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古代アフリカ人のゲノムから初期人類史の手掛かり

シュム・ラカ遺跡の岩窟住居(カメルーン)での発掘現場。この場所に少なくとも5000年の間居住していた集団のゲノムは、現在この地域に居住する民族集団のものから隔たりのあることが判明した。 Credit: Pierre de Maret

古代ゲノミクスの革命は、ついに人類の揺り籠であるアフリカまで達しようとしている。ハーバード大学医学系大学院(米国マサチューセッツ州ボストン)の集団遺伝学者David Reichと、同僚でセントルイス大学(スペイン・マドリード)にも所属する考古学者Mary Prendergastが率いる研究チームによって、中部アフリカの西部(現在のカメルーン)で数千年前に生活していた4人の小児のゲノム塩基配列が明らかにされ、Nature 2020年1月30日号665ページで報告された1

今回の研究に用いられたゲノムは、アフリカ西部の古代人から収集された初のものである。その解析結果からは、言語や農業をアフリカ大陸全体に伝えた人類がどこから来たかについて疑問が提起され、それ以前の人類史においても、ホモ・サピエンス(Homo sapiens)の出現とアフリカ外への拡散などに手掛かりがもたらされた。

今回の研究はまた、ユーラシアや南北アメリカ、オセアニアはヒト集団史に関して知見が多いのに対して、アフリカは科学者の理解に甚大な空白があることも強調している。前者は1000人を超える古代人のゲノム塩基配列が解読されているが、アフリカは80人分に満たず、しかも1万年以上前のものはほとんどない。

「現時点では状況が明確につかめていません。アフリカは地球上で多様性が最も高い場所です。他ならぬ我々のヒト亜系統が生まれた場所なのです」とReichは言う。また彼は、アフリカの集団史において比較的最近の出来事でさえ解読が困難な現状は、驚くには当たらないと付け加えた。

共通の祖先

今日、サハラ以南のアフリカの人々は世界で最も遺伝的多様性が高いが、彼らの多くは遺伝的に近い。これは、5000~3000年ほど前に始まった「バントゥー系民族の大移動(Bantu expansion)」として知られる出来事による。この大移動はアフリカ西部で始まり、農業や一般的な語族をアフリカの東部と南部に広げた。そこでは多くの住民が今でもバントゥー諸語を話し、アフリカ西部に祖先を有している。

言語学と考古学の世界では、現在のカメルーンとナイジェリアの国境付近にある「グラスランド(Grasslands)」という地域がバントゥー系民族の拡散の起源だったと考えられている。バントゥー諸語はアフリカで最も多様性が高く、考古学的証拠からは、数千年前、この地域の人々が作物栽培化の初期段階から農業中心の生活様式へ移行しつつあったことが示唆されている。

研究チームは、カメルーンのシュム・ラカ(Shum Laka)遺跡の岩窟住居で出土した人骨を分析した。洞窟のような遺跡内部には最古のもので3万年前の人骨が残されているが、ReichとPrendergastは、8000年前および3000年前に埋葬された2人の男児から全ゲノムを明らかにするのに十分な量のDNAを何とか得ることができた。また、各年代につき、男児と女児各1人から比較的限定的なゲノムデータが得られた。遺伝子解析の結果、3000年前の男児と女児が第二度近親者(片親違いのきょうだい、または叔父と姪など)の関係にあることが示唆された。8000年前の2人は第四度近親者であり、親類と考えられる。

8000年前に埋葬された男児と女児の遺体が発見された現場。この2人は、遺伝学的に第四度近親者であることが確認された。 Credit: Isabelle Ribot

5000年の隔たりはあるものの、4人の小児のゲノムは全て互いにとても近いものだった。しかし、現在のアフリカ人のDNAに照らすと、現在のカメルーン人をはじめとするバントゥー諸語話者の集団のものよりも、中部アフリカの西部に暮らす狩猟採集民集団(ピグミーとしても知られる)のものにより近かった。

シュム・ラカの人骨と現代のバントゥー諸語話者との断絶は意外だったとReichは話す。またこの断絶は、バントゥー系民族の大移動でこの地域から移住した集団と小児が所属していた集団は別のものであることを示唆しているという。Reichによれば、この地域から出た別の集団がアフリカ各地にバントゥー諸語を伝えた可能性は残されているものの、今回のデータはバントゥー系民族の大移動がどこか別の地域から始まった可能性を調べる研究を促すはずであり、そうした研究の候補となる地域はさらに西方、例えば現在のナイジェリア辺りだという。

フランシス・クリック研究所(英国ロンドン)の集団遺伝学者Pontus Skoglundは、「バントゥー系民族の大移動がどこか別の場所で始まったと結論付けるのは飛躍し過ぎだ」と語る。そして、シュム・ラカの小児たちは、当時その地域に存在した多くの集団のどれかに属していた可能性があると指摘する。

さらに古い事象

Reichらは今回のゲノムを利用して、人類史上のさらに古い事象も明らかにした。4人の小児は、ホモ・サピエンスの共通祖先から20万年以上前に分岐した集団を祖先としていることが示唆されたのだ。事によると、彼らの祖先は、南部アフリカのコイサン族と総称される先住民集団の祖先以前に分岐した集団かもしれないという。現生人類のゲノムに関する既報の研究では、コイサン族は、最も古い固有のホモ・サピエンス系統の子孫であることが示唆されている。

シュム・ラカのゲノム解析により、さらに多くの古代の事象が明らかになった。全ての非アフリカ人の祖先や西部アフリカ人、東部アフリカ人それぞれ固有の民族集団の成立と、その後に生じた現代の西部アフリカ人の祖先の分岐などだ。

「今回の結果は、西部アフリカ人と中部アフリカ人のゲノム解析は、人類の起源に関する研究のまさに最前線であることを示しています」と、マックス・プランク人類史研究所(ドイツ・イエナ)の進化考古学者Eleanor Scerriは話す。「この地域の集団のルーツが、南部アフリカの集団のルーツと同じくらい深いことが分かったのです」。

しかしSkoglundは、深いアフリカ史に関する推論をうのみにしてはいけないと警告する。「20万年も30万年も前に起こった出来事を、せいぜい5000年や1万年前のデータを使って捉えることができるというのでしょうか」とSkoglundは言う。

南メソジスト大学(米国テキサス州ダラス)の分子人類学者Ann Horsburghによれば、今回の研究は、現時点ではアフリカ先史学の理解にほんの少し寄与しただけだという。しかし、過去のアフリカ大陸の遺伝的多様性がほとんど明らかにされていなかったことを踏まえれば、それは当然のことだ。「一研究から得られたデータに、巨大な空白を埋めるだけの大きな意義を期待することはできません。もっと多くのデータが必要です。アフリカに関して、この種の研究は始まったばかりなのです」とHorsburghは語る。

翻訳:小林盛方

Nature ダイジェスト Vol. 17 No. 3

DOI: 10.1038/ndigest.2020.200305

原文

Ancient African genomes offer glimpse into early human history
  • Nature (2020-01-23) | DOI: 10.1038/d41586-020-00167-5
  • Ewen Callaway

参考文献

  1. Lipson, M. et al. Nature https://doi.org/10.1038/s41586-020-1929-1 (2020).