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「質感」の認知能力に迫る

同じ形、色のものを見ても、素材が異なれば質感も違ってくる。この違いを生んでいるものは何なのか。実は、反射・干渉など物質と光の相互作用だけでなく、光を受け取る網膜や脳内の情報処理系、さらに心理状態や文化なども関係していると考えられる。質感の研究は米国、ドイツなどが先行していたが、日本でも昨年から本格的な研究が始まった。工学、心理物理学、脳神経科学の学際的な取り組みを進める文部科学省の新学術領域研究「質感脳情報学」がそれだ。

この分野を牽引する1人が、視覚科学技術を専門とする豊橋技術科学大学の中内茂樹教授。質感研究の重要性について、「コンピューター・グラフィックス(CG)などで本物を忠実に再現しようとする際の重要な知見を与えてくれるはずです。またこの研究は、リアリティーとは何か、豊かさや憩いなどを現実世界に与えてくれる質感とはそもそも何なのか、といった根源的な問題にかかわっています。衣食住のあらゆる側面で生かされる可能性があるのです」と強調する。

研究は大きく3つのテーマに分けられる。①質感を工学的に定量化し、それを再現する技術の開発、②質感認知のための感覚情報の特徴とその処理法の解明、③質感認知の脳情報処理の仕組みの解明。

中内教授は、②のテーマの1つとして「質感認知における環境・学習依存性の解明」という研究を担う。ものづくりの現場で、製品の良し悪しを瞬時に見分けるエキスパートの質感識別能力がどこから来ているのか、実験で確認しようというのだ。製品の最終チェックは、産業用ロボットが普及しても、大半は人の目に頼らざるを得ないのが現実。これはまた、人間の本質に迫る研究でもある。

中内教授が注目するのは、真珠を鑑定する熟練者だ。真珠の大きさ、形状、キズの有無に加え、質感に関係する色調、表面の光沢、「巻き」(干渉色)を瞬時に識別していく。しかもばらつきが少ない。

真珠質感と観察環境
上:暗室、点光源、黒背景の場合
下:室内、北窓光、白背景の場合
中央はAランク、左はCランク、右はジルコニアでできたボールベア リング

鑑定士の実験の前に、真珠の構造と質感の光学的な関係解明に取り組んだ。真珠は、アコヤガイの中に入れた核(貝の一部など)の周りに、有機物でくっついた炭酸カルシウムの結晶が重なってできた多層構造をしている。各層の厚さは0.3~0.4µmである。この真珠層の色調は、含有する有機質、たんぱく質などによってピンク、ホワイト、クリーム色になる。一方、光沢は、表面の滑らかさだけでなく、整然と並ぶ真珠層と厚さが関係する。また「巻き」は、真珠層の多層構造による光の干渉などで、薄い層なら青緑色、厚い層なら赤色などが発現する。

鑑定士によってランク付けされた真珠に対し、透過光、反射光のスペクトル、輝度、色分布などを解析することで、質感にかかわる感覚情報と品質との相関が次第にわかってきた。

「鑑定士は、これらの質感情報を瞬時に見分けます。ただ、この見極めも観察する環境によって異なり、例えば、暗室の、点光源で、黒背景だと真珠の質感はわかりません」と言う。興味深いことに、目視評価の最適な環境は、北窓の自然光の下で、しかも9時から15時までの時間帯なのだ。真珠のハイライト(最も明るいところ)、光沢、干渉色などの映り込みが生じ、判定に都合が良いという。

「この条件が何を意味するのか、まだわからないことは多いのです。まずは環境依存性を解明したい」と意気込む。

もう1つの焦点は、例えば高校生でも学習すれば、鑑定士のような質感を見分けられるのか、という問題だ。熟練者と非熟練者の認知にどんな違いがあるのか。その解明のため中内教授が開発したのが実験室を搭載した車「モバイル・ラボ」。①真珠の品質をどの程度正確に見分けているのか、②観察環境は質感にどう影響するのか、③実物でなければできないのか、写真ではどこが難しいのか、④物体の動きは質感に影響するのか、といった課題を真珠養殖・加工の現場に行って調べる計画を温めている。

「これまで、感性と括られていた分野に科学のメスが入ることに意味があるのです。本物に限りなく近い質感を持った人工製品の開発にも役立つでしょう。さらに、天然のものを好む人間の感覚、心理の深層に触れることになるかもしれません」と話している。

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 6

DOI: 10.1038/ndigest.2011.110605