子育て行動の遺伝学的基盤
「ゲノムの多様性はどのように複雑な形質の違いへと翻訳されるのか」という問いは、生物学者が直面する極めて差し迫った問題の1つである。ゲノムの多様性が影響すると考えられる形質のうち、社会的行動ほど複雑で興味深いものはおそらくないだろう。しかし、ゲノムの違いが攻撃性や求愛行動、絆の形成といった社会的行動に対して、どのような影響を与えているかという問いに、答えを示す研究はほとんど行われていない。Nature 2017年4月27日号434ページで、ハーバード大学(米国マサチューセッツ州ケンブリッジ)のAndres Bendeskyら1は、遺伝的交雑と緻密な行動分析、そして最新の神経科学ツールを組み合わせることにより、シロアシマウス(Peromyscus)属マウスで見られる「子育て行動」の種差について、遺伝学的基盤の一端を明らかにした。
シロアシマウス属は北米大陸に広く分布し、その生息地は乾燥した砂漠から山地の雲霧林にまで広がっている2。極めて多岐にわたる生息地と同様、その行動もまた変化に富んでいる。例えば、子育ての分担と社会的一夫一婦制は、哺乳類には稀な形質だが、シロアシマウス属ではこの形質が少なくとも2回進化したことが判明している3。このうち一夫一婦制をとる種であるハイイロシロアシマウス(P. polionotus)は個体群密度の低い砂質環境に生息しており、つがいの絆を形成し雌雄とも存分に子育てを行うことで、まばらな環境に適応したと考えられる(図1)。対照的に、シカシロアシマウス(P. maniculatus)は極めて広範囲に分布しており、その配偶システムは、他の多くの齧歯類と同じく乱婚性だ3。シカシロアシマウスは、ハイイロシロアシマウスのような子育てを行わず、その違いは特に父親で顕著に見られる。
こうした違いがありながらも、両種は極めて近縁であり、交雑させて繁殖力を持つ仔を作らせることが可能である。そのため、行動的差異の遺伝学的基盤を探る上で格好の研究材料となっている。Bendeskyらは、2世代にわたって両種を交雑させ、両種のさまざまなゲノム領域を受け継いだ孫個体を数百匹得た。研究チームは、一部のゲノム領域が、子育て行動全般(例えばどれだけの営巣が行われたかや、親から引き離された仔がどれだけ素早く連れ戻されたかなど)に影響しており、ゲノムからその行動が予測可能であることを明らかにした。その他、特異性がさらに高く、営巣行動のみに影響する領域も特定された。意外なことに、子育てと特定DNA配列との関係は雌雄間で異なる場合が多く、このことから、種差の背後にある機構の多くが母親、父親いずれかの子育て行動において特異的なものであることが示された。
子育て行動の種差を形成する遺伝子の特定に当たり、研究チームは雄の営巣行動のみに関連するゲノム領域に目を付けた。この領域には遺伝子が498個含まれている。リストを絞り込むため、研究チームは1代目の雑種マウスの遺伝子発現を調べた。注目したのは、それぞれの種に由来する2コピーが同一細胞内に存在するときに、それぞれの発現が異なっているかどうかだ。遺伝子の発現レベルを調べる際、研究チームは視床下部に着目した。子育てへの関与が大きい脳領域である。その結果、視床下部では9遺伝子が種特異的な発現レベルを示し、そのうちバソプレッシン(雄の社会的行動に関与するホルモン4)をコードする遺伝子に最大の種間格差が認められた。特に、ハイイロシロアシマウスに由来する遺伝子コピーは、シカシロアシマウスのコピーと比較して発現レベルが低かった。
バソプレッシンの発現レベルが高いと「悪い父親」になるのだろうか。Bendeskyらは、ハイイロシロアシマウスの脳にバソプレッシンを注入すると、実際に営巣行動が抑制されることを示したが、他の子育て要素には影響が認められなかった。これは、研究チームの示す遺伝子データと整合する知見だ。しかし、注入されたバソプレッシンは、視床下部以外の多くの脳領域で作用している可能性もあれば、視床下部内の複数の脳領域のどこかで作用している可能性もある3-5。
そこでBendeskyらは、営巣行動の抑制に関わるバソプレッシン発生源候補として特に可能性が高いのは、室傍核(PVN)として知られる視床下部領域だと考え、室傍核のバソプレッシン発現ニューロンが子育て行動を阻害するかどうかを調べた。室傍核はバソプレッシンの重要な発生源であり、内側視索領域と呼ばれる別の視床下部領域への投射により、子育て行動を強力に調節している4–6。Bendeskyらは、室傍核のバソプレッシン発現ニューロンが子育て行動を阻害するのかどうかを調べた。Bendeskyらは実験用マウスに切り替え、マウスのバソプレッシンニューロンを操作して、ある薬物に応答してニューロンの発火頻度を変化させる遺伝子を発現させた7。室傍核ニューロンを活性化させると営巣行動は阻害され、バソプレッシン活性の抑制は逆の作用を示した。この結果から、室傍核のバソプレッシンは、雄の子育て行動の種差に寄与していると考えられる。
今回の研究は、多くの点で既報の文献とよく整合する。子育てを分担する別の社会的一夫一婦制齧歯類、プレーリーハタネズミの研究からは、子育て行動が雌雄間で類似していても、それらは異なる神経生物学的機構から生じている可能性が示唆されている8。ヒトにおいても、機能的核磁気共鳴画像法(fMRI)を用いた研究から、父親の子育てには母親のものとは異なる神経機構が関わっていることが示唆されている9。さらに、Bendeskyらの今回の系統的なゲノム観察からは、雌雄で神経機構が異なるパターンが一般的であることが判明する可能性が示唆される。
今回の研究結果は既報の文献の多くと一致しているが、意外な知見もあった。例えば視床下部のバソプレッシンは齧歯目の複数種で子育てと関連付けられているが、そうした種においてこのホルモンは、子育てを促進するものであって、阻害はしていない8,10,11。この不一致が生じた理由は明らかにされていないものの、過去の研究との違いの1つとして、調査の対象が内側視索領域に放出されたバソプレッシンであったことが挙げられる。今回の研究は、室傍核バソプレッシン分泌ニューロンの子育て行動に対する影響を直接分析した初めての研究である。おそらくさらに重要なのは、過去の子育て研究の大部分が、巣への連れ戻しや毛づくろい、仔に覆い被さる行動など、仔に向けた行動に集中していたことだ。Bendeskyらは、営巣行動の遺伝的な違いが仔に向けた行動とは切り離せることを示しており、子育てのさまざまな行動的側面がそれぞれ別の機構に依存していることが示唆される。
総合すると、今回の実験から、複雑な行動の種差が特定の遺伝子や回路の違いに由来する場合のあることが示された。この研究は、今後切り開かれるであろう研究分野の先駆けとなるものだ。非モデル生物の遺伝子解析や神経解析ができるようになりつつあり、研究者は、脳や行動の違いがゲノムと環境の複雑な相互作用からどのようにして現れてくるのかを探ることができる。そうした研究により、生物学ではかつては不可能と思われた統合的な見方がもたらされ、長年解決できなかった問題の探究が可能になる。
翻訳:小林盛方
Nature ダイジェスト Vol. 14 No. 7
DOI: 10.1038/ndigest.2017.170730
原文
How to build a better dad- Nature (2017-04-27) | DOI: 10.1038/nature22486
- Steven M. Phelps
- Steven M. Phelpsは、テキサス大学オースティン校統合生物学科(米国)に所属。
参考文献
- Bendesky, A. et al. Nature 544, 434–439 (2017).
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