航空ライダー調査によるマヤ文明初期の大公共建築の発見
Nature ダイジェスト Vol. 17 No. 9 | doi : 10.1038/ndigest.2020.200939
原文:Nature (2020-06-25) | doi: 10.1038/d41586-020-01570-8 | Large-scale early Maya sites in Mexico revealed by lidar mapping technology
ライダー技術の応用で、裸眼での天体観測に使われた巨大な建造物が、意外にも古代マヤ文明の初期に作られていたことが明らかになった。これは、マヤ社会の発展についてのこれまでの概念を塗り替えるものである。
TAKESHI INOMATA
考古学の分野では、画期的な技術の進歩によって全てが変わる、といった重大な転機は極めて少ない。1940年代の放射性炭素年代測定法の発明はそうした数少ない革命の1つで、これによって考古資料の年代推定に関して世界共通の一貫したシステムがもたらされた。より最近の技術革新としては、ライダー[lidar;light detection and ranging(光検出と測距)]と呼ばれるリモートセンシング技術の航空応用がある。航空ライダーは、森林の木々に覆い隠された地形を裸地として描き出す技術1で、これを使えば、より大規模な遺跡をより短時間で発見できる。この革新的な技術によって、現在、メキシコや中米での考古学研究が一変しつつあり、古代の公共的な景観改変に関する我々の理解が変貌を遂げているのだ。今回のアリゾナ大学(米国トゥーソン)の考古学者、猪俣健ら2による、メキシコ・タバスコ州ウスマシンタ川流域でのマヤ文明初期の大公共建築の発見は、その典型的な例といえよう。この成果は、Nature 2020年6月25日号530ページで報告された。
航空ライダー調査では、装置を搭載した航空機やドローンを調査地域の上空に飛ばす必要がある。その原理は、上空からパルス状のレーザーを発射し、地上で反射して戻ってきた光の信号を検出して、距離データの点群(ポイントクラウド)を取得するというもの。この点群データを、特殊な画像処理技術と高性能のコンピューターを用いて処理すると、植生が数値的に除去された裸地の地形モデル「数値標高モデル(DEM)」が得られる。鬱蒼とした植生が、住居や基壇、ピラミッド、さらには宮殿までも覆い隠しているような環境では、こうしたDEMは地形図に近いものとなり、そこに直線や角といった形状が表れた場合、それは地質学的な要素ではなく人工物である可能性を示唆する。
こうした地形モデルは、乾燥した景観ではあまり意味がないかもしれないが、林冠によって視界が遮られるような森林地帯では実に画期的だ。1回の飛行で得られる一連のライダー画像がもたらす情報量は、時に従来の考古学調査法で数十年かけて得られるものを上回るからである。私自身、ライダー以前の手法で経験を積んだ考古学者として、マヤ文明関連の湿潤熱帯環境で、鉈を振るって道を切り開く現地スタッフの後を歩きながら、野外調査に何千時間も費やしてきた。切り開かれた直線状の道はグリッドを作るためのもので、我々考古学者はさらにその中を歩き回って人工の構造物を探す。そして古代の建造物を見つけたら、再び鉈で辺りを切り開いてその輪郭を見つけ、形状や高さを明らかにし、その後でようやく構造物の全体像を把握することができる。
こうした一連の野外調査は時間を要し、グアテマラのティカル遺跡やベリーズのカラコル遺跡などのマヤ文明の大都市の地図作製には、しばしば数十年もの歳月が費やされてきた。カラコル遺跡では、その全体像を明らかにすべく数十年にわたって骨の折れる作業が続けられていたが、ライダー技術を投入したところ、多様な建造物や段々畑など、都市の全体像が瞬く間に明らかになった1。ライダー調査で得られるDEMには座標情報(緯度や経度など)が含まれており、これを用いて実際の遺跡を物理的に調べ、結果の「地上検証」を行うことができる。この地上検証には、今でも鉈が必要だ。
