「致死的変異」の正体を見極める
ヒトの保有する遺伝子群には、平均して約54の変異が潜んでいる。それらの変異によって、保有主が病気になったり、場合によっては死に至ってしまいそうに思えるが、実際そうはならない。Sonia Vallabhは、D178Nがそうした無害な変異の1つであってほしいと願った。
Vallabhは2010年に、母親が致死性家族性不眠症(FFI)という謎の多い疾患で亡くなるところに立ち会った。この疾患は、折りたたみ異常型のプリオンタンパク質が凝集して脳を障害するプリオン病の1つである。翌年、Vallabhは検査を受け、D178Nという変異のあるプリオンタンパク質遺伝子(PRNP)を1コピー持っていることが分かった。D178Nは、おそらく彼女の母親にプリオン病を引き起こしたのと同じ変異だと考えられたため、この検査結果は死の宣告にも等しかった。FFIの平均発症年齢は50歳と若く、病気の進行も速いからだ。しかし、当時26歳だったVallabhは、その宣告を闘わずして受け入れようとは思わなかった。彼女と夫のEric Minikelは、それぞれ法律家と運送コンサルタントの職を捨て、生物学専攻の大学院生となった。彼らは、FFIに関して全てを学び、この疾患の進行を止める手立てを何とか見つけ出そうと決めたのだ。最も重要な課題の1つは、D178N変異が確実にこの疾患の原因なのかどうかを見極めることだった。
そんな取り組みをしようと考えた人間は以前ならほとんどいなかっただろう。だが、過去数年の間に、臨床遺伝学にはちょっとした見直しの動きがあった。ゲノミクス研究は21世紀に入って急速に進み、何千もの遺伝子変異が疾患や障害と関連付けられて報告された。そうした関連付けが確実な場合も多かったが、危険もしくは致死的だと考えられていた変異が、実は無害だと分かった例も続々と出てきたのである。こうした「狼の皮を着た羊」と呼べる変異が明らかになったのは、これまでで最大級の規模の遺伝学調査である「Exome Aggregation Consortium(ExAC)」のおかげだ。
ExACのコンセプトは、6万人以上のゲノムのタンパク質コード領域、つまりエキソームの塩基配列を1つのデータベースにまとめ、それらの配列を比較して差異がどのくらいあるかを明らかにできるようにする、というシンプルなものだ。しかし、このゲノム情報資源は生物医学研究にとてつもなく大きい影響を及ぼしている。疾患と遺伝子の誤った関連付けを拾い出して排除するのに役立つだけでなく、新たな発見も生み出しているからだ。多様な集団で変異の頻度を詳しく調べることで、さまざまな遺伝子が何をやっているのか、そのタンパク質産物がどう機能しているかを知る手掛かりが得られるのだ。
ExACはヒト遺伝学のあり方を根底から変えたと、コロンビア大学(米国ニューヨーク州)の遺伝学者David Goldsteinは話す。1つの疾患や形質を糸口にしてその遺伝的基盤を見つけようとするのではなく、興味深い作用を持っていそうな変異を糸口にして、その変異を持つ人々に何が起こっているかを調べる、という形の研究ができるのだ。「これは実に新しい研究のやり方です」とGoldsteinは話す。
ExACは、遺伝子診断を受ける家族にも、より詳しく精度の高い情報を提供してくれる。例えばD178N変異は、数人のプリオン病患者で見つかっていて、それ以外の人にはほぼないため、プリオン病の原因として強く疑われていた。しかしExACができる前は、D178Nがどの程度希少なのかすら分かっていなかった。もしD178Nがプリオン病患者の発生率よりも高頻度で存在するなら、この変異を持つVallabhがプリオン病になるリスクは、従来の予測よりもかなり低くなると思われる。
「D178Nが健康な集団で常に見られるのかどうかを明らかにする必要がありました」とMinikelは言う。
データ収集
ExACは不満から生まれた。2012年、遺伝学者のDaniel MacArthurは、マサチューセッツ総合病院(MGH;米国ボストン)で最初の研究室を構えた。彼は、希少な筋疾患を起こす遺伝的変異を見つけ出そうと考えたが、それには2つのものが必要だった。そうした筋疾患患者のゲノム塩基配列と、患者でない人々のゲノム塩基配列だ。健康な対照群よりも患者群に高い頻度で存在する変異があれば、その変異が原因の1つである可能性は当然高くなる。
ところがMacArthurは、健康な対照群のゲノム塩基配列を十分に入手することができなかった。研究者らがすでに何千ものエキソームの塩基配列を解読済みだったが、MacArthurには大量のエキソームが必要であり、既存のデータセットの規模では不十分だったのだ。また、十分な量のエキソーム情報を1つの標準化したリソースに統合した者もまだいなかった。
