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芳香環から出発しない型破りなアニリン合成法

Nature ダイジェスト Vol. 17 No. 11 | doi : 10.1038/ndigest.2020.201142

原文:Nature (2020-08-06) | doi: 10.1038/d41586-020-02283-8 | Reactions for making widely used aniline compounds break norms of synthesis

Valerie A. Schmidt

ベンゼン環などの芳香環を含む有機化合物の合成では、既存の芳香環を構成要素として、そこから分子を組み立てることが多い。今回、芳香環を反応の過程で形成するという革新的な方法で、極めて有用なアニリン類を合成できることが示された。

数十年にわたる研究の結果、化学者たちは、安価で広く入手可能な構成要素を利用して、多種多様な有機分子を高収率で簡潔に合成するための一連のツールを手に入れた。反応に使える構成要素に関してはほぼ概念が確立されており、それを覆すような新しい反応が報告された場合、その反応は「ゲームチェンジャー」となる可能性がある。今回、マンチェスター大学(英国)のShashikant U. Digheら1Nature 2020年8月6日号の75ページで報告したアニリン類の合成法は、まさにその好例といえる。彼らは、これまで必須な構成要素とされてきた芳香環を使わずに、光と2種類の遷移金属触媒を組み合わせてアニリン類を合成するという、画期的な方法を開発したのである。

有機化学では「芳香族」という表現が頻繁に使われるが、これはにおいの有無やその種類を示しているわけではない。芳香族とは、例えばベンゼン環を持つ分子のように、特定の数の電子が非局在化して環状電子系を形成することで全体のエネルギーが低くなっている(つまり安定化している)分子のことを指し、そうした分子内の環状構造を芳香環と呼ぶ。アニリンは、ベンゼン環にアミノ基(–NH2)が結合した分子で、「芳香族アミン(アリールアミン)」と総称される化合物群の中で最も単純な分子である。アニリン類には魚臭いにおいを持つものも少なくないが、においはさして重要な特徴ではない。

アニリン類は、医薬品をはじめ、農薬や色素、電子材料、ポリマーなど、多様な物質の原料となる極めて重要な有機化合物である2,3。例えば、2019年に世界で最も売れた医薬品のトップ10には、アニリン基を有するエリキュース(一般名アピキサバン)、レブラミド(同レナリドミド)、イグザレルト(同リバーロキサバン)の3つが含まれており、これらの総売上高は280億ドル(約2.9兆円)を超える(go.nature.com/2dirpwf; 参考文献4参照)。アニリン化合物はまた、ポリウレタンの製造に必要な2種類のモノマーのうちの1つの前駆体でもある。ポリウレタンは、伸縮性織物や圧縮フォームから、スケートボードやジェットコースターの車輪まで、あらゆる商品の材料として用いられている5。これらはいずれも高価値商品であり、豊富に存在する化学物質を原料としてアニリン類を合成する汎用的な方法の探索に大きな関心が寄せられてきた。

単純なアニリン類は通常、安価で大量に利用可能な石油化学原料である、ベンゼン、トルエン、キシレン類(BTX)から作られる。これらはいずれもベンゼン環を有する芳香族炭化水素で、ニトロ化と還元を組み合わせた方法2を用いれば、ベンゼン環に影響を及ぼすことなく、1つの炭素–水素(C–H)結合を炭素–窒素(C–N)結合に置き換えて、アニリン類の基本骨格を形成することができる(図1a)。

図1 アニリン類の合成方法
a ニトロ化–還元経路は、ニトロ化反応と還元反応の2段階からなり、ベンゼン環に結合した水素原子1個が、ニトロ基(–NO2)を経てアミノ基(–NH2)で置換される。
b 芳香族置換では、塩基または触媒の存在下で、ベンゼン環に結合したハロゲン原子(X)がアミン由来のアミノ基(–NR2)で置換される。aとbでは、生成物であるアニリン類のベンゼン環は出発物質のベンゼン環に由来し、反応の前後では環と結合した基(青色)のみが入れ替わっている。
c Digheら1が報告した脱水素型アミノ化反応では、出発物質である環状ケトンの非芳香環(赤色の環)からアニリン類のベンゼン環が作られ、カルボニル基(C=O)がアミノ基(青色)に変換される。この反応には、イリジウム光触媒とコバルト触媒が必要で、光触媒は青色光で活性化される。
図中では、他の炭素原子と結合した水素原子は示されていない。R1は任意の化学基、R2とR3は水素原子または任意の炭化水素基を表す。 | 拡大する

