感染拡大が続く米国が抱えるCOVID-19データ共有問題
2020年8月、ソウル市内のサラン第一教会で重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2(SARS-CoV-2)による感染症(COVID-19)の集団発生が起き、韓国におけるエピデミックの制圧はつまずきを見せている。8月25日の時点で915人の患者が発生しているという。患者の爆発的増加を防ぐために、韓国政府はソウル市に対して規制措置を再発令し、それと同時に集団発生の詳細を逐次公表している。例えば、教会で感染した120人が、ソウル市内の4つのコールセンターと3つの病院を含む22の施設でSARS-CoV-2を人々に拡散させたという情報が共有された。
韓国疾病管理本部のウェブサイトでは、この7カ月の間毎日のように、各地で発生した集団感染の情報をほぼリアルタイムで更新している。全国レベルのCOVID-19統計情報も報告されている。
シンガポールやニュージーランドで公開されているデータダッシュボード(集計したデータをグラフィカルに表示したもの)では、SARS-CoV-2が国内でどのように拡散しているかを知ることができる。その情報は政策立案者や市民がリスクを軽減しながら日常生活を送る方法を考えるのに役立ち、研究者たちにも豊富なデータを提供している。それとは対照的に米国では、人々が次第に社会活動や旅行を再開し、当局が学校や企業活動の再開を許可したにもかかわらず、感染拡大についての詳しい情報はほとんど提供されていない。こうした状況は、命を救うための決定を当局が下すための手助けをしたいと考えているデータリサーチャーたちをいら立たせている。
「今の状況では情報なしに行動すべきではありません」と、フロリダ大学(米国ゲインズビル)の生物統計学者Natalie Deanは言う。「危険を冒すことを強いられるなんて、あってはならないことです」。
専門家たちはNature の取材に対し、米国で情報が不足している理由として、政府からの圧力やプライバシーの問題、そして長年にわたる公衆衛生サーベイランスシステムの軽視を挙げている。
パンデミックに対抗するための唯一の武器が情報というわけではないが、韓国で見られるデータに対する関心の高さは、集団感染の制御に同国がおおむね成功していることと無関係ではないように思われる。韓国では人口1万人当たりの累積患者数は約3.5人で、過去1カ月のCOVID-19による死者数は週に2人程度だった。一方、米国では人口1万人当たりの累積患者数は175人で、過去1カ月では毎週約7000人がCOVID-19で死亡している〔註:ペンシルベニア大学およびハーバード大学の研究チームが10月12日付で、米国のCOVID-19による死亡率は先進国で最も高いという調査結果を発表した。原因は公衆衛生インフラや政府の対応にある可能性を指摘している(A. Bilinski et al. JAMA http://doi.org/10.1001/jama.2020.20717)〕。
韓国が公表している詳細な情報は、疾病管理本部に各地区の情報を迅速に報告する、250の公衆衛生センターの組織的ネットワークに支えられている。ソウル国立大学の疫学者Sung-il Choは、韓国のシステムが成功している理由には、そのような中央集権化が図られたことだけでなく、COVID-19パンデミック中の需要を満たすために「臨時雇いの疫学者」を緊急雇用したことが関係していると話す。こうした科学者たちが接触者追跡調査を主導し、簡潔に整理され匿名化された詳細情報をまとめ上げていて、ソウル市内の教会で発生した集団感染でも対応に当たった。
米国では韓国ほど緻密にはCOVID-19の接触者追跡が行われていないが、感染症サーベイランスデータは同様に各地方の保健所から連邦当局に上がってくる。米国疾病管理予防センター(CDC)は長年にわたりこのサーベイランスシステムを使用して、現在急増しているサルモネラ菌感染症のような集団感染の拡大を追跡し、その発生源を突き止めてきた。しかし今回のパンデミックで、このシステムにはいくつかのレベルで問題があることが分かった。このシステムの問題のため、患者がどこでSARS-CoV-2に感染したかという情報など、多くのデータが欠けており、また収集できたデータの公開もなかなか進んでいない。
CDCと米国の4つの保健所はNature の取材に対し、COVID-19のデータの管理方法について説明することを拒んだ。しかし、研究職として以前勤務していた人々や共同研究を実施している研究者たちの証言から、米国でデータの公開が遅れたりデータが欠けたりする理由が見えてきた。
監督の強化
パンデミックは政治色の濃い問題であるため、感染状況に関する情報はドナルド・トランプ政権の当局者によって厳重に秘匿されているのではないかという臆測がある。研究者たちによれば、CDCが発行しているMorbidity and Mortality Weekly Reports には研究結果が完全な形で掲載されるが、それがオンラインで公開されるのは内容が社会に影響を及ぼす恐れがなくなってからだという。例えば、ジョージア州での宿泊型キャンプで260人のスタッフと子どもたちが感染したという事例報告を、CDCは1カ月以上たった2020年7月31日に掲載している(C. M. Szablewski et al. Morb. Mortal. Weekly Rep. 69, 1023–1025; 2020)。2018年にCDCを退職した公衆衛生専門家のSamuel Grosecloseは、投稿された論文はCDCの内部で、そしておそらくは親機関である米国保健福祉省(HHS)の内部でも、異常に厳格な点検を受けているのではないかと推察している。