そこでMacArthurは、研究者仲間にデータを共有しないかと声を掛け始めた。彼はこの役まわりにぴったりだった。早くからソーシャルメディアを使いこなしていた彼は、活発なブログ投稿と辛口のTwitter配信のおかげで名が知られており、若手研究者ながら信頼を得ていたからだ。また彼は、ゲノム塩基配列の解読研究が盛んなブロード研究所(米国マサチューセッツ州ケンブリッジ)にも籍を置いていた。MacArthurは、何万ものエキソームのデータを自分と共有してくれるよう研究者らを説得した。彼らの大半は、何らかの形でブロード研究所とつながりのある研究者だった。
残された仕事はデータの解析だったが、これは容易ではなかった。遺伝子の塩基配列解読は済んでいたものの、生データの解析はさまざまなタイプのソフトウエアを使って行われており、中には時代遅れのソフトウエアもあった。もし、このコレクションの中の1人に希少な変異が見つかった場合、それが本物である可能性もあるが、異なるプログラムで塩基をA、C、TもしくはGだと判定したことによる人為的産物である可能性もある。MacArthurは、この巨大なデータセットを何とかして標準化する必要があった。当時、ブロード研究所はすでにゲノムの塩基判定ソフトウエアを開発していたが、ExACに含まれる膨大な量のデータに対処するには力不足だった。そこでMacArthurのチームは、ブロード研究所のプログラマーらと緊密に連携し、塩基判定ソフトウエアを試しながら性能を高めていった。「あれは壮絶な18カ月間でした」とMacArthurは振り返る。「我々はありとあらゆる障害にぶつかり、何の成果も得られませんでした」。
個人的な利害関係
MacArthurがこの作業を続けていた2013年4月、VallabhはMGHで幹細胞を使った研究法を研修中であり、彼女の夫であるMinikelはバイオインフォマティクスの研究をしていた。Minikelは昼食時にMacArthurと会い、自分と妻が、健康な人々にD178Nが存在するのかどうかを知りたいと思っていると話した。MinikelはMacArthurの評判を知っており、憧れのスターに会えた気分だったという。「自分の抱える問題について彼に30分でも考えてもらえたら、この1カ月の経験の中でおそらく最も重要な出来事になるだろうと思ったのです」とMinikelは振り返る。VallabhとMinikelは、上階にあるMacArthurの研究室を訪れた。この研究室に所属するバイオインフォマティクス研究者のMonkol Lekが、その時点で解析済みの約2万エキソームに及ぶExACデータに対し検索をかけたが、Vallabhの変異は見つからなかった。それは朗報とはいえなかったが、ExACデータのさらなる探索について楽観的な見通しが持てたことから、MinikelはMacArthurの研究室に加わった。
MacArthurのチームと共同研究者らは、2014年6月までに、自信の持てるデータセットをまとめた。多様な民族集団の6万706人に由来し、健康状態とデータ提供同意に関する一定の条件を満たしたエキソーム情報である。MacArthurらは、同年10月に米国カリフォルニア州サンディエゴで開催された米国人類遺伝学会(ASHG)の年次総会で、ExACについて発表した。研究者や医師らはすぐに、このデータが遺伝的リスクの情報を再検討するのに役立ちそうだと気付いた。
近年は特に、さまざまな疾患関連研究が行われており、患者集団の解析で見つかった怪しい変異が健康な集団では見つからなかった、という理由だけでその変異を病因だと見なす場合も多い。しかし、探し方が不十分だった可能性や、適切な集団で調べなかった可能性もあるのだ。また、解析の基準となる「健常な」遺伝学データは欧州人系統に由来するものに偏りがちであるため、結果に歪みが生じてしまう恐れがある。
2016年8月、MacArthurらはExACデータの解析結果をNatureに発表し1、従来は有害だと考えられていた変異の多くがおそらく無害であることを示した。従来は病原性だとみられていた192カ所のバリアント(参照用のゲノム塩基配列と異なる箇所)が、比較的ありふれたものだと判明したのだ。またMacArthurらは、これらのバリアントが実際に疾患を引き起こしたという明確な証拠を見つけようと多数の論文を検討したが、確固たる証拠を挙げていた論文は9件のみだった。米国臨床遺伝・ゲノム学会(ACMG)の設定した基準に従えば、バリアントの大半は実際に無害であり、現在では多くが無害なものとして再分類されている。
