は、通常の反応条件では非常に壊れにくい。今回、ベンゼン環のC–C結合を選択的に切断できる開環反応が開発され、芳香族化合物が持つ、鎖状分子合成の構成要素としての可能性が浮き彫りになった。

ベンゼン環は簡単には壊れない。 | 拡大する

LAGUNA DESIGN/Science Photo Library/Getty

合成化学者は常に、化学結合を作る新しい方法を探している。数ある結合の中でも、炭素–炭素(C–C)結合を形成する方法は、有機分子を一から1つ1つ段階的に組み立てることを可能にするため、特に重要だ。C–C結合は非常に強固な結合で、いったん構築されると、さらなる化学変換を起こしにくい「手出しできない」部分と見なされることが多い。今回、北京大学(中国)のXu Qiuら1は、そうした先入観への挑戦となるような、芳香族化合物の強固なC–C結合を自在に切断できる反応を開発し、Nature 2021年9月2日号64ページで報告した。

化学用語としての「芳香」は、当初は文字通り「かぐわしい香り」のする有機化合物を表現するために使われていたが、今では、においの有無や性質とはあまり関係のない、ある種の化学物質群全体を網羅する非常に大きな分類群を指す名称となっている。芳香族化合物の中で最も単純なものの1つは、6個の炭素原子が環状につながったベンゼンである。ベンゼン環は化学的に並外れて安定だが、その一因は、6個の電子がベンゼン環上で非局在化できることにある。芳香族分子は、化学物質の最も有用な構成要素の1つであり、化学合成の2つの主要原料(原油とバイオマス)に共通して存在する他、材料、生体分子、合成化学物質にも広く見られる。

ベンゼンをはじめとする炭素系芳香環は、通常、簡単には壊れないと考えられており、化学反応を経ても芳香環とその環状電子系はそのまま残ることが多い。実際、ベンゼン環は極端な条件下に置かれて初めて開裂(開環)する。例えば、水素異性化と呼ばれる高温プロセス(約200℃)を用いれば、ベンゼンを飽和炭化水素(直線状の炭素鎖を持つものを含む)に変換することができる2(図1a)。しかし、水素異性化によるベンゼン環の開裂は選択性がなく、生成物は複数の化合物の混合物となってしまう。この手法はいわば、大型のハンマーでビー玉を破壊するようなもので、効果的ではあるが粗雑だ。

一方、自然界にも芳香環を開裂する方法は存在する。ジオキシゲナーゼという酵素は、生物学的条件下でベンゼンの芳香環を開裂し、ムコン酸と呼ばれる化合物を生成することが可能だ3(図1b)。力任せの水素異性化反応とは異なり、この多段階酵素過程は選択性が高く、制御された精密な経路を経て単一の生成物を生じる。こうした自然界の例に倣おうと、合成化学者たちは、高エネルギー分子を使って、金属原子(1個または複数個)を環に直接付加する反応でベンゼン環を開裂する方法をいくつか開発してきた4–7。しかし、これらの方法は有望ながら依然として開発段階にあり、新たな有用化合物の合成にはまだ適用されていない。

そんな中、Qiuらは今回、ベンゼン誘導体の芳香環のC–C結合の1つを選択的に切断できる、注目すべき化学反応戦略を編み出した。この開環反応では、強力な酸化剤であるアジ化ナトリウム(NaN3)と銅系の金属錯体が併用されている(図1c)。この反応の最終生成物は、ベンゼン環に由来する6つの炭素原子が直線状に連なった炭素鎖分子で、両端には2つの窒素原子が結合している(窒素原子の少なくとも1つは酸化剤に由来する)。これらの生成物は、さらに数段階の反応を経るだけで、幅広い応用可能性(ポリマー合成など)を持つ化学構成要素へと変換できる。

