リチウム欠乏がアルツハイマー病の一因か?
アルツハイマー病の脳の神経細胞のイメージ図
アルツハイマー病の脳の大きな特徴は、アミロイド斑(オレンジ色)と呼ばれる沈着物が細胞外に蓄積していることだ。脳にはミクログリア(赤色)と呼ばれる細胞があり、アミロイド斑のような異物を除去する免疫システムで役割を果たしているが、アルツハイマー病ではその機能が低下している。 Credit: Selvanegra/iStock/Getty
アルツハイマー病は認知症の60~80%を占め1、患者から記憶力、認知機能、自立性を奪う。認知症の発症前には10年に及ぶ軽度認知障害の期間が存在し、65歳以上の約10%に影響が認められる1。治療法は確立されていないものの、脳内に蓄積している特徴的なアミロイドタンパク質沈着物を除去して進行を遅らせる、2種類の抗体療法が承認されている。しかし、その治療効果は限定的で、脳の萎縮の悪化など深刻な脳障害の副作用があり2、代替の治療法の確立が急務となっている。このほど、脳内のリチウム欠乏がアルツハイマー病の一因である可能性があり、新しい治療標的となり得ることが、ハーバード大学医学系大学院(米国マサチューセッツ州ボストン)のLiviu Aronら3によって、Nature 2025年9月18日号712ページに発表された。
アルツハイマー病の影響を受ける大脳皮質領域において、金属イオン濃度の調節異常が示されている報告は多い4。Aronらはこの点に着目し、認知機能に問題のない高齢者と、アルツハイマー病または軽度認知障害の患者の脳内において、27種類の金属イオンの濃度を比較した。アルツハイマー病患者では、亜鉛(健康な脳に豊富に存在している)の増加と銅の減少が見られたが、これは過去の知見4とも一致する。一方、アルツハイマー病と軽度認知障害の両群において、血清中濃度と比較して脳内濃度が有意に低下していたのが、リチウムだ。このような金属はリチウムのみであった。
Aronらは、大脳皮質の選択した領域の無傷組織に対して質量分析を可能にする技術を用い、アルツハイマー病患者の脳ではリチウムが、アミロイド沈着部に周辺領域と比較して高濃度で含まれていることを発見した(図1a)。アミロイド沈着部の周辺領域では、リチウム濃度はアミロイド陰性の健常対照組織の対応領域よりも低かった。アミロイドを過剰発現するアルツハイマー病遺伝子改変マウス(ADマウス)モデルでも、同様の結果が確認され、アミロイドが周囲の組織からリチウムを引き寄せて隔離していることが裏付けられた。
図1 アルツハイマー病におけるリチウム欠乏
a アルツハイマー病では、異常なアミロイドβペプチドの細胞外凝集体が脳内に形成される。Aronら3は、負に帯電したアミロイド斑がリチウム陽イオン(Li+)を捕捉し、隣接した組織からリチウムを奪うことを発見した。そのために脳細胞でリチウムが欠乏して細胞が正常に機能しなくなり、神経変性と認知機能低下に影響を及ぼす。
b 脳内のリチウムを補充するため、Aronらは、イオン化しにくい、つまりアミロイド斑に捕捉されにくいリチウム塩として、オロト酸リチウムを特定した。オロト酸リチウムによる治療は、おそらくアミロイドβを除去するミクログリア(脳の免疫細胞)の能力を回復させることで、アミロイド斑の蓄積の進行を防止し、アルツハイマー病マウスおよび正常な加齢マウスにおいて認知機能の低下を防ぐ。
次にADマウスにリチウム欠乏食を与えたところ、アミロイドとリン酸化タウタンパク質(アルツハイマー病の別のマーカー)の過剰な蓄積が見られ、認知機能も悪化した。興味深いことに、リチウム欠乏ADマウスの遺伝子発現プロファイルは、アルツハイマー病患者のものと非常によく似ており、脳の構造維持や電気的シグナル伝達に関わる遺伝子の発現が抑制されていた。さらに、ミクログリア(脳の局所免疫防御を担う細胞)が炎症促進性になって、アミロイド除去能力が損なわれていた。内因性のリチウム欠乏でこうした作用が生じるメカニズムは不明だが、Aronらは外部からのリチウム供給でアルツハイマー病を予防できるかどうかを検証することにした。
オロト酸リチウムは炭酸リチウムよりもAβへの親和性が低いため、捕捉を回避する能力が高い
19世紀から20世紀初頭にかけて、リチウムは健康や気分に対してさまざまな効果があるとされた。1950年代に米国食品医薬品局(FDA)が禁止するまで、清涼飲料水「セブンアップ」には、主要成分として多くのリチウムが含まれていた。現在、リチウムは双極性障害(世界人口の約0.5%が罹患)の第一選択治療薬として最もよく知られている(go.nature.com/4itq2参照)。最初に成功したリチウムの臨床試験は、精神科医John Cadeによって発表され5,6、1970年までにFDAは気分安定剤として炭酸リチウムの使用を承認した。炭酸リチウムの作用機序はいまだ完全には分かっていないが、グリコーゲンシンターゼキナーゼ3βという酵素の阻害が関係していると考えられており7、また、脳皮質下領域の鉄濃度上昇をはじめとする、多くの神経化学的効果を有するといわれる8。
