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人体の参照マップ

ヒトの組織や器官が適切に機能するには、人体を構成する数兆個の細胞が正確なパターンで配置されなければならない。ヒト生体分子アトラスプログラム(HuBMAP)1の目的は、ヒトの体ではどの組織にどのタイプの細胞が存在しているのかを明らかにし、さらに、いくつかの器官について細胞構成のマップを作製するために、研究者が必要としている技術を開発し、情報資源を作り出すことだ。こうしてHuBMAPは、健康と疾患におけるヒト組織構成の複雑さをさらに詳しく研究するためのツールを提供できる。このほど、HuBMAPにとって重要なステップとなる研究成果が、3つの研究チームによってNature 2023年7月20日号に報告された。ヒトの胎盤2(595ページ)、腸3(572ページ)、腎臓4(585ページ)の細胞の参照アトラスである。

各細胞の遺伝子発現プロファイルは、単一細胞トランスクリプトミクスという方法を用いて、単一細胞あるいは単一核において全てのRNA転写産物を特定すれば明らかになる。そのため、これらの方法から、対象の組織を構成する細胞タイプという「部品リスト」が得られる。また、新しい空間解析手法を用いて、これらの「部品」を組織の状況に組み入れることで、組織の細胞レベルでのマップが作製される。組織内での分子を測定する空間解析手法は、塩基配列解読に基づく手法と画像化に基づく手法に大きく分けられる。

最もよく用いられている塩基配列解読に基づく空間解析手法の1つは、空間トランスクリプトミクスである。この手法では、位置情報が得られるよう特別な準備を施した顕微鏡用スライド上に対象組織の組織切片をのせる。各細胞のRNAは、スライド上の位置(各位置はボクセル〔voxel〕として知られ、およそ5~40個の細胞に相当する)に固有の分子バーコードを含んだヌクレオチドの短い相補配列に結合する5。この技術のより新しい世代では、細胞内レベルの分解能が可能で、細胞内の既知の位置情報を持つ分子バーコードビーズが使われている6。どちらの場合も、RNA塩基配列解読は組織切片外で行われ、各RNA塩基配列に付加されたバーコードを用いて、空間情報が再構築される。対応する単一細胞トランスクリプトミクスデータ(どのタイプの細胞がどの遺伝子を発現するかについての情報であるが、位置情報は含んでいない)と統合することで、各ボクセル内のそれぞれのタイプの細胞のおおよその割合を測定できる。

図1 3つの方法で作成された単一細胞アトラス
HuBMAPは、ヒトの胎盤2、腸3、腎臓4を構成する全てのタイプの細胞をマッピングした。
a Averbukh、Soon、Greenbaumら2は、MIBIと呼ばれる技術を用いて、胎盤(と胎盤周囲の母体組織)をマッピングした。胎盤の組織切片を顕微鏡用スライド上に置き、抗体(各抗体は異なる種類の金属同位体に結合している)パネルと反応させ、このスライドをイオンビームで走査すると金属同位体からイオンが放出される。放出されたイオンを質量分析計で検出し、コンピューター解析することで、各細胞で産生されたタンパク質の相対レベルが明らかになる。彼女らは、この情報を使って組織において各時点での細胞タイプを特定し、細胞アトラスを作成した。
b Hickey、Becker、Nevinsら3は、CODEXと呼ばれる関連技術を用いて、腸の細胞構成の空間マッピングを行った。この技術では、各抗体は異なるヌクレオチド配列と結合している。彼らは、蛍光分子を連結するヌクレオチドが、抗体に結合している相補的なヌクレオチド配列に結合すると蛍光を発することを利用し、蛍光顕微鏡法により細胞アトラスを作成した。 c Lake、Kalhor、Menon、Winfree、Hu、Ferreiraら4は、空間トランスクリプトミクスを用いて、腎臓の細胞の構成をマッピングした。顕微鏡用スライドは、小さな領域がヌクレオチドによる空間バーコードを含むように施されており、各細胞内のメッセンジャーRNA(mRNA)それぞれが1つの空間バーコードに結合する。こうしたRNAは相補的DNA(cDNA)に変換、増幅され、塩基配列が解読される。その後、彼らは、バーコードを用いてスライドの各領域のmRNA発現プロファイルを決定し、細胞アトラスを作成した。

