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「問題がある」論文が撤回されない理由

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 11 | doi : 10.1038/ndigest.2011.111116

原文:Nature (2011-08-18) | doi: 10.1038/476263a | 'Flawed' infant death papers not retracted

Jo Marchant

10年前、遺族の承諾を得ない病理解剖が英国で問題になり、政府の調査報告書は「問題あり」との結論を出した。しかし、それに関連した論文は、今なお取り下げられていない。

2001年1月に英国で公表された調査報告書は、数百人の子どもの遺体の一部を親の承諾なしに摘出して研究材料にした論文10本に対して、「根本的に問題あり」という結論を下した。それから10年以上が経過したが、Natureが調べたかぎり、これらの論文のうち、きちんと削除されたものは1つしかない。正否は明快と思われる事例にもかかわらず何らの対応も見られないのは、論文の著者が事態を静観している状態では、研究機関や学術誌の編集部がそれを削除するのは容易ではないことを示している。

英国政府や警察、医療審議会(GMC)による一連の調査で、英国内の病理学者たちは、1990年代末まで、慣例的に、小児の遺体から臓器などの検体を親の承諾を得ずに摘出してきたことが明らかになった。この事実は英国全土にショックと不信感をもたらし、ヒト組織の取り扱いに関する法律の全面的な見直しにつながった。

スキャンダルの舞台は、リバプールにあるアルダー・ヘイ小児病院だった。政府の委託で弁護士Michael Redfernが議長を務めて作成された報告書では、オランダ人病理学者Dick van Velzenが、日常的に、同小児病院で検死した小児の遺体からさまざまな臓器や組織を摘出し、それらを研究用に保存していたという結論が下された。しかも、van Velzenは適切な検死解剖をしなかったケースが多く、解剖診断書は、不完全であったり完全なねつ造であったりした。

van Velzenは、これらの組織標本を研究材料にして、自身が籍を置くリバプール大学の研究者とともに数本の論文を発表した。その大部分は、乳幼児突然死症候群(SIDS)の原因究明のため、SIDSで死亡した乳幼児とほかの原因で死んだ乳幼児とを比較分析したものだ。

「Redfern報告書」によれば、van Velzenの死体解剖はずさんなもので、実際に死亡した乳幼児が、SIDS死亡群と対照群のどちらに入っていたのかを確定できなかったとしている。ほかの問題とも照らし合わせ、同報告書では、学術誌の査読を受けた10本の論文1–10について「根本的に問題あり」という結論に達した。GMCはその後、van Velzenがこの件で重大な職権乱用を犯したとして、彼の英国での医療行為を禁止した。しかし、van Velzenの論文の共著者に対しては、いかなる措置も取られなかった。なお、Natureはvan Velzenとは接触できていない。

2009年、アルスター大学の神経科学者Christian Holscherは、これらの論文がその後どうなったかを知りたいと考えた。アルダー・ヘイ小児病院のvan Velzenのかつての同僚で、10本の論文すべての共著者でもあるVyvyan Howardが、その時までHolscherと同じ部門で働いていたからだ。Holscherは調べて驚いた。どの論文も取り下げられていないのだ。「これらの論文が今なお一般公開されているのはよくありません。背景を知らない人は、これらが適正な結果を出した科学研究だと思ってしまうからです」。

Holscherは、いくつかの学術誌の編集長に、これらの論文が撤回されずにいる理由を問いただした。Pediatric PulmonologyのVictor Chernickは、その後まもなく該当論文3を撤回した。しかし、今までのところ、10本の論文のうち取り下げられたのはこの1本だけである。Early Human DevelopmentのElia Maaloufも該当論文5を撤回するつもりだと返信してきたが、まだ実行されていない。Pediatric and Developmental PathologyのMiguel Reyes-Múgicaは、該当論文4を取り下げる必要性は感じていないと答えている。

Reyes-Múgicaはさらに、Natureに対して、「Redfern報告書」の調査結果がどうであれ、論文が無効かどうかを判断するのは自分ではない、と回答した。「編集者の仕事は、司法上の問題にかかわるべきではない」とも付け加えている。

10本の論文のうちの5本は、現在もPubMedで閲覧可能である2,4–7。また3本はアルスター大学のオンライン文献データベース上にも置かれている2,4,5。これらの論文はさほど引用されていないが、発育遅延の胎児では腎臓があまり発達しないことを示した論文7は、PubMedで時おり引用されており、2010年以降でも6回引用されている。

臨床への寄与

Howardによれば、「Redfern報告書」が発表された後、彼と共著者たちは、該当する複数の論文を取り下げるべきかどうか検討したという。そして最終的に、自分たちの研究はいずれも正当性を失っていないと判断したのだそうだ。「我々の研究は、この分野に貢献したと思っています。あの研究結果は、臨床診療にも影響を及ぼしているのです」とHowardは語る。彼の話によると、現在では、生存率を高めるために、発育遅延の胎児はできるだけ早い段階で出産させているという。

彼やほかの共著者は、報告書を作ったRedfernたちが自分たちの研究について誤解していると主張する。Howardと、批判されている論文のうち7本の共著者であり、現在ノースウィック・パーク医学研究所(英国ハロー)の手術部長を務めるPaul Sibbonsは、「数本の論文は、SIDS症例とSIDSでない症例の比較に頼ったものではないので、適正な診断がされなくても研究の結論には影響しないでしょう」と言っている。さらにSibbonsは、たとえ両者の比較に基づいた研究であっても、自分の組織標本分析で出された診断は、研究として十分なものだったと付け加えた。さらに彼は、「Redfern報告書」に書かれた「あまりに多くの誤り」という表現を見て、「あきれてしまいました」と言っている。そして、自分の研究は「問題あり」という分類に入れられるべきでなかったと付け加えた。