類似の研究で、医療に直接的な影響を与えることが期待されるものもある。オックスフォード大学(英国)の遺伝学者Hugh Watkinsらが発表した、ExACデータベースを利用した研究論文2では、心筋が徐々に障害される特定の型の心筋症と関連付けられている遺伝子群に着目している。これらの型の心筋症は、気付かぬまま突然死に至る場合があるため、関連付けられている遺伝的変異について患者の血縁者を検査することが一般的になっている。遺伝的リスクがあると分かった人には、植え込み型の除細動器をつけるよう勧める場合もある。除細動器は、心拍に異常が現れた場合に心臓に電気的刺激を与える装置だ。Watkinsは、心筋症と関連付けられている遺伝子に関する情報を得ようと、ExACデータベースを検索した。その結果、変異の多くは健康な人々の間にかなり広く存在していて、病原性があるとは思えないことが分かった。ある型の心筋症を起こす病原性変異は、約60個の遺伝子にあると従来考えられていたが、Watkinsの解析で、そのうち40個は関連していない可能性が高いことが明らかになった。
この結果は悩ましいものだった。「『自分には疾患を予期する遺伝的リスクがある』と信じて、大きな決断を要する予防策を講じた場合、実際にリスクがないなら、その予防策の方が有害な場合もあるのです」とWatkinsは話す。
確実に疾患と関連しているように見える変異の中にも、PRNPの場合のような見込み違いのものが含まれている。FFIの原因遺伝子の変異は複数あるが、一部のバリアントは病原性がないか、もしくは発症リスクをわずかに上昇させる程度だと考えられる(「実際には致死的ではなかった変異」参照)。VallabhとMinikelはD178Nの病原性を明らかにするために、プリオン病と診断された1万6000人以上から遺伝学データを集め、プリオン病でない約60万人(ExACの参加者を含む)のデータと比較した3。
VallabhとMinikelは、ExACの52人に、プリオン病と従来関連付けられている複数のPRNP変異があることを見つけたが、プリオン病の発生率に基づけば見つかるのはおそらく2人ほどだと予測された。Minikelは計算から、致死性だと推定されているこれらの変異のうち、一部はプリオン病になるリスクをわずかに上昇させるだけであり、一部はプリオン病と全く関連していない可能性があることを示した。
この研究によって、Alice Uflackerのような人々に救いとなる手掛かりが得られた。Uflackerの父親Renanは、プリオン病の1つで精神と身体の状態が急速に悪化するクロイツフェルト・ヤコブ病によって、2011年に62歳で死亡した。Aliceは、自分のPRNPにV210Iという変異があることを知った。これは、それまでの研究でヤコブ病と関連付けられていた変異だ。やがて3年経ち、彼女はMinikelから、V210Iは疾患リスクをちょっと上げるだけだと伝えられた。この情報は心強く、また解析の結果にも納得できた。彼女の祖母も同じ変異を持っていたが、93歳まで生きたからだ。
しかし、VallabhとMinikelはそうした救いを見いだせそうにない。D178N変異は、彼らが調べたプリオン病でない人々のゲノムには存在しておらず、プリオン病を起こす可能性は高いままだからだ。Minikelがデータを詳しく調べるほど、2人の懸念は大きくなっていった。「調べるにつれて、我々の臆測は徐々に確信に変わっていきました」とMinikelは話す。「『最悪な情報を見つけてしまった』ということではありません。最悪な情報がスタートだったわけですから」。
ヒトのノックアウト版
ExACによって変異の頻度を調べることで、遺伝子に関する多くのことが明らかになりつつある。MacArthurら1は、ExAC内のどのゲノムでもあまり変異していない3200個の遺伝子を明らかにした。これらは重要な遺伝子だということになるが、そのうち72%はまだ疾患と関連付けられていない遺伝子だ。そこで、これらの遺伝子の中に、疾患への関与が未評価のものがないかどうか調べようとする動きが出ている。
またMacArthurらは逆に、異常が深刻すぎてタンパク質産物を完全に不活性化させるような変異を約18万例見つけた。遺伝子の機能研究では、マウスなどの動物でノックアウト技術によって遺伝子を欠損させる方法が長年にわたってとられてきた。こうして現れる症状を見ることで、その遺伝子の機能を調べることができる。しかし、ヒトにはこの方法が使えない。そこで研究者らは、ヒトで自然に生じたノックアウト事例を調べることで、疾患の発症機序を解明したり、可能な治療方法を探したりしたいと考えている。MacArthurや他の研究者らは、どのヒトノックアウト遺伝子の研究を優先すべきか、また、研究を進める上でそうしたノックアウト遺伝子を持つ人々にどう接するのが最適なのかを見極める準備を進めている。
