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香港国家安全維持法は研究者にどのような影響を及ぼすか

Nature ダイジェスト Vol. 17 No. 9 | doi : 10.1038/ndigest.2020.200916

原文:Nature (2020-06-12) | doi: 10.1038/d41586-020-01693-y | Hong Kong’s contentious national security law concerns some academics

Andrew Silver

香港国家安全維持法が研究にどのような影響を与えるかについては、科学者の間でも見解が分かれている。

香港では、2019年から民主化を求める抗議活動が続いていた。 | 拡大する

Paul & Paveena Mckenzie/Photolibrary/Getty

中国の香港国家安全維持法(国安法)導入計画に対して、香港の科学者たちはさまざまな反応を見せた。一部の研究者は、国安法が中央政府による研究への介入につながり、国際的な共同研究への参加が制限され、自己検閲が増えるのではないかと危惧している。一方で、研究に影響が及ぶことはないだろうと固く信じている研究者もいる。

香港に新しい治安法を導入しようとする中国全国人民代表大会(全人代)は2020年5月28日、香港立法会を通すことなく、国安法を制定する方針を採択した。国安法は、政権転覆、国家分裂、外国からの介入、テロ活動を犯罪と定めている(訳註:2020年6月30日、全人代常務委員会は香港国家安全維持法案を可決し、即日施行した。7月8日には、国安法に基づいて設置される治安機関「国家安全維持公署」が香港に開設された)。

中国中央政府と林鄭月娥(Carrie Lam)香港行政長官は、国家治安法は多くの国にあるもので、社会の安全を促進するための法律だと主張した。しかし、米国、英国、カナダ、オーストラリアの4カ国は、同じ5月28日に、国安法は「一国二制度」の合意に反するものだと非難する共同声明を発表した。1984年に英国と中国の間で結ばれたこの合意では、中国政府は2047年までは香港の高度な自治を保障する約束になっていた。さらに翌29日には米国のドナルド・トランプ大統領が、中国本土からの輸入品に課される関税の免除など、米国が香港に与えている優遇措置の終了に向けた手続きに入ると表明した。

中国中央政府の今回の動きのきっかけとなったのは、香港政府が2019年6月に提出した逃亡犯条例改正案に対し巻き起こった大規模な街頭抗議活動だ。この法案が香港世論の激しい反発を買ったのは、香港から中国本土に犯罪容疑者を引き渡し、中国本土で訴追・処罰できるようにするものだったからである。法案は後に撤回されたが、抗議活動はその後も続き、いくつかの大学キャンパスでは学生と警察の間で暴力的な衝突も発生した。小規模な街頭抗議活動は現在も定期的に行われており、中央政府の関係者は、国安法の目的の1つはこれらを阻止することにあると明言している。

2020年6月1日、香港の8つの公立大学の評議員会長が、国安法への支持を表明する共同声明を発表した。法案がまだ起草されておらず、法律がどのように施行され、研究者の生活にどのような影響を及ぼすかも分からない段階だったが、彼らは、国安法が導入されれば大学は研究と学習を継続できるようになるとし、「我々は香港の住民として国家による保護を享受しており、国家の存続を脅かす犯罪行為を禁止する法律の導入を支持することで国家を保護する相互的義務を負っている」と述べている。

しかし一部の学者は、中央政府は国家安全保障の名の下で研究の独立性を脅かすようになるのではないかと懸念している。香港のある大学のアドミニストレーターは、自分の大学は国安法を公的に支持するように圧力を受けていると感じるとして、匿名を要求した上で「香港の大学は変化を恐れています」と語った。この人物は、国安法が、新型コロナウイルスの研究など、機密性の高い研究の出版を制限するために使われることを心配している。実際、中国本土の科学者がCOVID-19パンデミックの起源に関連した研究を出版するためには、政府の承認が必要である。

香港に拠点を置くある科学雑誌の編集委員は、マスコミの取材に答えるには許可を受ける必要があるとして匿名を要求した上で、外国の研究助成金や国際的な(特に米国との)共同研究は、国安法の下では外国からの干渉と見なされ、制限されるのではないかと不安を語った。

研究者たちの懸念について質問された香港教育局は、学問の自由と大学の自治を保障する法律はこれからも残ると反論する。同局からNatureに届いた電子メールには、「国安法を悪と見なし、学術界に根拠のない不要な恐怖を生み出すことは、香港の大学が学問的卓越性を追求する上で逆効果であり、無益である」と書かれていた。

自己検閲のリスク

国安法が研究に及ぼす最大の影響の1つは自己検閲の増加ではないかと考える学者もいる。香港中文大学医学部の教育担当副学部長であるShekhar Madhukar Kumtaによれば、研究者たちはすでに警戒していて、中央政府を刺激するようなコメントや、ワクチンの大規模治験での否定的な結果といった金融市場に打撃を与え得る研究については発表しないようにしているという。国安法の下では、同法に抵触する危険性があるかどうかは別にして、さらに多くの研究者がこのような心配をすることになるだろうと同氏は言う。

香港の大学で科学と倫理学を研究しているある外国人研究者(コメントを理由に就労ビザが取り消される恐れがあるため匿名を要求)は、香港に住んでいる間は中央政府の科学技術の実態を批判することはできなくなったと感じているという。この人物は、研究内容が中央政府そのものの批判と受け取られることがあれば、国安法に基づいて刑務所に送られるのではないかと心配している。「科学でさえも政治的性格を帯びたものにされる恐れがあります」。

中国本土、香港、台湾の環境マネジメントとガバナンスについて研究している香港城市大学の客員研究員Natalie Wai-man Wongは、自分の研究は特に国家機密に関わるものだとは思っていないが、国安法の下で政権転覆を図る研究に分類されるリスクを避けるため、今後は中国本土に注目した研究は減らし、中国本土については独自のデータを生成せずに既存のデータを使うことに決めた。「現段階で私にできるのはこれだけです」と彼女は言う。Wongは、自分の決断を悪いものとは考えておらず、新しい共同研究者と出会い、新しいことを学ぶ機会だと捉えている。

心配無用と言う人々

Nature が話を聞いた研究者の中には、国安法が研究に影響を及ぼすと考える根拠はないと言う人々もいる。香港大学の科学部長であるMatthew Evansは、政治的にデリケートな問題に関する研究論文の出版や国際的なプロジェクトや助成金の申請がこの法律の下で制限されるような兆候は見られないとしている。

Evansが香港の科学に唯一影響を及ぼす可能性があると考えているのは、米国政府が香港の優遇措置の廃止を表明したことだ。香港の優遇措置には重要なデータへのアクセスも含まれるため、これが廃止されれば、香港の科学者はNASA(米航空宇宙局)など、米国の機関の研究データにアクセスできなくなる恐れがあるという。

(翻訳:三枝小夜子)

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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