エジプトとリビアにおける文化遺産の再興に向けて
2011年11月末、カイロ(エジプト)の街路は再び火に包まれ、ターリル広場は抗議行動の参加者であふれた。「アラブの春」が花開くにはまだ長い月日が必要であろう。不確実性は革命の特徴の1つであり、リビアでの勝利を手にした人々も今後そのことを思い知らされるはずだ。このような状況下では、考古学への関心が低いのは仕方ない。
それでも、エジプトとリビアには豊かな考古学的遺産があり、それが国家の再建に役立つ可能性があることを忘れるべきではない。両国の文化的遺跡は規模が大きく、「野外博物館」とも言えるものだ。エジプトの遺跡は、約3000年前の安定した古代文明を垣間見せてくれる。一方、リビアの考古学的遺産は、複数の文化が混ざり合った独特なもので、西部に古代カルタゴとローマ文化、東部にギリシャとエジプト文化、南部にベルベル文化の各遺跡が分布している。さらに、両国にまたがる砂漠には、世界で最大最古の先史時代の岩絵群、サハラ文明の手がかり、そしてアフリカとヨーロッパ間の人類移動の痕跡がある(http://dx.doi.org/10.1038/news.2011.132)。
現在、国内外の考古学者はこうした遺跡での研究活動に復帰できていない。それに不満を感じていながら、考古学や文化遺産への注目を高めることに消極的なのは問題だ。両国での革命は、従来の制度や実務のあり方を変革する絶好のチャンスである。確かに、エジプトとリビアでの考古学の復興は一朝一夕に実現するものではないが、そのための準備を始めるのに早すぎることはない。いずれ治安が安定し、外国の研究者がエジプトとリビアに戻ってくる頃には、国内外の研究者による共同研究を再開しなければならないからだ。
エジプトでは、暴動が急増する前から研究者にとって不安定な状況が生じていた。現在の課題は、それまで相当程度にうまく機能していた考古学当局の活動を再開させることだ。観光客の数は、今後数年以内に元に戻る見込みはなく、エジプト考古学の資金源枯渇状態は続く。しかし、基盤は強固であり、長期的見通しについて悲観すべき理由はほとんどない。
これに対して、リビアの考古学関連のインフラは、文化遺産の規模や多様性に見合っているとは到底言えない(http://dx.doi.org/10.1038/nature.2011.9396)。カダフィ政権は、考古学を植民地主義の名残とみていたが、その42年にわたる支配が終わって、リビアの研究者は、根本的な転換がもたらされることを期待している。
国民の支持と政治的支援を得るには、学校をはじめとして、遺跡の周辺で居住し、あるいは働いている人々、政界、産業界の関係者など、国民各層に対して、リビアの文化遺産の重要性を教育する必要がある。それと、国内の考古学を改革、発展させ、若手の考古学研究者を海外に送って最新技術を研修させる必要がある。
それが実現するまでの間は、国外の研究者による助力が不可欠だ。リビアの文化遺産は、当面、住宅建設やインフラ整備や石油産業の再建ブームなどから脅威にさらされる。外国人研究者は、これらに対抗する重要な役割を担うべきである。リビアにとっての喫緊の課題は、全国調査を行って、すべての遺跡の地図を作成し、その収蔵品をデータベース化し、特に遺跡の集中する地域は国立公園化して保護することだ。これまでリビアの考古学当局は、そうしたことをまったく行っていない。かつてNATOは、リビアの最重要遺跡を空爆しないためにGPS座標リストの提出を要請したが、リビアにはそのようなリストは存在せず、世界中の研究者が力を合わせて、大まかなマップを作成したことがあった。
リビアの革命は、NATO、特にフランス、英国、米国の外交的勝利である。研究者がリビアでの文化管理のために賢明な提案をすれば、カダフィ政権の転覆に助力した世界の政治家から政治的支援を受けられるかもしれない。また、リビア国内で操業する石油会社も、各種プロジェクトに資金を提供し、遺跡の保全に寄与すべきである。
リビアとエジプトの新しいリーダーは、流動状態の国家を引き継いだわけだが、国民とともに共通の目標を策定する必要がある。文化遺産の保護・発展にプライドを持つことも、そのための小さな一歩となるにちがいない。
翻訳:菊川 要
Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 2
DOI: 10.1038/ndigest.2012.120233