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窒素を「削除」して有機分子の骨格を編集する

Nature ダイジェスト Vol. 18 No. 8 | doi : 10.1038/ndigest.2021.210836

原文:Nature (2021-05-13) | doi: 10.1038/d41586-021-01205-6 | Nitrogen deletion offers fresh strategy for organic synthesis

William P. Unsworth & Alyssa-Jennifer Avestro

容易に入手可能な出発物質から窒素原子を取り除くことで有機小分子の合成反応を進める、新しい概念の化学試薬が開発された。

有機分子の骨格部分から窒素原子を「削除」する、という革新的な分子編集戦略が、シカゴ大学(米国イリノイ州)のSean KennedyらによってNature 2021年5月13日号223ページで報告された1。分子に原子を加えるのではなく、分子から原子を取り除くという概念は、いくつかの例外(二酸化硫黄の脱離を伴うランバーグ・バックランド反応2など)はあるものの、有機分子合成の一般的な考え方に反するもので、従来の合成計画の立て方を一変させる可能性がある。

化学者は、「十分な時間とリソースさえあれば、どんな有機小分子でもほとんど合成できる」という考えに、大きな誇りを持っている。実際、そうした合成の取り組みは、医薬品、ポリマー、農薬といった大きな社会的価値を持つ多くの技術の基盤を成してきた。また、そうした合成に必要な、特定の化学的変化を促進する方法(その多くは絶妙な選択性を持つ)も、既に数多く存在する。

加えて、無数の新たな化学合成方法が毎日のように発見・発表されている。そのほとんどは、既存の方法に比較的小規模な改善を加えたものだが、そうした漸進的な改良は、科学の進歩に欠かせない重要なものである。とはいえ、より広範に影響を及ぼすような新たな合成方法も、時折だが出現する。今回Kennedyらによって報告された化学反応は、まさにそうした例の1つだ。その理由を説明するために、逆合成解析3,4を用いた合成経路の考案法について検討するとしよう。

逆合成解析では、まず、合成しようとする分子の化学構造を検討し、分子中の個々の結合を頭の中で「切断」して、より小さくてより単純な分子断片にしていく。次に、この過程を逆転させ、分子断片から目的分子を作り出すことのできる一連の結合形成反応を考え、合成経路を構築する。一般に、どのような目的分子にも複数の切り分け方が存在するが、考慮すべき重要な点は、「順方向の化学合成の各結合形成段階は、既知のタイプの化学反応であるか、開発可能な反応でなければならない」ことである。そのため、化学者たちは通常、十分に試行された切断法に基づいて、ありふれた分子モチーフに分けていく。そのやり方なら、順方向合成がうまくいくと分かっているからだ。

目的分子を切り分ける際には、確立された化学反応を念頭に置いて、切断できる結合と切断できない結合を見分ける知識と、その知識を系統的に応用できる能力が不可欠だ。一方で、合成には創造性という大きな側面もあり、優れた合成反応の多くは、科学と芸術の境界線上にあるともいわれている5。対応する順方向の合成方法が存在しないような結合の切断を提案するには、ひらめきと創造力が必要で、その後必要となる新たな結合形成反応の開発も容易ではない。それでも化学者たちは、常にそうした難題に惹きつけられる6–9。そうした難題から、それまで不可能とされてきた合成反応を実現できる新たな戦略が生まれるからだ。

今回Kennedyらが達成したのは、まさにこれだった。彼らは、容易に入手可能な出発物質から窒素原子を1つ取り除くことで、これまで複雑で難しかった合成を簡略化できる、新たな反応を見いだしたのである(図1)。これは、この反応を促進する、合成容易な新しい試薬の開発によって実現した。反応の機構には、ある前例のない分子内転位が関与している。試薬との反応で生じた反応中間体から窒素分子が失われると、2つの高反応性フリーラジカルが生成し、これらが結合することで、新たな炭素–炭素(C–C)結合が形成されるのだ(参考文献1の図1b参照)。

図1 窒素削除反応
a Kennedyら1は、第二級アミンと呼ばれる化合物群から窒素原子を取り除くことのできる、容易に合成可能な試薬を開発した。これは、有機分子の骨格編集を可能にする新たな合成戦略となる。この反応では、窒素原子の削除に伴って炭素–炭素結合(赤色の線)が形成される。青色の円は、任意の化学基を示す。
b Kennedyらは実際に、抗がん剤であるペメトレキセドなど多様な化合物を合成し、この戦略の有用性を実証した。 | 拡大する