画像化に基づく空間解析手法では、タンパク質(あるいは転写産物)の相対レベルを単一細胞レベルで定量化できる。並行してタンパク質を画像化するために、重金属同位体(MIBIと呼ばれる技術)7あるいはDNAバーコード(CODEX)8のいずれかでタグ付けされた抗体を用いて、一連のタンパク質を検出する。金属同位体は、ある種の質量分析計が組織を走査することで画像化できる。DNAバーコードは、蛍光によりタグ付けされたプローブと呼ばれる相補的な分子と相互作用すると、蛍光顕微鏡で検出できる(図1)。これらの方法により、各細胞が発現するタンパク質を正確に定量化できるだけでなく、組織構造を支える隣接細胞(特定の細胞の周囲に存在する細胞群)も明らかにできる。しかし、研究対象とする一連のタンパク質を事前に決めておく必要があり、通常、並行して調べられるタンパク質は数十個のみである。

まず、595ページでは、スタンフォード大学(米国カリフォルニア州)のInna AverbukhとErin Soon、および同大学とヘブライ大学ハダッサ医療センター(イスラエル・エルサレム)のShirley Greenbaumら2が、MIBIを用いて、ヒト胎盤、特に胎児の胎盤と母体の子宮壁の界面について細胞レベルのマップを得たことを報告している。彼女らは、妊娠を中断した66人の胎盤切片を用いて、胎盤細胞が子宮壁に侵入している部位を中心に調べた。胎盤の子宮壁への侵入は、母体動脈をリモデリングすることで、精巧な胎盤を損なうことなく、母体の細胞と胎児の細胞が相互作用する領域に血液を送達する重要な事象である。Averbukh、Soon、およびGreenbaumらは、MIBIを用いることで、さまざまな発生段階で複数の試料をプロファイリングし、胎盤細胞と免疫細胞の間の相互作用を単一細胞分解能で明らかにできた。

このマップの解析から、母体の免疫細胞が、この界面の動脈および動脈周囲の領域で免疫寛容な環境(ニッチ)を促進する仕組みが明らかになり、これによって遺伝的に異なる母体の子宮細胞と胎児の胎盤細胞が平和的に共存できるようになることが分かった。Averbukh、Soon、およびGreenbaumらの発見は、最近の胎盤の空間トランスクリプトミクス9と組み合わせることで、胎児の発生を維持する母体の血管の変換についての理解を深めている。

572ページに報告されているのは、スタンフォード大学医学系大学院(米国カリフォルニア州)のJohn W. Hickey、Winston R. Becker、およびStephanie A. Nevinsら3による、腸を対象とした研究だ。腸は複雑な器官で、その位置に応じて構造と機能が大きく異なる。彼らは、9人から提供された腸試料の腸全体から8つの部位を選び、CODEXと単一核トランスクリプトミクスを用いて細胞マップを作製した。その結果、部位間の細胞の組成と組織化に劇的な変化があることが分かった。これまで知られていなかった上皮細胞(腸の内腔側を構成する細胞)のサブタイプが見つかり、また同一の細胞タイプが異なる隣接細胞領域や細胞コミュニティーに組織化されていることが示された。さらに、必要に応じて免疫細胞を容易に活性化できる、免疫細胞が豊富な細胞区域も明らかになった。以上、これらの知見から、腸の特殊化した解剖学的領域は高度に構造化された空間ニッチによって支えられており、それぞれが独自の機能を持っていることが明らかになった。このような考察は空間解析手法を用いてのみ得られるだろう。

