特許の呪縛を超える試み
オーダーメードの遺伝子を合成する企業「DNA2.0」(米国カリフォルニア州メンロパーク)で、ある時、蛍光タンパク質を使ってルーティンの実験を進める必要が生じた。そのため、蛍光タンパク質の使用に関する米国特許を法務担当者が捜し集めたところ、1000件以上にもなってしまった。そこで、複雑に入り組んだ法律問題を回避するため、同社は数十種類の蛍光タンパク質を新たに作製することにした。そのとき彼らが確信したのが、変革の必要性だった。
2013年6月、DNA2.0は、新たに作製した蛍光タンパク質のうちの3種類をコードするそれぞれの遺伝子塩基配列を、DNAの「パーツ」の作り方を集めたオープンソースのコレクションに寄託した。DNAの「パーツ」とは、特定の機能を発揮する生物(細菌であることが多い)を作製する際に用いる成分分子のことだ。同社は、これらの塩基配列を利用する者に対して特許権を行使しないと誓約している。
こうした動きは、大手のバイオテクノロジー企業としては珍しい。企業は特許による権利保護を強力に推し進めるのが通例だからだ。しかし、DNA2.0は戦略的な意図を持ってこうした決定を下した、と同社の最高営業責任者Claes Gustafssonは話す。合成生物学者の多くは、遺伝子操作が工学原理に基づいて行われるような環境にしたいと考えており、その成否は、組み合わせたときの結果が予測できるような標準化パーツを作り出せるかどうかにかかっている。
DNA2.0としては、他の合成生物学企業が「DNA2.0で合成したパーツを使って特注の生物を設計するのが有利だ」と思うようなインセンティブを作り出したいのだ。「弊社の多くの顧客は小規模なバイオテクノロジー企業で、こうした企業にとって、現在の知的財産権の状況は悪夢としか言いようがありませんから」とGustafssonは言う。
こうした状況を緩和することが、バイオブリック財団(米国マサチューセッツ州ケンブリッジに本部を置く非営利組織)がロンドンで開催する第6回国際合成生物学会議(2013年7月9~11日)での重要な議題となる。産業界の一部では、特許紛争が激化しているため、合成生物学者は、特許よりも単純明快な著作権やオープンソースのパーツ登録制度といった代替的手段の比較検討を進めている。
妥当性確認を経た成分分子のコレクションへのオープンアクセスは、合成生物学の成功にとって極めて重要だ、とスタンフォード大学(米国カリフォルニア州)の合成生物学者Drew Endyは話す。合成生物学者は、ソフトウエアエンジニアと似たところがあり、遺伝コードがプログラミング言語となっている、とEndyは言う。ソフトウエア業界では、オープンソースの手法と著作権による保護が好まれている。その理由は、この分野では、1つの発明に関する特許を取得する前に、次の発明がなされてしまうことが多いからである。
同じことが合成生物学についてもいえる。もし遺伝子の構成単位の1つ1つに特許が付いていたなら、「法的な地雷原」を擦り抜けることが細胞エンジニアの仕事になってしまいかねない。学術研究の過程で特許を侵害した科学者に訴訟を起こす企業は少ないだろうが、歴史の浅い合成生物学企業が攻撃を受けたら、ひとたまりもない。
2年前の2011年、バイオブリック財団は、オープンソースソフトウエア運動のいくつかの要素を借用して、合成生物学のパーツを設計する研究者のための公開協定(public agreement)を定めた。しかし、バイオブリック財団のオープンソースのコレクション(合計708パーツ)の寄託者は、DNA2.0、Endy、ギンコバイオワークス(米国マサチューセッツ州ボストンに本社のある合成生物学企業)の3つにすぎない。最も影響力の大きなパーツの一部は、商業的利用をしたくても、なお産業界や大学の研究室に大事にしまい込まれているのだ。
バイオブリック協定の立案に非常に重要な役割を果たし、オープンソースソフトウエア契約の創出にも寄与したのが、Duane Morris法律事務所(ボストン)に所属する著作権法の弁護士Mark Fischerだ。彼は、このプロジェクトを現時点で評価するのは時期尚早だと言う。Fischerによれば、登録制度に対するDNA2.0の寄与は、この動きが軌道に乗ったことの1つの表れだという。「今は、軌道に乗り始めた段階です」とFischerは話す。
合成生物学におけるオープンソースの推進によって再燃しているのが、工学的に作製されたDNA塩基配列を著作権で保護するという議論だ。著作権は、特定の種類の著作物を無断複製から守っているが、そうした著作物は、利用者の手で大きく改変される可能性もある。米国では、1960年代にコンピュータープログラムに対する著作権保護を認め始めた。
DNA2.0は、著作権の枠組みをDNA塩基配列にも適用できるかどうか見極めたいと考えている。2012年に、同社は、緑色蛍光タンパク質をコードするDNA塩基配列に関して米国法上の著作権を申し立てたが、棄却され、それに対する異議申立てを行った。DNA2.0は、この論点が裁判所で審理されるまで異議申立てを続ける計画だ、とDNA2.0に協力するミズーリ大学カンザスシティー校のChristopher Holman教授(法律学)は話す。
著作権は、費用が安く、特許よりも手間のかからない代替手段だとEndyは言う。著作権の登録料は35ドル(約3500円)だが、これに対して、DNA2.0によれば、特許出願は1件当たり弁護士費用と管理費で10万ドル(約1000万円)が必要となる。ただし、Endyは、著作権の保護期間が最長120年であることに懸念を示している。特許の保護期間は20年なのだ。
それに、Gustafssonによれば、発明によっては、特許の方が便利なこともあるという。DNA2.0は、自社で作製した遺伝子とタンパク質の一部について、これからも特許出願を続ける意向だ。「弊社は、他社と同じ制度の中で事業展開していますが、それでも、弊社としては、市場規模を拡大させたいのです」とGustafssonは話す。
翻訳:菊川要
Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 10
DOI: 10.1038/ndigest.2013.131027