トランプ政権は2020年7月、COVID-19の感染者と入院患者に関するデータをCDCの管理下から切り離し、代わりにHHSが立ち上げた新しいシステムで処理すると発表した。HHSの長官が大統領に直接報告するため、CDCはラインから外された形になると科学者たちは指摘する。これまでのところ、HHSのダッシュボードで公開されているデータは1週間ほど古いもので、クラスターの発生した場所などの詳しい情報は掲載されず、感染者数と病院の収容能力に関する情報のみに限られている。HHSの広報担当者によると、新システムでは国内の6000の病院からの報告を効率的に収集しているという。
しかし、米国公衆衛生学会(APHA;ワシントンD.C.)の事務局長であるGeorges Benjaminは、システムの変更はデータの収集を効率化するどころか、いっそう混乱させていると話す。どの機関に報告すればよいか迷う病院管理者もいると彼は言う。また、HHSのシステム立ち上げに費やされた1000万ドル(約11億円)は、CDCや連携している全国の保健所での公衆衛生データ管理の改善にもっと有効に活用できたかもしれないと、彼は不満を感じている。その時代遅れのシステムは、米国で発生した570万件ものCOVID-19症例の負荷に耐えられなかったのだ。
また、多くの保健所がいまだにファクスでデータを報告しているとBenjaminは指摘する。これはオンラインで行うよりも時間がかかる。予算が不足しているということは、多くの仕事を抱えたスタッフがデータを分析するのに十分な時間を取れないということでもある。APHAをはじめとする学術団体は、米国の公衆衛生システムの下でのデータサーベイランスを改善するための人材と予算を以前から要求してきた。
「データを迅速に収集し、それを必要としている人々とタイムリーに共有できるような、しっかりとした情報ハイウェイを作り上げるための予算を何年も前から要求してきましたが、要望は全くかなえられませんでした」とBenjaminは言う。
この長年にわたる公衆衛生データ管理の軽視は、今回のパンデミックにおける国家的なリーダーシップの欠如によってさらにひどいものになっていると、Natureの取材に応じた研究者たちは言う。病院や検査室が保健所に報告しなければならない情報について、全国的に統一された基準は設けられていない。ハーバード大学医学系大学院(米国マサチューセッツ州ボストン)の感染症対策専門家であるRanu Dhillonは、現在はカリフォルニア州バレーホでCOVID-19患者を治療しているが、患者がSARS-CoV-2に感染した可能性のある場所を報告するようにという要請は、CDCからも地方の保健所からも受けていないと話す。彼自身はそのようなデータを自主的に診療録に記載しているが、州や地方の保健所がその情報を利用しているかどうかは定かでないため心配している。Dhillonは2015年、ギニアで発生したエボラ出血熱の集団感染対策に携わったことがあり、現地当局はエボラウイルスの拡散を抑制するために、患者がどのように感染したかについてのデータを収集していたと話す。「そのような情報はとても重要で、COVID-19広がりをより詳しく調べるのに役立つはずです。データを集めていないだなんてばかげてますよ」と彼は言う。
閲覧拒否
大学の疫学者たちは、過大な負担を強いられている州や地方の保健所に対してデータ分析について助言することで、政府当局がSARS-CoV-2への対応を効率的に行う手助けをしたいと考えている。保健所は通常、研究者からの要請があれば感染症サーベイランスデータを共有できるようにしている。しかし、COVID-19のパンデミックでは、疫学者はデータの閲覧を拒否された。例えば、カリフォルニア大学サンディエゴ校のHIV疫学者であるSteffanie Strathdeeは、居住地域、人種、可能性のある感染経路(静注薬物使用歴など)といった項目に整理された症例データの閲覧をこれまで何度も要請した経験がある。「サーベイランスデータは分かりやすく整理されて提供されます。ずっと当たり前のことだったのに、今回のエピデミックで事情はすっかり変わってしまいました」と彼女は言う。
2020年になってStrathdeeら疫学者は、匿名化されたCOVID-19データの提供をカリフォルニア州の公衆衛生局に要請した。Natureが電子メールの内容を確認したところでは、研究者たちの要請は、正確な年齢ではなく年齢層が分かればよいとするなど患者のプライバシーを考慮したものだった。しかし、データの提供は拒否された。同局の局長であるMark Ghalyは7月3日の電子メールで、患者の記録を情報公開する場合には「どのデータ項目が公開可能であるかを決定するために個々の記録を慎重に検討する必要があり、それには時間を要する」と説明した。
誰が、どこで、どのように感染しているかに関して、信頼できる最新情報が公表されないのであれば、米国の科学者、政策立案者、一般市民は、マスコミの報道や、データの一元管理に向けた自主的な取り組みに頼らざるを得ない。例えば、The Atlantic が立ち上げたCOVID追跡プロジェクトや、ジョンズホプキンス大学(米国メリーランド州ボルティモア)の研究者たちが取りまとめているCOVID-19ダッシュボードなどだ。
しかし、報道機関からのデータは必ずしも包括的なものではなく、完全に信頼できるものでもない。また、ダッシュボードでは感染の拡大がどこで起きているかをピンポイントで知ることはできない。
ジョンズホプキンス大学の疫学者Caitlin Riversは、人々が職場や学校、そして社会活動に戻ってきている今こそ、そのような情報が必要とされていると話す。感染状況にきちんと適合した介入の重要性は、これまで以上に高まっているということだ。「感染に注意するよう市民に呼びかけるだけでは不十分です」とRiversは言う。
翻訳:藤山与一
Nature ダイジェスト Vol. 17 No. 11
DOI: 10.1038/ndigest.2020.201112
原文
Why the United States is having a coronavirus data crisis- Nature (2020-08-25) | DOI: 10.1038/d41586-020-02478-z
- Amy Maxmen