細胞増殖へのコミットは不可逆的でない
細胞は増殖する際、DNAを複製し、続いて倍加したゲノムと細胞内容物を2つの新しい細胞に分割するよう運命付けられる。細胞増殖へのコミット(細胞の運命が決定されて後戻りできなくなること)は、増殖因子(マイトジェン)というタンパク質に依存しており、不可逆的なスイッチが入ることに例えられる。このスイッチは制限点と呼ばれ、DNA複製開始前(細胞周期のG1期後期)に存在している。このモデルによれば、制限点を通過する前、すなわちスイッチが入る前に増殖因子を除去すると、細胞は細胞周期から離脱して静止期(G0期)と呼ばれる非増殖状態に戻る。一方、スイッチが入った後で増殖因子を除去した場合には(図1a)、細胞はDNA複製と分裂を1回完遂してから静止期に戻る1,2。少なくとも、これまではそう考えられてきた。だが、このモデルに異議を唱えるデータを、国立がん研究所(米国メリーランド州ベセスダ)のJames A. Cornwellら3がNature 2023年7月13日号の363ページで報告している。
図1 細胞分裂へのコミットは不可逆的ではない
a 細胞分裂へ向かう細胞は、細胞周期のG1期、S期、G2期、M期という段階を順に進み、S期でゲノムを複製し、M期で分裂する。これまでのモデルでは、DNA複製前のG1期に、不可逆的な「制限点」が存在するとされていた。細胞がG1期の制限点を通過する前に増殖因子(GF)を除去した場合、細胞は分裂せず、G0期(静止期)と呼ばれる非増殖状態に戻る。一方、制限点を通過してから増殖因子を除去すると、細胞は後戻りせずに増殖サイクルを完了すると考えられてきた。
b Cornwellら3の研究は、G1期に不可逆的な制限点が存在するという考えに疑問を投げ掛けている。彼らは、S期で起こるDNA複製の初期に増殖因子を除去すると、サイクリンA2の量が減少し、細胞はDNA複製を完了するものの、分裂が起こる前のG2期に細胞周期から離脱することを示している。一方、S期の後期に増殖因子を除去した場合には、十分な量のサイクリンA2が残り、細胞分裂が進行する。
Cornwellらは、制限点を通過する、すなわちスイッチが入ると不可逆的に増殖周期に移行すると考えられていた細胞が、必ずしも分裂を完了するとは限らないことを示している。スイッチが入った後で増殖因子を除去した場合でも、細胞はDNAを複製するだけで分裂はしないことがあるというのだ。興味深いことに、細胞が分裂を完了するか細胞周期から離脱するかは、サイクリンA2というただ1種類のタンパク質の量によって決まる。
この研究の発端は、Cornwellらが実験当初に観察した、ヒトの細胞でスイッチが入った後に増殖因子のシグナル伝達を阻害すると、一部(細胞種にもよるが最大15%)の細胞はDNA複製のみを行い、分裂は完了しないという事象だった。つまり、約15%の細胞は細胞増殖へコミットしていなかったことになる。Cornwellらは、単一細胞タイムラプスイメージングという手法を用いて、分子的事象の測定と細胞挙動のモニターを同時に行い、このような細胞亜集団がどのようにして生じてくるのかを明らかにした。
その結果、増殖因子の量が多い場合、細胞周期が進行して細胞分裂が生じた。これは増殖因子がサイクリンA2をコードする遺伝子の発現を刺激するからで、サイクリンA2の量が多ければ細胞はDNAを複製して分裂する。しかし、増殖因子が枯渇したり、その下流のシグナル伝達経路が阻害されたりすると、細胞は細胞周期から離脱した。この場合、サイクリンA2をコードする遺伝子の発現が阻害されてサイクリンA2のレベルが閾値(いきち)を下回り、細胞はDNAを複製するが分裂まで進行しなくなるのだ。このことから、細胞は増殖へ不可逆的にコミットするのではなく、増殖因子による刺激に応じた柔軟な挙動を示すことが分かる。
この発見は、DNAを複製したが分裂まで進めなかった細胞が、後に再び増殖因子による刺激を受けたらどうなるのか、という疑問を提起する。このシナリオでは、細胞は倍加したゲノムを既に持っていることに注意する必要がある。全ゲノム重複は腫瘍形成の初期に起こることが知られており、さらなる遺伝的擾乱(じょうらん)を許容する環境を提供するため、生物に害を及ぼす可能性がある4,5。
さらに、DNAを複製して分裂しなかった細胞が、細胞老化(細胞周期が完全に停止)という状態の細胞マーカーを発現していることが明らかになった。このことは、細胞が増殖周期から永久に離脱してしまった可能性を示唆している。もしそうならば、これらの細胞は、組織内の機能が完全な細胞の数を減らして老化の一因となることはあっても、生物にそれ以上の害を及ぼすことはないのかもしれない。
