薬剤で生物学的時計が巻き戻った?
エピジェネティックな時計で見る個人の生物学的年齢は、実年齢より進んでいる場合もあれば、遅れている場合もある。 Credit: PATRICK MCDERMOTT/GETTY
DNAのメチル化レベルなどのエピジェネティックな変化は、生物学的年齢の指標となることが知られている。このほど、米国での小規模な臨床研究で、薬剤投与により体のエピジェネティックな時計を巻き戻せる可能性が初めて示唆された。この結果は、2019年9月8日にAging Cellで報告された(G. M. Fahy et al. http://doi.org/c985; 2019)。
この試験では、9人の健康な被験者を対象に、1年間にわたって3種類の一般的な薬剤(成長ホルモンと2種の抗糖尿病薬)を併用投与した。すると、エピジェネティックな変化から求めた被験者の生物学的年齢が平均2.5歳若返っていたのだ。さらに、被験者の免疫系にも若返りの兆候が見られた。
この結果には、臨床試験の実施者でさえも驚いた。だが、アーヘン工科大学(ドイツ)の幹細胞生物学者Wolfgang Wagnerは「非常に小規模な研究で、対照群が設けられていないため、確固たる結果ではありません」と言う。
被験者のエピジェネティックな変化を解析したカリフォルニア大学ロサンゼルス校(米国)の遺伝学者Steve Horvathは、「エピジェネティックな時計が進むのを遅らせるのではないかと期待していましたが、時計を巻き戻せるとは思っていませんでした」と言う。
エピジェネティックな時計は、体のエピゲノムに依存している。エピゲノムとは、ゲノムやヒストンを標識するメチル基などの化学修飾に規定される遺伝情報のことである。DNA上のこうした標識のパターンは時間の経過とともに変化するので、個人の生物学的年齢を追跡する手段となる。生物学的年齢は、実年齢より進んでいる場合もあれば、遅れている場合もある。
科学者たちは、ゲノム全体から一連のDNAメチル化部位を選択することで、エピジェネティックな時計を構築した。Horvathは、生物学的年齢がエピジェネティックな変化から算出できることを提唱した先駆者である。
免疫ブースト
今回の臨床試験は、ヒトにおいて胸腺の組織を回復するために成長ホルモンを使用することの安全性を調べるものだった。肺と胸骨の間に位置する胸腺は、免疫が効率的に機能する上で重要である。胸腺は、体が感染やがんと闘うのに役立つ特殊なT細胞の発達を促すからだ。しかし、胸腺は思春期の後に退縮し始め、脂肪に置き換えられる。
動物での研究やヒトでのいくつかの研究からは、成長ホルモンが胸腺の再生を刺激することを示す証拠が得られている。けれども成長ホルモンは、糖尿病を促進する可能性がある。このため、今回の臨床試験では、2種の抗糖尿病薬であるデヒドロエピアンドロステロン(DHEA)とメトホルミンが、成長ホルモンと併用された。
TRIIMと名付けられたこの臨床試験は、2015年5月に米国食品医薬品局(FDA)により承認され、その数カ月後にスタンフォード大学医療センター(米国カリフォルニア州パロアルト)において、51〜65歳の9人の白人男性を対象に開始した。試験を率いたのは、Intervene Immune社(米国ロサンゼルス)の最高科学責任者で共同創立者である免疫学者Gregory Fahyである。
Fahyが胸腺に興味を持ったのは1986年にさかのぼる。このとき彼は、成長ホルモン分泌細胞を移植したラットで、免疫系が若返ったことを示唆する研究を目にした。しかし、この研究を臨床試験で追跡調査しようとした人は現れなかった。10年後、46歳になったFahyは、それを自身で試した。成長ホルモンとDHEAを1カ月間服用した結果、彼の胸腺は部分的に再生した。
TRIIMでは、被験者から薬剤服用中に採取した血液試料の解析により、各被験者の血球数に若返りを示す兆候が見られた。また、この研究の開始時と終了時に、磁気共鳴画像法(MRI)を用いて胸腺の組成を調べた結果、7人の被験者で、胸腺に蓄積された脂肪が再生された胸腺組織によって置き換わっていたことが分かった。
時計を巻き戻す
被験者のエピジェネティックな時計に薬剤が影響を及ぼしたかどうかを調べてみようとFahyが思い付いたのは、試験の後だった。つまり、FahyがHorvathに解析を依頼したときには、この臨床研究は終了していたのである。
Horvathは、エピジェネティックな時計を測る4種類の統計モデルを使って、各被験者の生物学的年齢を評価した。すると、それら全てにおいて全員の時計が大きく巻き戻されていることが分かった。「治療の生物学的効果が確実なものだと分かりました。さらに、6人の被験者から臨床試験終了6カ月後に得た最終血液試料から、効果は持続していることが見いだされました」とHorvath。
「我々は被験者ごとに変化を追跡できましたし、その効果は全ての被験者で非常に強く見られたので、私はこの結果を楽観視しています」とHorvath。
メトホルミンについてはすでに、一般的な加齢に伴うがんや心疾患などの疾患を防止する可能性を調べる試験が始まっている。Fahyは、今回投与された3種類の薬剤のそれぞれが、独特の機構を介して生物学的老化への影響に関与している可能性があると言う。Intervene Immune社は、女性を含む、さまざまな年齢や民族の人々を対象とした大規模な研究を計画している。
胸腺を再生することは、高齢者など、免疫系の機能が低下している人に役立つとFahyは言う。70歳以上の人の主要な死因は、肺炎などの感染症である。
ヘリオット・ワット大学(英国エディンバラ)のがん免疫学者Sam Palmerは、「血液中の免疫細胞の構成が若返ったのは興味深いです。感染症だけでなく、がんや老化全般にも大きな影響があると考えられます」と言う。
翻訳:三谷祐貴子
Nature ダイジェスト Vol. 16 No. 12
DOI: 10.1038/ndigest.2019.191217
原文
First hint that body’s ‘biological age’ can be reversed- Nature (2019-09-05) | DOI: 10.1038/d41586-019-02638-w
- Alison Abbott
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