しかし、MacArthurがExACの第2段階を完了させるには、まだ時間がかかるだろう。ASHGの会議が2016年10月にカナダのバンクーバーで開催された際に彼がExACについて発表したことで、ExACのデータセットのサイズは13万5000エキソームに倍増すると考えられる。また、約1万5000例の全ゲノム塩基配列も組み込まれ、エキソームの塩基配列解読では捉えられないゲノム調節領域の変異を探すことも可能になるはずだ。
ExACは、臨床遺伝学の標準ツールに着々となりつつある。現在では、世界中の臨床検査室が、まずExACを検討した上で、ゲノムに病因となりそうな特定の異常があることを患者に伝えるようになっている。もし、その変異がExAC内に広く存在していれば、有害である可能性は低い。米国立ヒトゲノム研究所(NHGRI;メリーランド州ベセスダ)の遺伝学者Leslie Bieseckerによれば、彼の研究室では診療で日常的にExACを利用しているという。「あらゆるバリアントを考慮に入れることが重要です」と彼は話す。彼は現在、他の遺伝学者と、既報の遺伝学論文を考慮に入れた、おそらく数年はかかりそうな骨の折れる研究に取りかかっている。
ExACは、Goldsteinや他の研究者らが繰り返し強調してきた問題も提起している。つまり、アジア人やアフリカ人、ラテンアメリカ人といった非欧州人系統を含めないと、ヒトの遺伝的多様性という視点が狭まってしまい、遺伝子がどのように疾患に影響するかを十分に解明できない、という問題だ。現在、米国の精密医療イニシアチブ(PMI)をはじめとして、多数の人々の遺伝学情報と健康情報を関連付ける研究が計画されており、その中に、まだ十分に調べられていない集団も含めようという新たな動きがある。
ExACはVallabhとMinikelに、落胆するような証拠をもたらしたが、期待の持てる手掛かりもいくつか提供してくれた。Minikelの研究で、2コピーのプリオンタンパク質遺伝子のうち一方の発現が抑制される変異を持つ人が、ExAC内に3人見つかったのだ3。その人たちが、正常に機能するプリオンタンパク質の量が限定された状態で生き延びることができるなら、Vallabhの異常なプリオンタンパク質を発現抑制するような薬剤を作り出して、危険な副作用なしにプリオン凝集や疾患進行を防ぐことも、ひょっとしたら可能かもしれない。Minikelは、見つかった3人のうちの1人と連絡を取った。スウェーデンにいる男性で、彼は研究のために細胞を提供することを承諾してくれた。VallabhとMinikelは現在、ブロード研究所の生化学者Stuart Schreiberの研究室に加わり、そこで、プリオン病の治療薬候補を見つけようと時間を惜しんで研究している。
VallabhとMinikelは、ExACのデータを医療上の恩恵に転化することの難しさを身をもって示している。「もう戻ることはできません。ここを突破して進むしかないのです」とVallabhは話す。彼らの置かれた状況は危機的だとしか言いようがない。Vallabhは現在32歳で、母親が死亡した年齢まであとちょうど20年。彼女は一刻も無駄にできないのだ。
翻訳:船田晶子
Nature ダイジェスト Vol. 14 No. 1
DOI: 10.1038/ndigest.2017.170120
原文
A radical revision of human genetics- Nature (2016-10-13) | DOI: 10.1038/538154a
- Erika Check Hayden
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Erika Check Haydenは米国サンフランシスコ在住のNatureのライター。
Nature Podcast
参考文献
- Lek, M. et al. Nature 536, 285–291 (2016).
- Walsh, R. et al. Genet. Med. (2016).
- Minikel, E. V. et al. Sci. Transl. Med. 8, 322ra9 (2016).
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