しかし、もし倍化したゲノムを持つ細胞が増殖因子による新たな刺激に応答して、再び増殖周期に入ることができるとすれば、どのようにして増殖周期に入るのかが問題となる。細胞周期を離脱した段階から再開し、DNA複製を行うことなく細胞分裂を完了させるのだろうか? ハエの脳では、細胞周期のG2期と呼ばれる段階で、倍加したゲノムを持つ細胞は細胞周期から離脱し、分裂を起こさずに静止期に入ることができる6。このことは、G2期の段階での離脱が、分裂が起こる前に起こり得る正常な細胞の応答である可能性を示唆している。それとも、倍加したゲノムを持つヒト細胞は、リセットされて分裂の前にDNA複製をもう1回行い、ゲノム重複の問題を悪化させてしまうのだろうか? ヒト細胞では、これと似たような状況が以前に示唆されている7。
転移した乳がんの治療において、細胞周期進行に重要な役割を果たす酵素CDK4とCDK6(CDK4/6)を標的とする薬物が成功を収めたことで、細胞周期を制御する機能を持つタンパク質の阻害薬が改めて関心を集めている8。細胞増殖の分子機構の解明は、この種の薬物を臨床で使用したときの結果を予測する上で極めて重要だ。
細胞周期進行を担うCDK4/6の作用は、細胞周期の不可逆的スイッチが入る前の段階に限られていると考えられていた。しかし、今回の結果や、2023年6月に別のグループがCellに報告した知見9から、CDK4/6は細胞周期全体を通じてサイクリンA2の発現を促進するために必要であることが明らかになった。Cellの論文9は、CDK4/6の持続的な活性はサイクリンA2の発現を高いレベルで維持し、細胞周期進行を制御する別の酵素CDK2の阻害で生じる細胞周期の停止を克服できることを示している。
Cornwellらによる今回の研究は、約50年前に初めて報告2された制限点という細胞現象を駆動する分子機構の解明が、ハイスループットな単一細胞タイムラプスイメージングによって可能になることを改めて証明している。この種の実験は常に、我々の理解が欠けている重要な点を明らかにし、細胞の亜集団を同定する能力によって、これまで認識されていなかった分子機構への洞察がいかにして得られるかを実証している。
翻訳:藤山与一
Nature ダイジェスト Vol. 20 No. 10
DOI: 10.1038/ndigest.2023.231040
原文
A lack of commitment to proliferation- Nature (2023-07-05) | DOI: 10.1038/d41586-023-02136-0
- Alexis R. Barr
- インペリアルカレッジ・ロンドン臨床科学研究所および MRCロンドン医科学研究所(英国)に所属。
参考文献
- Zetterberg, A. & Larsson, O. Proc. Natl Acad. Sci. USA 82,5365–5369 (1985).
- Pardee, A. B. Proc. Natl Acad. Sci. USA 71, 1286–1290 (1974).
- Cornwell, J. A. et al. Nature 619, 363–370 (2023).
- Bielski, C. M. et al. Nature Genet. 50, 1189–1195 (2018).
- Davoli, T. & de Lange, T. Annu. Rev. Cell Dev. Biol. 27, 585–610 (2011).
- Otsuki, L. & Brand, A. H. Dev. Cell 49, 293–300 (2019).
- Zeng, J., Hills, S. A., Ozono, E. & Diffley, J. F. X. Cell 186, 528–542 (2023).
- O’Leary, B., Finn, R. S. & Turner, N. C. Nature Rev. Clin.Oncol. 13, 417–430 (2016).
- Arora, M. et al. Cell 186, 2628–2643 (2023).
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