航空ライダーは、他の地域の熱帯林の遺跡研究にも役立ってきた。例えば、カンボジアのアンコールワット遺跡では、2012年に行われた大規模な航空ライダー調査によって、寺院の周囲に掘られた複数のため池や複雑な水路網の存在が明らかになり、不安定な熱帯環境においてこうした高度な水管理技術がどの程度有効だったかについての貴重な手掛かりがもたらされた3。この研究はまた、クメール王朝の景観改変の壮大さも浮き彫りにした4。
グアテマラに話を戻すと、ティカル遺跡のあるペテン地方は、マヤ文明の古典期(紀元250~800年)には「神聖な」支配者たちのお膝元であった。この地域を含む一帯は「マヤ低地」と呼ばれ、20世紀の半ばからほぼ途絶えることなく考古学研究が続けられてきた。古典期マヤ文明は、象形文字による記録方式、写実的な彫刻や壁画の様式、トウモロコシ農業の熟練性などから非常に興味深い。この時代のマヤ社会は、政治的には、宮殿を中心に築かれた数十の都市で構成されていた。考古学者たちは、こうした宮殿に惜しみない関心を払ってきた一方で、それ以外の地域を従来の方法で調査することは滅多になかった。
こうした状況を変えようと、2016年、ペテン地方でそれまでで最大規模の航空ライダー調査が行われ5、人為的に徹底的かつ意図的に改変された景観が明らかになった。その特徴は地上からは分かりにくく、従来の方法ではおそらく、最も経験豊富な遺跡地図作製者でさえ容易に見逃したことだろう。こうした景観改変の空間的連続性は、上空から見た方がより明白なのだ。猪俣らもまた、今回の重要な発見に関して同じ意見を述べている。彼らは2017年と2019年に、マヤ低地の西端に位置するメキシコ・タバスコ州のウスマシンタ川流域で航空ライダー調査を行い、粘土と土で作られた長さ1413m、幅399m、高さ10〜15mという巨大な基壇を伴う、アグアダ・フェニックス遺跡を発見した。この建造物がこれまで知られていなかった理由について、猪俣らは、水平方向に大きく広がった構造のために地上から見つけるのが困難だったからだろうと推測している。この大基壇の建造年代は、放射性炭素年代のベイズ解析により紀元前1000~紀元前800年と推定された。航空ライダー調査による類似の発見は、タバスコ州の森林よりは低木が多いものの足を踏み入れるのが同様に困難なマヤ低地北部の森林でも相次いでおり、同等に重要な結果がもたらされている6–9。
タバスコ州は、東側のマヤ地域と、西側のオルメカ文明(紀元前1500~紀元前400年の巨石人頭像で知られる)に関連した地域のちょうど中間に位置するが、20世紀の考古学研究においては、これら2つの地域ほどは注目されていなかった。しかし、そうした状況は、猪俣らが航空ライダーによる21世紀型調査の実施を決断したことで一変する。この調査は、見つかるものなら何でも構わない、というやみくもなものではなく、「Eグループ」と呼ばれる特殊な建造物群を有する、先古典期の中期(紀元前1000〜紀元前350年)から後期–末期(紀元前350〜紀元250年)に特徴的な建造物の配置パターンに注目して行われた(図1)。Eグループは、裸眼での天体観測に用いられた建造物群で、マヤ低地で見つかっている非住宅建築としては最も古い10。中には、今回猪俣らが発見したアグアダ・フェニックス遺跡のもののように、今から約3000年も前に建造されたEグループもある。興味深いのは、これらの年代が、住居や村などの定住を示す明確な痕跡よりも古いことだ。
a 猪俣ら2は今回、メキシコで、マヤ文明に関連するアグアダ・フェニックス遺跡を発見した。彼らは、ライダーの航空応用という最新の地形図作製技術を用いて上空から古代建造物を探し、見つけた遺跡の発掘調査を行うことで、粘土と土で建造された巨大な基壇の存在を明らかにした。年代が紀元前1000~紀元前800年と推定されたこの大基壇の上には、天体観測と関連した、「Eグループ」と呼ばれる複合建築(西側の小さなマウンドと東側の低い基壇からなる)が見つかった。今回の猪俣らの知見は、マヤ文明では宮殿が建設されるはるか前に大規模な景観の改変が行われていたことを明らかにするとともに、マヤ社会がどのように発展したかについても手掛かりをもたらした(スケールバーは500m)。