最後に、カリフォルニア大学サンディエゴ校(米国ラホーヤ)のBlue B. LakeとKian Kalho、ミシガン大学(米国アナーバー)のRajasree Menon、ネブラスカ大学医療センター(米国オマハ)のSeth Winfree、ハーバード大学医学系大学院(米国マサチューセッツ州ボストン)のQiwen Hu、およびインディアナ大学医学系大学院(米国インディアナポリス)の Ricardo Melo Ferreiraら4が、健康な腎臓試料45サンプルと疾患状態の腎臓試料48サンプルを調べ、585ページに報告している。彼らは、急性腎損傷あるいは慢性腎疾患に見られる、腎臓損傷後の尿細管形成を妨げる可能性のある組織修復の不適応状態など、これまで特定されていなかった状態を示す細胞の位置を明らかにした。空間マッピングから、不適応状態の細胞、他の繊維性細胞(瘢痕〔はんこん〕組織細胞)、炎症性細胞の間で細胞–細胞間コミュニケーションがあることが明らかになった。また、腎不全への進行の基盤となる可能性がある、細胞の老化と呼ばれる休眠状態に関連するトランスクリプトームシグネチャーも明らかになった。

後者2つの研究チームはいずれも、空間アトラスを単一細胞「オープンクロマチン」アッセイで補完している。これは単一細胞における活性な転写因子についての情報である。両研究チームは、さまざまな手法を組み合わせ、異なる組織ニッチにおいて細胞アイデンティティーを仲介する転写因子を明らかにすることができた。これらの研究は、こうしたタイプのアッセイを空間解析に組み合わせることで、状況に応じて細胞アイデンティティーの明確な像がどのように得られるかを示す強力な例である。

これら3つの論文を総合すると、空間解析手法によって、前例のない分解能で組織や器官を解析できるようになり、細胞アトラスを作成する標準化された方法が提供されることが示されている。HuBMAPによる今回の3つの細胞アトラスにより、疾患に結び付けられる細胞状態の空間的位置を定められたり、ゲノム規模関連解析(特定の遺伝的バリアントを疾患に結び付けることはできるが、バリアントが影響を及ぼす可能性がある細胞タイプを示す空間状況は分からない)を空間的状況へ関連付けられたりして、疾患の理解が進む可能性もある。今回の研究は、HuBMAPコンソーシアムが他のジャーナルにも発表したいくつかの論文(go.nature.com/3rxansc参照)と共に、さまざまな組織における空間アトラスの作成を促すと期待される。

これらの研究は、今後も継続的に、空間解析技術を前進させる必要性を浮き彫りにしている。細胞内レベルの分解能で細胞を研究する能力を高め、組織切片上の二次元で行われる研究から真の三次元再構成に移行し始めるには、単一組織切片で行えるアッセイの数を増やさなければならない。解析する試料の数も増やす必要があり、それによって、空間構成を、ボディーマス指数(BMI)や疾患のステージなど、他の情報と相関させられる。このような相関は、体の特定の場所で疾患が進行する仕組みを知る手掛かりになる可能性がある。

空間解析技術の幅と深さを増すことにより、最終的には健康と疾患において細胞の構成と機能の間に強固な関連性が確立されるだろう。今回の研究は、この目的に大きく貢献しているのだ。

翻訳:三谷祐貴子

Nature ダイジェスト Vol. 20 No. 10

DOI: 10.1038/ndigest.2023.231042

原文

Cell-level reference maps for the human body take shape
  • Nature (2023-07-20) | DOI: 10.1038/d41586-023-01817-0
  • Roser Vento-Tormo & Roser Vilarrasa-Blasi
  • 共にウェルカム・サンガー研究所(英国ヒンクストン)に所属。

参考文献

  1. HuBMAP Consortium. Nature 574, 187–192 (2019).
  2. Greenbaum, S. et al. Nature 619, 595–605 (2023).
  3. Hickey, J. W. et al. Nature 619, 572–584 (2023).
  4. Lake, B. B. et al. Nature 619, 585–594 (2023).
  5. Ståhl, P. L. et al. Science 353, 78–82 (2016).
  6. Rodriques, S. G. et al. Science 363, 1463–1467 (2019).
  7. Angelo, M. et al. Nature Med. 20, 436–442 (2014).
  8. Goltsev, Y. et al. Cell 174, 968–981 (2018).
  9. Arutyunyan, A. et al. Nature 616, 143–151 (2023).