アミロイド沈着によるリチウムの隔離と認知機能障害との関連性が観察されたことから、Aronらはアミロイドへの結合能が低いリチウム塩の探索に着手した。このようなリチウム塩により、アルツハイマー病で欠乏している細胞質リチウムの機能を補える可能性がある。アミロイド沈着は主にアミロイドβ(Aβ)と呼ばれるペプチド断片が凝集して構成されている。凝集したAβペプチドは負に帯電しているため、亜鉛や鉄などのさまざまな陽イオンを引き寄せることができる4。そこでAronらは、イオンを形成する傾向が低いリチウム塩は、アミロイドに隔離される可能性が低いと推測した。
Aronらは、Aβが生理的濃度(低マイクロモル範囲)で飽和するまでリチウム陽イオン(Li+)を捕捉していることを確認した後、16種類のリチウム塩の導電性を調べた。その結果、オロト酸リチウムが最も低い導電性を示した。オロト酸リチウムは炭酸リチウムよりもAβへの親和性が低いため、捕捉を回避する能力が高いと考えられる(図1b)。
続いてADマウスにリチウム塩を投与したところ、オロト酸リチウムが炭酸リチウムよりも、Aβおよびリン酸化タウの蓄積、認知機能障害、炎症促進マーカーの発現を抑制する効果が高いことが分かった。さらにオロト酸リチウムは、単離した老齢マウスのミクログリアのAβ消化能も回復させた。正常な加齢は神経細胞構造の喪失と関連しており、これは学習・記憶能力の低下として表れる。注目すべきは、オロト酸リチウムが野生型マウスにおいて、こうした作用を防止した点である。また、炭酸リチウムは通常、腎臓や甲状腺に毒性を示すが、オロト酸リチウムを投与したマウスではそのような作用は検出されなかった。
リチウムは、血中および脳内に低マイクロモル濃度で自然に存在する。その薬理学的作用は、生理的役割が明確でない金属イオンで見られる、予期できない偶発的なものと見なされてきた。Aronらは、リチウムが実際に所定の生理的役割を持ち、正常な加齢により脳内リチウム濃度の調節が損なわれる可能性について、説得力のある証拠を提示した。この研究は、マイクロモル濃度のリチウムが多様な機能を果たしている可能性を示している。例えば、Li+は銅イオン(Cu+)と同様に、シグナル伝達イオンとして働いている可能性がある。Cu+は数年前に、微量濃度で作用するシグナル伝達イオンとしての役割が報告されている9。
薬理学的観点から見れば、今回の発見により、リチウム製剤の種類が治療標的を決定する上で重要であると考えられる。数十年にわたり双極性障害治療の主力となってきたのは炭酸リチウムだった。オロト酸リチウムやその他のリチウム塩はまだ検討段階であり、神経精神疾患に対する治療効果の評価を待っている状況である10。今回のデータは、アルツハイマー病治療への示唆に加え、双極性障害の高齢患者に対する治療法として、さまざまなリチウム塩の再評価を促すものである。加齢に伴うアミロイドの異常蓄積は珍しい現象ではなく、認知症の発症より15年以上先行して認められる11。アミロイドによるリチウムの捕捉は、双極性障害の高齢患者で気分安定効果が得られにくい理由を説明し得る12。また、双極性障害の高齢患者には、炭酸リチウムよりもオロト酸リチウムによる治療が有効である可能性が示唆される。
Aronらによるこれらの知見は、アルツハイマー病の根本原因を探る新たな方向性を示し、未開拓の治療パラダイムを提示している。細胞質リチウムの作用機序の解明には今後の研究が必要だが、この研究はアルツハイマー病患者および双極性障害の高齢患者でのオロト酸リチウムの臨床試験を促進する可能性がある。
現在、アルツハイマー病の前臨床研究ではリチウム塩として炭酸リチウムと塩化リチウムが主に使用されているが13、臨床試験ではあいまいな結果しか得られていない14。オロト酸リチウムを使った臨床試験により、リチウムが実際にアルツハイマー病に対する疾患修飾薬になるかどうかが明らかになるだろう。今回の研究で使われたオロト酸リチウムの治療用量は、現在炭酸リチウムで使われている臨床用量よりも低い可能性がある。炭酸リチウムでは、有害な副作用を起こさないようにすると得られる治療効果の範囲が著しく狭くなることが知られている。従って、オロト酸リチウムの適用は炭酸リチウムと比較して、治療の安全性を向上させるだろう。
翻訳:藤山与一
Nature ダイジェスト Vol. 22 No. 12
DOI: 10.1038/ndigest.2025.251240
原文
Does lithium deficiency contribute to Alzheimer’s disease?- Nature (2025-09-18) | DOI: 10.1038/d41586-025-02255-w
- Ashley I. Bush
- メルボルン大学(オーストラリア・ビクトリア州)に所属
参考文献
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