一方、炭素–ハロゲン(C–X)結合を有するBTX誘導体では、ベンゼン環が高度に活性化されている場合は強塩基を用いて、そうでない場合は高性能金属触媒を用いて、C–X結合をC–N結合に置き換えることができる6。これは、芳香族置換としてよく知られている反応だ(図1b)。基本的に、ニトロ化–還元経路も芳香族置換も、「複雑な芳香族分子は、あらかじめ芳香環を有する構成要素からしか合成できない」という固定観念に縛られている。そのため、有機合成では一般に、芳香族骨格を一から作ることはなく、既存の骨格を原材料に用いて、それを他の化学基で「修飾」する手法が採られる。

これは、アップルパイを作る際の考え方に似ている。アップルパイは、パイ生地からなる皮(クラスト)とリンゴの詰め物(フィリング)から作られるが、このうち、リンゴはアップルパイに欠かせない唯一の材料といえる。アップルパイのフィリングをリンゴ以外の材料から作る方法がないからだ。幸い、リンゴは比較的安価でほとんどの地域で簡単に手に入るが、植え付け、生育、熟した果実の収穫と流通に必要となる資源にまで目を向ける人はおらず、リンゴが簡単に入手できるのは当然のことと見なされている。これは、BTXが古くから、安価で入手しやすい「材料」として複雑な目的分子の合成に使われてきたことと似ている。有機物から石油が生成する、気の遠くなるような長い時間を要する地質学的過程や、原油の採掘と抽出、BTXの分離、さまざまな製造業への流通に必要となる膨大な資源もまた、当然のものだと見なされているからだ。

アップルパイは、パイ生地の材料は代用が利くが、中に詰めるフィリングはリンゴからしか作れない。これは、アニリン類は芳香環を持つ分子からしか合成できない、という従来の概念に似ている。 | 拡大する

serezniy/iStock/Getty

だが、アップルパイのフィリングにリンゴ以外のものを使えるとしたらどうだろう。もしも、リンゴの果実の代わりにリンゴの種(リンゴの果実を得るのに必要な基本的遺伝情報が全て含まれている)と数種類の特別な香辛料を何らかの方法で使うことができ、それでも最終的に完璧なアップルパイができるとしたら? この(明らかに現実離れした)シナリオが成り立つなら、リンゴがアップルパイに欠かせない唯一の基本材料であるという考え方は変えざるを得なくなるだろう。今回Digheらがやってのけた化学合成はまさに、リンゴの種からアップルパイを作るのと本質的に同等な偉業に他ならない。

Digheらはまず、含窒素化合物であるアミン類が、カルボニル基(C=O)と反応してC–N結合を形成するという特有の傾向を利用した。C=Oを持つ環状ケトンを出発物質としてこの反応を行うと、非芳香環を持つエナミン化合物が生成する(参考文献1のFig. 1b参照)。この化合物は、光の照射で活性化されたイリジウム触媒によって電子が1個奪われると、不対電子を持つエナミニウムラジカルという反応中間体になる。このラジカルは不安定なため脱プロトン化して別のラジカルとなり、その後、コバルト触媒との反応で非芳香環から水素原子を次々に失って、最終的には芳香環を形成し、アニリン化合物となる。この一連の反応は、「脱水素型アミノ化」と呼ばれるもので、これにより非芳香族前駆体からのアニリン類の合成が可能になる(図1c)。

