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15年の論争の末に撤回された「ヒ素生命」論文

議論の的となった「ヒ素を利用して生きる微生物」が発見された、米国カリフォルニア州のモノ湖(写真)。この湖はヒ素を豊富に含む。 Credit: Theartist312/iStock/Getty

毒性元素であるヒ素を利用して生きることができる異例の微生物が存在すると主張して議論を呼んだ論文1が、最初の出版から15年近く経過した2025年7月に、Scienceにより撤回された。一部の科学者はこの動きを歓迎しているが、論文の著者らは異議を唱え、自分たちのデータに問題はなく、撤回は不当だと主張している。

Scienceの撤回声明で、編集長のHolden Thorpは、他の研究者がこの論文を批判するコメントを発表した時に同誌が論文を撤回しなかった理由について、当時は基本的に不正行為があった場合にのみ論文を撤回しており、ヒ素生命の論文の著者らには「意図的な詐欺的行為や不正行為はなかった」からだと説明している。しかしその後、Scienceが論文を撤回する基準を拡大し、この論文のように「編集者が、論文で報告された実験がその主要な結論を裏付けていないと判断した場合」には撤回が妥当であると判断するようになったという。

2010年に論文が出版された後、これを批判した主な研究者の1人が、当時ブリティッシュコロンビア大学(カナダ・バンクーバー)に所属していた微生物学者のRosie Redfieldだった。現在は引退している彼女は、「論文が撤回されたのは良いことです」と言う。「あの研究が誤りだったことはほとんど誰もが知っていますが、初めて論文を読む人が混乱しないようにすることは依然として重要だからです」。

一方、論文の共著者の1人であるアリゾナ州立大学(米国テンピ)の地球化学者のAriel Anbarは、論文のデータに誤りはないと主張している。彼は、このデータは複数の解釈が可能だったが、「データの解釈を巡って議論があることを理由に論文を撤回することはありません」と言う。「そんな撤回基準を採用するなら、文献の半分は撤回しなければならないでしょう」。

地球化学者のAriel Anbar。 Credit: Arizona State University

ヒ素と古代湖

「ヒ素生命」の原著論文は2010年12月2日にScienceに掲載され、たちまち物議を醸した(2011年2月号「高ヒ素存在下で生きる生物」参照)。

生物は、DNA、タンパク質、脂質などの生体分子を構築するために、炭素、水素、窒素、酸素、リン、硫黄といった共通の元素を利用している。例えばリンは、主にリン酸イオン(PO43−)の形で存在していて、DNAやRNAの構造や、エネルギー輸送分子ATPの機能に不可欠である。

Scienceの論文の著者らは、これらの元素が全てそろっていなくても生きられる生物が地球上にいるかもしれないと考えた。そこで彼らは、米国カリフォルニア州のモノ湖からヒ素を豊富に含む堆積物を採取し、ハロモナス科の細菌を発見した。彼らは複数の種類の分析を行い、この細菌は、通常は毒性元素であるヒ素をリンの代わりに利用することができると結論付けた。

論文が出版された後、化学者や生物学者は学術誌への投稿やソーシャルメディア上でこの研究を批判した。化学者らは、もしヒ素がDNAの骨格に組み込まれるならば、その結合は極めて不安定であるため、水中では1秒も持たずにばらばらになってしまうだろうと言った2。Redfieldをはじめとする微生物学者らは、研究の問題点を指摘した。例えば、実験に用いた培地には細菌が増殖するのに十分なリン酸塩が含まれており、研究チームは細菌がヒ素を利用して生きられることを証明しようとしたにもかかわらず、実際にはリン酸塩を利用していた可能性が高い、といった点だ。

「その研究結果は間違っているに違いないと考える非常に強力な理由があったのです」とRedfieldは言う。

2011年5月、ScienceはRedfieldによるものを含め、論文を批判する8本の技術的コメント3–10と、これらのコメントに対する著者らからの反論11を掲載した。同誌は2012年には、Redfieldの研究室を含む2つの研究チームがヒ素生命チームから提供された細菌試料を使って論文の結果の再現を試み、失敗に終わったことを報告する論文12,13を掲載した(2011年9月号「『ヒ素微生物』の実験をしませんか」、2012年9月号「やっぱりリンが好き」参照)。それでもScienceは論文を撤回しなかった。これまでは。

撤回のきっかけは、2025年2月にNew York Timesが、この論文の筆頭著者であるFelisa Wolef-Simonに関する記事を掲載したことだった。彼女は、この論文を発表した時にはNASAの天体生物学研究員として米国地質調査所(カリフォルニア州メンローパーク)で研究していた。記事によれば、ヒ素生命の論文が否定的な注目を集めたため彼女のキャリアは頓挫したが、このほど新たな研究を進めるための短期の研究資金を獲得したという。ここから議論が再燃した。