オックスフォード英語大辞典では、「合成」を「複数の構成要素を組み合わせて、1つの結び付いた総体を形成すること」と定義している。とすれば、原子を追加するのではなく削除するという戦略は、この目的においては逆効果に思われる。だが、今回のKennedyらの戦略の価値は、窒素を含む出発物質の方が、窒素を含まない類似分子よりもはるかに作りやすいか、商業的に調達しやすいという事実にある。そのため、窒素原子を含んだ状態で反応中間体を作り、窒素原子を後から取り除くことで、合成を簡略化できるのだ。これは、超高層ビルの建設で、主要構造の完成後に足場を取り外すのに似ている。注目すべきは、窒素の削除によって分子の骨格が根本的に変わることである。これは、分子の内部(骨格部分)にある原子(ここでは窒素)が失われるためで10–13、分子の周辺部にさほど極端ではない変化をもたらす、他の大半の分子編集戦略(官能基化など)とは対照的だ。

多くの確立されたC–C結合形成反応は概して、高価な金属試薬や有毒な金属試薬を必要とするが、今回のKennedyらの合成戦略では、そうしたコストや安全性の問題を軽減することができる。また、この化学反応は、市販の薬剤や天然物から窒素を削除できることも実証されており、新しい生物活性化合物の生成に使える可能性がある。

当然、今回の反応も、検討した全ての例で一様にうまく進んだわけではない。Kennedyらによると、反応の収率は、出発物質が、窒素の削除後に生成する高反応性ラジカルを安定化するような特徴を持つ場合に高くなるという。とはいえ、現在の適用範囲は、採用可能性の観点では十分広く、今ある限界も今後改善されていくだろう。

Kennedyらの化学反応は、創薬にとどまらず、効率的な化学合成法が必要とされるさまざまな応用分野において、大いに役立つ可能性がある。また、今回の窒素削除戦略は、合成の一助となった分子的特徴の証拠が生成物中に残らない真に「トレースレスな(痕跡を残さない)」反応を開発する、という化学者たちの長年の夢をかなえる可能性もある。分子マシンや、熱回復性の電子デバイス用の弾性ポリマーや自己修復ポリマーなど、窒素原子の存在が機能に悪影響を及ぼし得る先進材料の合成においては、特に有用だろう。最終的な生成分子を見ただけでは、削除された窒素原子が果たした役割は必ずしも明らかでないが、そうした物質の合成を可能にする窒素原子の力は、化学合成に変革をもたらすかもしれない。

(翻訳:藤野正美)

William P. Unsworth & Alyssa-Jennifer Avestroは、ヨーク大学(英国)に所属。

参考文献

  1. Kennedy, S. H., Dherange, B. D., Berger, K. J. & Levin, M. D. Nature 593, 223–227 (2021).
  2. Ramberg, L. & Bäcklund, B. Arkiv Kemi Mineral. Geol. 13A, 50 (1940).
  3. Corey, E. J. & Cheng, X.-M. The Logic of Chemical Synthesis (Wiley, 1995).
  4. McCowen, S. V., Doering, N. A. & Sarpong, R. Chem. Sci. 11, 7538–7552 (2020).
  5. Nicolaou, K. C. Chem 1, 331–334 (2016).
  6. Szpilman, A. M. & Carreira, E. M. Angew. Chem. Int. Edn 49, 9592–9628 (2010).
  7. Cernak, T., Dykstra, K. D., Tyagarajan, S., Vachal, P. & Krska, S. W. Chem. Soc. Rev. 45, 546–576 (2016).
  8. Hu, Y., Stumpfe, D. & Bajorath, J. J. Med. Chem. 60, 1238–1246 (2017).
  9. Mahjour, B., Shen, Y., Liu, W. & Cernak, T. Nature 580, 71–75 (2020).
  10. Cao, Z.-C. & Shi, Z.-J. J. Am. Chem. Soc. 139, 6546–6549 (2017).
  11. Roque, J. B., Kuroda, Y., Göttemann, L. T. & Sarpong, R. Nature 564, 244–248 (2018).
  12. Smaligo, A. J. et al. Science 364, 681–685 (2019).
  13. Fier, P. S., Kim, S. & Maloney, K. M. J. Am. Chem. Soc. 141, 18416–18420 (2019).

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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