一方のRedfernは、「私の出した調査結果は、11年間、揺るぎない事実のままです」と語り、批判された論文を取り下げない著者たちの判断については、コメントを控えた。「それは彼らの選択ですから。結論を出すべきなのは、あなたたち(Natureおよび科学論文誌)だと思いますよ」。

Holscherは、「Redfern報告書は細かくて正確です」と評している。そのうえで、リバプール大学はこれらの論文撤回を著者任せにせず、学術誌に対して撤回を要請すべきだ、と主張する。「学術誌の編集者は、論文が無効となった場合、それをどう扱うべきか何のアイデアも持っていないことが多いのです。大学の責務はそれを編集部に言うことであって、著者の利益のために動くことではありません」。

リバプール大学の広報担当者は声明で、同校には厳然とした指針と研究の完全性に関する基準があると述べている。「Redfern報告書の発表を受けて、我が校は調査対象となった標本に基づく研究成果を、それ以上発表できないようにしました」。広報担当者はさらに、同校の研究管理委員会が現在、撤回されなかった論文について検討しているところだとも語った。「不適切とされた場合、これらの論文の撤回を要請することになります」。

アルスター大学のオンラインデータベース上に現在ある3つの論文は、「スタッフの一員によって正規の形で公表された論文です」と、同校の研究/技術革新担当部門の副責任者Norman Blackは言う。「アルダー・ヘイの調査によって当大学が論文撤回の要請もしくは勧告を受けた覚えはありません」と彼は話す。

てんでんばらばらな対応

米国の科学ジャーナリストで「Retraction Watch(論文撤回ウォッチ)」というブログを運営しているIvan Oranskyは、著者かその所属機関のどちらかに論文撤回をゆだねるという考え方に疑問を抱いており、どちらも撤回に消極的になりがちだと指摘する。彼は例としてハーバード大学(米国マサチューセッツ州ケンブリッジ)の心理学者Marc Hauserの件を引き合いに出した。大学の内部調査が行われ、Hauserは先月辞任したが、その調査結果は公開されていない。ハーバード大学によると、Hauserは3本の論文に関連して科学的な不正行為を8つ犯したという(Nature 466, 908–909; 2010を参照)。「その論文のうち1本だけが撤回されました。ハーバードはこの調査に3年かけましたが、その結果はまだ公開されていません」とOranskyは言う。

論文著者や研究機関に任せるのではなく、学術誌の編集部がもっと積極的な役割を果たすべきだと、彼は主張する。「編集者は自分たちが出版したものに対して、確固たる姿勢を見せるべきです」と言う。彼は各誌編集部の姿勢が「てんでんばらばら」だと不満を訴えているが、建設的な例として、Anesthesia & Analgesiaの編集長Steven Shaferの名を挙げた。Shaferは、ドイツの麻酔専門医Joachim Boldtが倫理的に適切な承諾を得ずに行った研究の論文を掲載したことがわかった後、影響を受けた11誌の編集長を束ねて動いたのである。各誌が協力し合い、やがてBoldtの論文のうち約90本を撤回した。

自身も学術誌Comparative Clinical Pathologyの編集長であるSibbonsは、こうした場合に論文を取り下げるべきかどうかを編集者が適切に判断するには、過去にさかのぼった査読プロセスが必要となり、これはコストに見合いそうにないと話す。彼の主張によれば、研究の正当性をチェックする仕組みの1つは追跡実験だという。「普通は、実験をなぞって再現することで、おかしな点が明らかになります。論文を撤回すると、それができなくなります」と彼は話す。

しかしOranskyは、学術誌編集者からなる「論文発表の倫理に関する委員会(Committee on Publication Ethics)」が公開している指針によれば、調査で問題があるとわかった論文の撤回は、掲載誌の編集長の権限に含まれていると指摘する。

著者が撤回に同意しないときは、編集長が著者に反証を求め、それを撤回公告(retraction notice)の一部として印刷したらどうかとOranskyは提案する。完全に撤回されない場合は、ほかの人々に注意を呼びかける「警告ラベル」を付けるのもいいだろうと彼は言う。狙いは、透明性を高めること、そして、科学を結果でなく過程としてとらえることだと言っている。

(翻訳:船田晶子)

参考文献

  1. Ansari, T. et al. Eur. J. Morphol. 33, 294–298 (1995).
  2. Beech, D. J., Howard, C. V., Reed, M. G., Sibbons, P. D. & van Velzen, D. J. Microsc. 197, 36–45 (2000).
  3. Beech, D. J., Sibbons, P. D, Howard, C. V. & van Velzen, D. Pediatr. Pulmonol. 31, 339–343 (2001).
  4. Beech, D. J., Sibbons, P. D., Howard, C. V. & van Velzen, D. Pediatr. Dev. Pathol. 3, 450–454 (2000).
  5. Beech, D. J., Sibbons, P. D., Howard, C. V. & van Velzen, D. Early Hum. Dev. 59, 193–200 (2000).
  6. Hinchliffe, S. A. et al. Pediatr. Pathol. 13, 333–343 (1993).
  7. Hinchliffe, S. A., Lynch, M. R., Sargent, P. H., Howard, C. V. & van Velzen, D. Br. J. Obstet. Gynaecol. 99, 296–301 (1992).
  8. Howard, C. V. et al. Zool. Studies 34, 109–110 (1995).
  9. Ricketts, S. A. et al. J. Cell. Pathol. 3, 17–26 (1998).
  10. Sibbons, P. D., Ricketts, S. A. & van Velzen, D. J. Cell. Pathol. 1, 153–160 (1996).

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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