ThorpはNatureに、「(論文は撤回するのかという)問い合わせが相次いだため、この問題について、少なくとも本誌の側からは最終的な結論となるような決着をつけた方が良いという判断に至りました」と語った。

しかし、決着はつかないかもしれない。

それは、ヒ素生命論文の存命の著者のうち1人を除く全員が、撤回声明に対して「私たちはこの撤回を支持しない」とするeLetterに署名しているからである(go.nature.com/45mpivo参照)。彼らは、Scienceは論文の撤回基準を拡大することで、学術出版におけるベストプラクティスを提案する助言組織である出版倫理委員会(COPE、英国イーストリー)の指針を逸脱していると批判する。なお、論文著者のうち、撤回に反対しているがeLetterには署名していないローレンス・リバモア国立研究所(米国カリフォルニア州)のスタッフサイエンティストであるPeter Weberは、この件についてコメントすることを拒否した。

撤回は遅効性の毒?

学術出版の専門家で、メディア組織リトラクション・ウォッチ(Retraction Watch)の共同創設者であるIvan Oranskyによると、COPEの指針では以前から、研究結果が「信頼性に欠ける」証拠がある場合、それが重大な誤りであれ不正行為であれ、編集者は論文の撤回を検討することができるとされているという。COPEの指針は変更されていないが、Scienceは今回、撤回を詐欺的行為や不正行為に限定するのではなく、信頼性に欠ける場合にも認めるという指針を採用することにしたのだと、Oranskyは説明する。

これに対してAnbarは、研究結果が信頼性に欠ける、あるいは誤っているという指摘を否定する。彼は、データは複数の解釈が可能だと説明する。例えば、その細菌は実際にDNA中のリンの代わりにヒ素を利用していたが、その程度がごくわずかだったため、研究チームが定量できなかったのかもしれない。あるいは、ヒ素だらけの培地の中からごく微量のリンを取り出して生きるユニークな能力を持っていたのかもしれないという。

Anbarはまた、Scienceが撤回声明の中で、撤回理由を同誌の撤回基準が変更されたとしか記載していない点で、COPEの指針に反していると主張する。ThorpとScienceの編集責任者のValda Vinsonが執筆したブログ記事では、著者らに研究不正はなかったと繰り返した上で、別の撤回理由として、研究者が細菌の核酸を適切に精製せずにヒ素の有無を分析したことを挙げている(go.nature.com/3gum5i4参照)。

Anbarは、自分たちは2011年の技術的コメントに対する査読付きの回答でこの批判を退けており、それが今回のブログで撤回の根拠として使用されることは通知されていなかったと言う。「もしScienceの編集者が、私たちの2011年の回答が適切でなかったと結論付ける理由があるなら、その理由を説明するべきです」と彼は言う。「Scienceがやっていることは、どう考えても合理的ではありません」。

Thorpはさらなるコメントを拒否した。

Oranskyは、この撤回は興味深い問題を提起していると言う。科学文献の中には、誤りがあることが示されていて撤回の対象となり得る論文が数多く存在している。他の出版社も科学記録の整理に乗り出すのだろうか? もし取り組むなら、「どこから手を付けるのでしょう?」。

翻訳:三枝小夜子

Nature ダイジェスト Vol. 22 No. 10

DOI: 10.1038/ndigest.2025.251021

原文

Controversial ‘arsenic life’ paper retracted after 15 years — but authors fight back
  • Nature (2025-07-24) | DOI: 10.1038/d41586-025-02325-z
  • Lauren Wolf

参考文献

  1. Wolfe-Simon, F. et al. Science 332, 1163–1166 (2011); retraction 389, 357 (2025).
  2. Fekry, M. I., Tipton, P. A. & Gates, K. S. ACS Chem. Biol. 6, 127–130 (2011).
  3. Foster, P. L. Science https://doi.org/10.1126/science.1201551 (2011).

  4. Redfield, R. J. Science https://doi.org/10.1126/science.1201482 (2011).

  5. Benner, S. A. Science https://doi.org/10.1126/science.1201304 (2011).

  6. Cotner, J. B. & Hall, E. K. Science https://doi.org/10.1126/science.1201943 (2011).

  7. Schoepp-Cothenet, B. et al. Science https://doi.org/10.1126/science.1201438 (2011).

  8. Csabai, I. & Szathmáry, E. Science https://doi.org/10.1126/science.1201399 (2011).

  9. Oehler, S. Science https://doi.org/10.1126/science.1201381 (2011).

  10. Borhani, D. W. Science https://doi.org/10.1126/science.1201255 (2011).

  11. Wolfe-Simon, F. et al. Science https://doi.org/10.1126/science.1202098 (2011).

  12. Reaves, M. L., Sinha, S., Rabinowitz, J. D., Kruglyak, L. & Redfield, R. J. Science 337, 470–473 (2012).
  13. Erb, T. J., Kiefer, P., Hattendorf, B., Günther, D. & Vorholt, J. A. Science 337, 467–470 (2012).