これまで、イリジウム光触媒は一電子酸化7(1分子から電子を1個取り去る反応)に、コバルト触媒は分子から水素原子を除去する反応に、それぞれ別々に用いられてきた8。今回Digheらは、これら2つの反応過程をうまく融合させることで、それらを別々に行う場合よりもはるかに優れた反応を考案したのである。芳香環を一から合成する方法は他にもいくつか報告例があるが9,10、有機合成での利用はこれまで困難だった。

Digheらは、単純な分子から非常に複雑な分子まで、数十種類に及ぶ多様なアニリン類を実際に合成することで、今回の反応の有用性を実証している。これらのアニリン類のうち、生理活性物質や医薬品によく見られる構造モチーフを含むものは3分の2近くに上り、局所麻酔薬のリドカインや強心薬のベスナリノンなど、7種類の医薬品も合成された。特にこれら2種類については、今回の脱水素型アミノ化反応を用いることで、芳香環から出発する現行の製造法で生じる複数の問題を回避し、工程をより簡略化できる可能性も示されている。

Digheらの反応は、ニトロ化–還元法では芳香環の特定の部位にあるC–H結合を選択的に反応させられない場合や、芳香族置換法では収率が低い場合、または費用がかかり過ぎる場合には有用だろう。しかし、ニトロ化–還元経路は概して信頼性が高く、スケーラブルで、出発物質も安価である。だからこそ、大規模なアニリン合成が既に可能になっているのだ。これはまた、アニリン化合物がこれほど広く普及している理由の1つでもある。一方、今回Digheらが編み出した光触媒を用いる脱水素型アミノ化反応は、スケールアップに必要な化学工学プロセスがまだ考案されておらず、可能性は未知数だ。この反応が化学製品の製造にどれだけ広く採用されるかは、そうしたプロセスの開発がカギになるだろう。ただ、イリジウムは、地殻中の存在度が極めて低いレアメタル(希少金属)であるため、触媒供給の制限と費用の上昇が懸念される。

とはいえ、アニリン合成を事前に作られた芳香環から始めるべきとした慣習から化学者を解き放ったDigheらの功績は大きいだろう。今回の反応が今後、現行の方法を完全に置き換えることになるかどうかは、時がたたないと分からない。だが、合成法の選択肢が増え、選ぶ自由が得られたことは実に素晴らしい。

(翻訳:藤野正美)

Valerie A. Schmidtは、カリフォルニア大学サンディエゴ校(米国)に所属。

参考文献

  1. Dighe, S. U., Juliá, F., Luridiana, A., Douglas, J. J. & Leonori, D. Nature 584, 75–81 (2020).
  2. Kahl, T. et al. in Ullmann’s Encyclopedia of Industrial Chemistry https://doi.org/10.1002/14356007.a02_303.pub2 (Wiley, 2011).
  3. Vogt, P. F. & Gerulis, J. J. in Ullmann’s Encyclopedia of Industrial Chemistry https://doi.org/10.1002/14356007.a02_037 (Wiley, 2000).
  4. McGrath, N. A., Brichacek, M. & Njardarson, J. T. J. Chem. Educ. 87, 1348–1349 (2010).
  5. Szycher, M. Szycher’s Handbook of Polyurethanes 2nd edn (CRC, 2012).
  6. Hartwig, J. F., Shekhar, S., Shen, Q. & Barrios-Landeros, F. in PATAI’s Chemistry of Functional Groups (eds Rappoport, Z. et al.) https://doi.org/10.1002/9780470682531.pat0391 (Wiley, 2009).
  7. Prier, C. K., Rankic, D. A. & MacMillan, D. W. C. Chem. Rev. 113, 5322–5363 (2013).
  8. Dempsey, L. L., Brunschwig, B. S., Winkler, J. R. & Gray, H. B. Acc. Chem. Res. 42, 1995–2004 (2009).
  9. Iosub, A. V. & Stahl, S. S. ACS Catal. 6, 8201–8213 (2016).
  10. Liu, X., Chen, J. & Ma, T. Org. Biomol. Chem. 16, 8662–8676 (2018).

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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