b 典型的なEグループの配置を示す。西側の小さなマウンド(またはピラミッド)の上から東側の南北に伸びた低い基壇を見ると、夏至の日の出は基壇の北端に、冬至の日の出はその南端に観測することができる。 | 拡大する
A, IMAGE, TAKESHI INOMATA
マヤ文明の社会生活の発展において先に始まったのは、固定した住居での定住生活だったのか、それとも、宗教的儀式や天体観測などを集団で行う儀礼的活動のための定期的な会合だったのか。以前は一般に、前者が後者のための道を開いたと考えられていたが、最近はそれらが逆の順序で起こったことを示唆する新たな証拠が出てきている。
人類の祖先たちは、太陽や他の天体の、全天や地平線上での動きが示す季節の移り変わりを記録するために、初めて集団で協力したのかもしれない。Eグループは、西側の小さなマウンド(またはピラミッド)と、東側の南北に伸びた低い基壇からなる複合建築である(図1)。西側のマウンド上に立って東を向けば、観測者は夏至の日の出を東側の低い基壇の北端に、冬至の日の出をその南端に見ることができる。その設計は見事なまでに単純で、このタイプの建造物群は長い年月にわたり、ウスマシンタ川流域一帯、そしてマヤ低地の至る所で何度も繰り返し建造された。
猪俣らは今回、ライダーの優れた「眼」を通して、巨大な長方形の大基壇の上にEグループが建造された、標準化された空間配置を有する遺跡を、ウスマシンタ川流域一帯の計21カ所で発見した。中でもアグアダ・フェニックス遺跡の大基壇は、先古典期の中期から後期–末期のものとしては既知で最大で、猪俣らは、これがスペイン人の到来以前に作られたマヤ文明の建造物としても最大である可能性を示唆している。この遺跡では、支配者をかたどった石像(オルメカ文明の同年代の遺跡で発見されている巨石人頭像のようなもの)が見つかっていないことから、猪俣らはこの大基壇について、支配者の命令で建てられたものではなく、真の公共建築であったと主張している。とすれば、人々はなぜこれほど巨大な基壇を建てたのか。また、年代測定の結果からは、この遺跡での建築活動が紀元前800年ごろに途絶えたことが示されているが、その理由は何だったのか。そして、Eグループを伴う大基壇は、アグアダ・フェニックス遺跡の東と西ではどれだけの範囲にわたって存在するのか。厳密には、こうした建造物の配置パターンは、東側のマヤ低地の中心部で見られる特徴でもなければ、西側のオルメカ文明の特徴でもない。
さらなる研究に向けて多くの疑問が残されているが、航空ライダー調査によって森林地域の考古学研究が今後も変化し続けることは確かだろう。今回のアグアダ・フェニックス遺跡の研究は、航空ライダー調査のデータと現地での発掘調査の結果が相まって、この地域で起こった社会的変革についての我々の理解を大きく深めるとともに、メソアメリカ東部では大規模な公共建築が村の形成に先行したという主張を強く裏付けるものとなった。マヤ低地では、階層的な統治が始まったのがアグアダ・フェニックス遺跡での建築活動の終焉の数百年後だったことを踏まえると、公共建築と階層的統治との間に提唱されている関係性に批判的な目を向ける人も出てくるだろう。そして何より、猪俣らの今回の研究が30年ではなく3年で成果につながったという事実は、林冠というベールに覆われた森林の奥深くに潜む遠い過去を短期間で発見・研究する上で、航空ライダー調査がいかに強力であるかを明示している。
(翻訳:小林盛方)
Patricia A. McAnanyは、ノースカロライナ大学チャペルヒル校(米国)に所属。
参考文献
- Chase, A. F., Chase, D. Z., Fisher, C. T., Leisz, S. J. & Weishampel, J. F. Proc. Natl Acad. Sci. USA 109, 12916–12921 (2012).
- Inomata, T. et al. Nature 582, 530–533 (2020).
- Evans, D. H. et al. Proc. Natl Acad. Sci. USA 110, 12595–12600 (2013).
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