図1 ベンゼン環の開裂反応
ベンゼン環は並外れて安定であり、その開環反応はわずかしか知られていない。
a 水素異性化と呼ばれる高温プロセスは、ベンゼン環を開裂できるが、選択性はなく、炭化水素の混合物を生成する。
b ジオキシゲナーゼという酵素は、生物学的条件下でベンゼン環を開裂し、単一生成物としてムコン酸を生成する。
c Qiuら1は今回、ベンゼン誘導体が酸素および酸化剤(アジ化ナトリウム; NaN3)と反応して、最終的にアルケニルニトリルを生成する銅触媒反応を報告した。図中では、出発物質がどのようにして生成物へと変換されるか分かるよう、切断される結合を赤色で示し、ベンゼン環の炭素原子に番号を付けている。この反応は、ビスニトレンという不安定な中間体を経て進むと考えられている。Rはさまざまな反応性官能基、Lは配位子分子、Cuは銅を示す。 | 拡大する

Qiuらの手法のカギは、特定の選択肢の中から選んだ官能基を事前にベンゼン環に導入し、出発物質の反応性を誘導することにある。Qiuらは、こうした反応性官能基によって、2つの窒素原子がベンゼン環上に隣り合って位置する、ビスニトレンという不安定な反応中間体が形成可能になると提案している。こうした置換パターンがベンゼン環を不安定化して開環をもたらす可能性があることは、以前の研究で示唆されていた8,9

計算モデル化研究から、この反応では、ビスニトレン中間体が触媒の銅原子上に形成されることで、ベンゼン環を開裂できる状態になることが示唆された。Qiuらは、この開環段階が、窒素原子に結合した2つの炭素間の結合の切断を通して起こると提案している。分子軌道的には、銅原子との結合によって窒素原子の孤立電子対がC–C結合の反結合軌道に影響を及ぼすようになり、こうしたC–C結合の切断が促進されると考えられる。

Qiuらの今回の反応は、このままの形ではまだ、化学品製造には利用できないだろう。アジ化ナトリウムには爆発性と急性毒性がある上、反応物の量に対して多量の銅触媒を使うため、製造規模の工程では経済的でなく大量の銅廃棄物が出て問題となる可能性もある。だが、実験室規模では、その応用の可能性は非常に魅力的だ。Qiuらは実際に、今回のベンゼン環開裂プロトコルを多様な芳香族化合物に適用することで、この戦略が複雑な構造の分子にも有効であることを示し、天然物や色素、医薬品など、幅広い物質の化学的操作に使える新たな手法を提示している。

より一般的には、ベンゼン環を特異的に破壊する方法の開発は、有機分子において原子の挿入、削除、交換を完全な選択性で行う「分子編集」10という新分野に貢献するとともに、化学合成や実用に必要な化合物を発見する新たなツールをもたらす可能性がある。今後は、Qiuらの知見に基づいて、特定の官能基の導入を必要とせずにベンゼン環を開裂する方法や、窒素以外の原子を生成物の炭素鎖に導入する方法を検討することも可能だろう。将来、そうした汎用的な方法が実際に見つかったなら、合成化学者たちは過去を振り返って、なぜもっと早くベンゼン環の開裂法を探さなかったのかと首をかしげるかもしれない。

(翻訳:藤野正美)

Mark R. Crimminはロンドン大学インペリアルカレッジ(英国)に所属

参考文献

  1. Qiu, X. et al. Nature 597, 64–69 (2021).
  2. Benitez, V. M., Grau, J. M., Yori, J. C., Pieck, C. L. & Vera, C. R. Energy Fuels 20, 1791–1798 (2006).
  3. Guengerich, F. P. & Yoshimoto, F. K. Chem. Rev. 118, 6573–6655 (2018).
  4. Hicks, J., Vasko, P., Goicoechea, J. M. & Aldridge, S. J. Am. Chem. Soc. 141, 11000–11003 (2019).
  5. Jakoobi, M., Halcovitch, N., Whitehead, G. F. S. & Sergeev, A. G. Angew. Chem. Int. Edn 56, 3266–3269 (2017).
  6. Hu, S., Shima, T. & Hou, Z. Nature 512, 413–415 (2014).
  7. Kong, R. Y. & Crimmin, M. R. Angew. Chem. Int. Edn 60, 2619–2623 (2021).
  8. Hall, J. H. J. Am. Chem. Soc. 87, 1147–1148 (1965).
  9. Kajimoto, T., Takahashi, H. & Tsuji, J. J. Org. Chem. 41, 1389–1393 (1976).
  10. Danishefsky, S. J. J. Antibiot. 72, 319–322 (2019).

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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